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歪んだ愛情と、絶望の淵

時間が、ひどくゆっくりと流れていく。

 師匠の放った漆黒の刃が、無防備なルミナの細い首筋へと吸い込まれていく光景が、コマ送りのように私の網膜に焼き付けられる。


大鎌を振り抜いた直後の私の体勢では、どう足掻いても防御には間に合わない。

 思考するより先に、私の身体は限界を超えた動きで前へと跳躍していた。

 武器を捨てる。防御すら捨てる。ただ、あの光を守るただの『盾』となるために。


「いやああああぁぁぁぁッ!!」


ザグゥッ!!


「……っ、あ、がっ……!」


鈍い肉の裂ける音。

 ルミナの首を刎ね飛ばすはずだった黒塗りの双剣は、ルミナを庇うように覆い被さった私の背中を深々と斜めに切り裂き、肋骨を砕いて肺の近くまで達していた。


「……リゼット、さん……?」


腕の中で、ルミナが震える声で私の名を呼ぶ。

 私とルミナの体が折り重なるようにして地面に崩れ落ちた。私の背中から噴き出した大量の鮮血が、ルミナの純白の貫頭衣と、銀色の美しい髪をべっとりと赤く染め上げる。


「ああ……ルミナ。血で、汚して……ごめ、ん……」


口から大量の血の塊を吐き出しながら、私は掠れた声で謝った。痛覚を消す訓練は受けてきたはずなのに、呼吸をするたびに肺が焼け焦げるような激痛が全身を駆け巡る。


「リゼットさん! いや、いやぁっ! 血が、こんなに……! 待っててください、私が今治し、ますから……っ!」


ルミナがパニックになりながら、血まみれの私の背中に両手を当てる。

 淡い黄金の光が彼女の手のひらから溢れ出ようとした、その瞬間だった。


「――無駄な真似を」


ドンッ!!


「きゃあぁっ!?」


無慈悲な蹴りがルミナの華奢な腹部を襲い、彼女の体は枯れ葉のように数メートル後方へと吹き飛ばされた。


「ルミナッ!!」


私は地面を這いつくばるようにして手を伸ばすが、師匠の冷たい軍靴が私の右手を無造作に踏み躙った。ミシリ、と指の骨が砕ける音が響くが、今の私には痛みよりもルミナへの心配しか頭にない。


「嘆かわしいな、リゼット。肉の盾に成り下がるなど、三流以下のゴミのやることだ。……私はお前を、神の意志を代行する完璧な死神に育て上げたはずなのだがな」


師匠は、靴の裏で私の手をグリグリと踏みつけながら、ひどく悲しそうな、そして悍ましいほどに歪んだ笑みを浮かべて私を見下ろした。


「すべては、あの娘のせいだ。あの魔女が放つ忌まわしい光が、私の最高傑作の歯車を狂わせた」

「ちが……う……。ルミナ、は……私の、光だ……っ!」

「安心しろ。今、私がこわしてやる。あの不純物を排除し、空っぽになったお前に、もう一度私の教えをたっぷりと注ぎ込んでやろう。それが、親である私の愛情だ」


これが、愛情?

 ふざけるな。こんな歪みきった狂気と、私がルミナに抱いているこの愛おしさを、同じ言葉で括るな。

 私は血を吐きながら師匠の足にしがみつき、必死に抵抗しようとする。だが、重傷を負い、大鎌すら失った今の私には、彼の足一本退かす力も残っていなかった。


「動かないで……お願い、リゼットさんを傷つけないでっ!!」


腹部を押さえながら、ルミナが必死に立ち上がる。

 自分自身も痛みに顔を歪めているのに、彼女の視線は私にだけ向けられていた。


「ルミナ……逃げろ……っ。そいつは、化け物だ……!」

「嫌です! 私を庇って怪我をしたリゼットさんを置いて、逃げるなんてできるわけないじゃないですか!」


ルミナは涙をボロボロと溢しながら、それでも一歩も引かずに師匠を睨みつけた。


「私が……私が命と引き換えにしても、リゼットさんは必ず助けます……っ!」


ルミナの全身から、かつてないほど強烈な黄金の光が溢れ出す。

 自分の命を燃やして、奇跡を暴走させようとしているのだ。そんなことをすれば、彼女の体は限界を超えて完全に壊れてしまう。


「やめろ……ッ! やめてくれルミナ! お前が死んだら、私が生きている意味なんてないんだ!!」


私の絶叫も虚しく、師匠は鬱陶しそうにため息をついた。


「五月蝿い光だ。目障りな虫から先に潰すとしよう」


師匠の姿がブレる。

 光を放とうとするルミナの胸元へ、必殺の黒剣が容赦なく突き出される。


「ルミナァァァァァァッ!!!」


届かない。もう、私の声も手も、何一つ届かない。

 ルミナは逃げることもせず、ただ私の方を見つめながら、最期にふわりと優しく微笑んだ。


『――ありがとう、リゼットさん。あなたに出会えて、幸せでした』


声にならない彼女の唇の動きが、はっきりと読み取れた。


漆黒の刃が、ルミナの心臓を貫く。

 その光景が、私の網膜に絶望という名の呪いを焼き付けた。


私の世界から、光が消える。

 私を狂わせた、この理不尽な世界への怒りが。

 教義だの神だのとのたまう、すべての者への果てしない殺意が。


私の魂の奥底で、臨界点を突破した。

第11話へ続く:『この子が異端なら、私が神を殺す』

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