偽りの裁判と、血塗られた教義
雲ひとつない青空から降り注ぐ陽光が、これほどまでに疎ましく感じたことはなかった。
中央広場には、街中の人間が集まったのではないかと思えるほどの群衆がひしめき合っている。彼らの視線の先にあるのは、広場の中央に急造された処刑台。そして、そこに跪かされ、無慈悲な太陽に晒されている一人の少女だ。
「……くっ」
私は処刑台の傍らで、大鎌の柄を握りしめたまま奥歯を噛み締めた。
隣に立つのは、昨日ルミナの処刑を命じたあの司祭だ。彼は民衆を見下ろし、芝居がかった身振りで声を張り上げる。
「静粛に! 迷える子羊たちよ! 今日、我々はこの地を脅かす恐るべき『毒』を浄化する! この娘、ルミナ・フローレンスを見よ! 彼女は神の許可なく奇跡を騙り、甘言をもって民を惑わした! これこそが、教義を汚す最たる異端である!」
司祭の言葉に、民衆の間に動揺と、そして醜い熱狂が広がる。
「そうだ! 教会を通さない魔法なんて、悪魔の業だ!」
「私の病気を治してくれたけど……あれも呪いだったのか!?」
昨日までルミナに救われ、彼女を聖女と崇めていた者たちまでもが、教会の権威を前にして手のひらを返したように石を投げ始める。
愚かだ。あまりにも愚かすぎる。
彼らを救ったのは、教会の高圧的な説教でも、この肥え太った司祭の祈りでもない。今、そこで泥を投げつけられている彼女の、純粋な善意だったはずなのに。
「……ルミナ」
私は、俯く彼女の横顔を盗み見た。
乱れた銀髪の隙間から見える彼女の表情に、怒りや憎しみはない。ただ、悲しそうに、自分を罵倒する人々を慈しむような、あまりにも尊い色が宿っていた。
その清廉さが、私の胸をどうしようもなく掻き乱す。
「さあ、異端者よ。最後に罪を認め、神の慈悲を乞うが良い。……そうすれば、死の間際にだけは許しを与えてやろう」
司祭がルミナの髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。
ルミナは乾いた唇を震わせ、静かに、だがはっきりと言った。
「私は……罪を犯したつもりはありません。ただ、目の前で泣いている人を、放っておけなかっただけです。……そのために死ぬことが、神様の望みだと言うのなら、私は受け入れます」
「黙れ! この不届き者がッ!」
司祭の手が、ルミナの頬を激しく打った。
乾いた音が広場に響き、彼女の白い肌に真っ赤なあざが浮かび上がる。
――その瞬間、私の頭の中で何かが『パチン』と弾ける音がした。
握りしめた大鎌の柄が、ミシミシと悲鳴を上げる。
殺したい。今すぐ、この下劣な男を。彼女に触れたその腐った腕を切り落とし、この広場にいる愚民どもをまとめて消し去ってしまいたい。
今まで「命令」こそが全てだった私の魂が、ルミナという光に触れたことで、猛烈な『守護欲』へと変質していた。
「リゼット、どうした。早く儀式を始めろ」
司祭が私を急かす。
公開処刑の前に行われる『清めの儀』。それは、教会の権威を見せつけるための、ただの見せしめ、公開拷問だ。
私は一歩、ルミナの前へと踏み出した。
ルミナが私を見上げる。その黄金の瞳に、昨夜と同じ温かさが宿った。
「……こんにちは、審問官さん。今日も、お仕事頑張っているんですね」
こんな状況で、彼女は私に微笑んだ。
喉の奥が熱い。叫び出しそうになる衝動を、鉄の意志で抑え込む。
私は彼女の耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえないほどの小声で囁いた。
「……なぜ、逃げようとしない。なぜ、私を恨まない」
「だって、あなたは……昨夜、私の手を握ってくれましたから。とっても優しい手でした。恨むことなんてありませんよ」
昨夜、別れ際に一瞬だけ、私は無意識に彼女の指先に触れていた。それを、彼女は『優しさ』だと受け取っていたのだ。
胸が、締め付けられる。
私は教会の最高戦力だ。死神だ。誰からも愛されず、誰も愛さないはずだった。
なのに、この少女は私の薄汚れた本質を見透かしたように、光を与えてくれる。
「リゼット! 何をもたついている! さっさとその大鎌で、その娘の背を切り刻め! 神の痛みを教え込むのだ!」
司祭の怒声が飛ぶ。
私はゆっくりと、銀の大鎌を振り上げた。
太陽の光を反射して、死の刃がぎらりと輝く。
群衆が固唾を呑んで見守る中、私はルミナを、そしてその背後にある教会の紋章を睨みつけた。
教義? 神の意志?
そんなものが、この尊い少女を傷つける理由になるというのなら。
そんな神など、私には必要ない。
「……リゼット・クロムウェル、審問を開始する」
冷徹な声を作ったが、私の心は燃え盛る業火のように熱かった。
大鎌の刃が、ルミナの背中――ではなく、彼女を縛り付ける鉄の鎖へと狙いを定める。
だが、その瞬間。
広場に、異様なプレッシャーを放つ集団が現れた。
教会の私兵軍――そして、その先頭に立つのは、白銀の鎧に身を包んだ傲慢な騎士。
「待て、司祭殿。その魔女の処刑、我が騎士団が引き継ごう。審問官ごとき『道具』の手を汚すまでもない」
貴族出身の騎士が、私を蔑むような視線で射抜く。
事態は、私の予想を超えた混沌へと突き進もうとしていた。
◆ ◆ ◆
その夜、独房に一時的に戻されたルミナの元へ、私は再び足を運んだ。
昼間の騎士団の介入により、処刑は明日に延期されたのだ。
鉄格子の向こう側、ルミナは床に座り込み、力なく壁に寄りかかっていた。
「……ルミナ。明日、私はお前を殺すかもしれない」
嘘だ。そんなこと、絶対にさせない。
だが、私は自分の覚悟を確かめるように、あえて残酷な言葉を口にした。
ルミナはゆっくりと顔を上げると、少しだけ寂しそうに、でも慈愛に満ちた表情で私を見つめた。
「もし、あなたが私の命を終わらせる人なら……私は、それでいいです。他の誰でもなく、あなたに看取ってもらえるなら……それはきっと、幸せなことだから」
――バカなことを言うな。
幸せなわけがあるか。私がお前を、死なせるわけがないだろう。
私は鉄格子を掴む手に力を込めた。
教会の腐敗は、もう限界だ。
ルミナを守るためには、この街を、この組織を、そしてこの世界を支配する『法』そのものを壊すしかない。
「ルミナ、一つだけ約束して。……何があっても、私の側を離れないと」
「え……?」
「明日、全てが終わる。お前の命も……私の、この偽りの忠誠も」
私はルミナの黄金の瞳を見つめ、心の中で静かに誓った。
明日の処刑台で、私は『死神』をやめる。
この理不尽な世界、すべてを血祭りにあげる『悪魔』になる。




