腐敗の聖堂と、神殺し
大聖堂の地下最深部。王族ですらその存在を知らない、禁忌の儀式の間。
私たちの目の前にそびえ立つ、重厚な黄金の扉の向こうからは、数千人の信徒たちの悲痛な叫び声と、この世のものとは思えない泥濘のような瘴気が漏れ出していた。
「ルミナ、しっかり掴まってて。……少し、扉の開け方が乱暴になるから」
「はいっ、リゼットさん!」
ルミナを左腕にしっかりと抱き寄せ、私は右手に持った銀の大鎌に限界突破の魔力を叩き込んだ。
刃が眩い白銀の光を放ち、周囲の空気がビリビリと震える。
――ドガアァァァァァァァンッ!!!
私が大鎌を水平に薙ぎ払うと、何十人もの騎士が束になっても押し開けられない黄金の扉が、まるでクッキーのように粉々に吹き飛んだ。
吹き荒れる爆風と共に、地下空間へ乱入する。
そこに広がっていたのは、まさに地獄絵図だった。
巨大なドーム状の空間の床には、禍々しい赤黒い魔法陣が描かれ、その上に数千人の信徒たちが鎖で繋がれ、這いつくばっている。彼らの体からは生命力そのものが光の糸となって吸い上げられ、空間の中央にそびえる巨大な祭壇へと集められていた。
「な、なんだ!? 何事だ!! 私の神聖なる儀式を邪魔する愚か者は!!」
祭壇の上で絶叫するその声に、私は心底見下したようなため息をついた。
豪華な法衣を纏ってはいるが、その肉体はすでに人間のそれから大きく逸脱している。右半身は肥大化し、赤黒い肉塊と無数の触手が蠢いている。顔の半分には、焦点の合わない気味の悪い複数の眼球が埋め込まれ、ズルズルと汚らしい粘液を垂れ流していた。
「……随分と醜悪な姿だな。異端だ魔女だと血眼になって粗探しをしなくても、一番の化け物は大聖堂のど真ん中でふんぞり返ってたじゃないか。」
私の皮肉に、教皇の無数の眼球が一斉にこちらをギョロリと睨みつけ、地響きのような咆哮が空間を揺らす。
「き、貴様は……リゼット・クロムウェル! なぜ私の最高戦力がここにいる!?」
「飼い犬はやめたんだよ。お前みたいな吐き気がするご主人様が与える『教義』という名の餌より、うちの聖女様が作ってくれる不格好なスープの方が、何万倍も美味しくてね。」
「おのれェッ!! ならば貴様らも贄の一部にしてくれるわ!!」
教皇が巨大な触手を振り上げようとした、その時。
「……お願い、もうやめてください!!」
私の腕の中で、ルミナが悲痛な声で叫んだ。
彼女は私の腕からスルリと抜け出し、祭壇へ向かって一歩前に出る。
そして、両手を胸の前で組み、祈るように目を閉じた。
「皆さんの命を……奪わないでっ!!」
パァァァァァァッ!!
ルミナの小さな体から、太陽のように温かく、そして純粋な黄金の光が爆発的に溢れ出した。
その光は魔法陣を覆い尽くす赤黒い瘴気を一瞬で浄化し、信徒たちを縛り付けていた鎖を光の粒子に変えて消し去っていく。命を吸い上げられ、意識を失いかけていた信徒たちが、次々と息を吹き返し始めた。
「ひぃっ!? 光が、私の儀式を……!! お、おのれ、忌まわしき魔女め!! やはり貴様のその規格外の力だけが、私の『神化』の邪魔をする! 殺せ! その魔女を今すぐ八つ裂きにしろォォォッ!!」
教皇が完全に狂気へ堕ちた。
彼の肉体から放たれる瘴気は、先ほどまでの比ではない。ドーム状の空間全体が暗黒に包まれ、重力が歪む。
そして、床に倒れていた信徒たちが、教皇の瘴気に侵され、ゾンビのように異形化し始めた。彼らは「教皇様……助けて……」と呻きながら、意思を奪われた操り人形のように、ルミナへと襲いかかる。
「ルミナ、下がれ!」
ゾンビ化した信徒たちを、大鎌の『柄』で薙ぎ払う。だが、彼らは何度でも立ち上がり、果てしない肉の壁となって迫ってくる。
さらに、教皇自身もその異形化した右半身から、大蛇のような太さの触手を数十本、一斉に放った。
鋼鉄をも容易に粉砕する、致死の肉塊の雨。
瘴気によって大鎌の魔力も乱され、防御するのが精一杯だ。触手の一本が、私の大鎌を弾き飛ばし、頬を掠める。
「……っ!」
血が滲む。
教皇の執念と瘴気の濃さは、間違いなく厄災クラスだった。
「リゼット殿! 信徒たちの避難と足止めは私が引き受ける! 貴様はそのまま、教皇を討て!」
背後から、私たちを手引きしたフローゼル家の騎士が、数十人の部下を連れて飛び込んできた。彼は改心した通り、騎士としての誇りを取り戻し、身を挺してゾンビ化した信徒たちを抑えにかかる。
「ふん、少しはまともな騎士になったじゃないか。……ルミナ、お前は彼らと一緒に後ろに下がってて」
「だ、だめですリゼットさん! 私も戦います! 私の光なら、あの瘴気を打ち消せるはずだから……!」
「ルミナの光は、誰かを癒すためのものだ。あんな汚物を掃除するのに、お前の綺麗な力を使わせるわけにはいかない」
私は振り返り、ルミナの額にそっとキスをした。
「すぐ終わらせる。だから、ここで私のことを見ていて」
「……リゼットさん……っ。はい、気をつけてくださいね……!」
頬を染めてコクリと頷くルミナ。その姿を網膜に焼き付け、私は再び教皇へと向き直った。
「おのれ、おのれおのれおのれェェェッ!! 私の栄光を、私の野望を、たかが道具と魔女ごときがァッ!!」
教皇の残された左半身の人間の顔が、憎悪でドロドロに歪む。
「こうなれば、贄の数が足りずとも強引に成るまで!! 私は神だ!! この世界を統べる、絶対の存在なのだァァァッ!!」
教皇は祭壇に集まっていた赤黒い魔力の奔流を、その巨大な口を開けて一気に飲み込み始めた。
ゴボォォォォォォッ!! と、周囲の空間が不気味に歪む。
限界を超えた魔力を取り込んだ教皇の肉体は、風船のように膨れ上がり、祭壇を砕き、さらには大聖堂の地下の天井をも突き破って、巨大化していく。
王都全体を覆い尽くすほどの、数え切れないほどの腕と眼球を持った、肉の塔のような巨大な魔神。
それが、教皇の最終形態だった。
「おおおおぉぉぉぉぉッ!! 見よ、この圧倒的な力を!! 我は神なりィィィッ!!」
地響きのような咆哮が、王都全体を震わせる。大聖堂は崩壊し、瓦礫が雨のように降り注ぐ。騎士たちも、正気を取り戻しかけていた信徒たちも、そのあまりにも絶望的な姿を前に、膝から崩れ落ちた。
だが、私は。
見上げるほどの巨大な化け物を前にして、一切の恐怖を感じることはなく、ただ銀の大鎌を構えて凶悪な笑みを浮かべていた。
「自ら『神』に成り下がるとは、手間が省けたよ。お前みたいな豚が『神』を名乗り、あの純粋なルミナを『異端』だと言うのなら。――宣言通り、私が『神』を殺す。」
第14話へ続く:異端審問の終焉




