白銀の死神と、牢獄の聖女
1日5話のペースで更新します
生臭い血の匂いと、降りしきる冷たい雨。
石畳を叩きつける雨音すらも、私が振るう巨大な銀の大鎌が空気を切り裂く風切り音にかき消されていく。
「ひ、ひぃぃっ……! くるな、来るなァッ!!」
「神の教えに背きし迷える子羊よ。主の慈悲をもって、その罪を浄化しよう」
感情の抜け落ちた平坦な声が、自分の口から紡がれる。
泥まみれになって逃げ惑う異教徒の背中へ、私は身の丈を超える大鎌を無造作に振り下ろした。
肉を断ち、骨を砕く鈍い感触。悲鳴は一瞬にして途絶え、路地裏に新たな血だまりが広がる。これで今夜の標的は最後だ。三十人規模の異端者の集会だったが、ものの数分で終わってしまった。
私の名前はリゼット・クロムウェル。
教会の最高戦力たる異端審問官であり、人々からは畏怖を込めて『白銀の死神』と呼ばれている。
物心ついた頃から殺人術と教義だけを叩き込まれ、感情というものを殺されてきた。私にとって命を刈り取ることは、呼吸をするのと同じただの『作業』でしかない。心が痛むことも、歓喜することもない。ただ、神の意志を代行するだけの美しい機械。それが私だ。
「……帰還しよう」
銀の刃にこびりついた血糊を雨で洗い流し、私は静かに踵を返した。
◆ ◆ ◆
冷え切った大聖堂の地下深く。
任務の報告を終えた私に、ふくよかな体躯をした司祭が脂ぎった笑みを浮かべて新たな命令を下した。
「ご苦労だった、リゼット。さて……明日の朝、広場にて忌まわしき『魔女』の公開処刑を行う。お前にはその介錯を頼みたい」
「魔女、ですか」
「左様。治癒の奇跡を騙る小娘だ。我らが教会の許可なく民に施しを行い、あろうことか『聖女』などと持て囃されておる。神の奇跡を勝手に騙るなど、万死に値する異端よ。……現在、地下の最下層に収監している。処刑の前に、念のため奴の状態を確認してこい。抵抗するようなら、指の二、三本切り落として構わん」
嫉妬と権力欲にまみれた司祭の言葉に、私はただ「承知しました」とだけ機械的に頷いた。
教会の腐敗など、今に始まったことではない。私に判断する権利はなく、ただ命じられた通りに斬るだけだ。
カビと血の匂いが染み付いた、薄暗い地下牢への階段を降りていく。
響くのは私の冷たい足音だけ。最下層の特別牢は、光すらも届かない奈落のような場所だ。
分厚い鉄格子の前に立ち、松明の明かりをかざす。
「……明日の朝、お前は神の御許へ送られる」
事務的にそう告げながら、私は牢の中へ視線を向けた。
そして――私の心臓は、生涯で初めての『異常』を起こした。
「…………ぁ」
そこにいたのは、ぼろぼろの貫頭衣を纏った小柄な少女だった。
手首や足首は太い鉄の鎖で壁に繋がれ、痛々しい擦り傷や打撲の痕が無数に刻まれている。酷い尋問と拷問を受けていたことは一目でわかった。
だが、そんな凄惨な状況にあってなお、彼女は信じられないほど美しかった。
色素の薄い、月明かりを溶かしたような銀糸の髪。
そして、汚れひとつない、宝石のように澄み切った黄金の瞳。
死を待つだけの暗い牢獄の中で、彼女だけが自ら淡い光を放っているかのように見えた。
名前は、ルミナ・フローレンス。
彼女は鉄格子越しに私を見つめると、怯えるどころか、信じられない言葉を紡いだ。
「あの……お怪我は、ありませんか……?」
「……は?」
予想外の言葉に、私は思わず間抜けな声を出してしまった。
自分が明日殺されるというのに、何を言っているんだ、この少女は。
「その……頬に。血が、たくさんついていたから……痛くないですか……?」
ルミナは痛む体を引きずるようにして、鎖を鳴らしながら鉄格子へと近づいてくる。
そういえば、先ほどの任務で返り血を浴びたままだった。頬に薄く切り傷も負っていたかもしれない。だが、こんなものは私にとって傷のうちに入らない。
「気にするな。これは私の血ではないし、痛みなどとうの昔に忘れた」
「でも……痛そうです。少し、待ってくださいね」
ルミナは私の言葉など聞いていないかのように、細く白い指先を鉄格子の隙間から伸ばし、そっと私の頬へと触れた。
――瞬間。
淡く温かい光が、ルミナの手のひらから溢れ出した。
それは魔術などではない。理屈を超えた、純粋で絶対的な『奇跡』。
冷え切っていた私の頬の傷が、光に包まれてふっと消え去っていく。いや、傷が治ったことよりも、彼女の手のひらから伝わってくる、太陽のように優しい温もりに、私は全身を射抜かれていた。
「ふふ、治りました。よかった……怪我をしたままじゃ、かわいそうですから」
自身は全身傷だらけだというのに、ルミナは私の傷が治ったことだけを喜んで、ふわりと花が咲くように微笑んだ。
究極のお人好し。自己犠牲の塊。
こんなに純粋で、美しくて、馬鹿みたいに優しい存在が、どうして異端なのだろうか。
『ドクンッ』
胸の奥で、今まで一度も鳴ったことのない大きな音が響いた。
顔が熱い。喉が渇く。視線が、彼女の笑顔から一ミリも動かせない。
感情を殺され、機械として生きてきた私の心に、取り返しのつかないほどの巨大なバグが生じた瞬間だった。
これが『一目惚れ』だということに気づくのは、もう少し後のことだ。
◆ ◆ ◆
処刑前夜。
自室に戻った私は、一人ベッドの上に座り込んでいた。
頬にはまだ、ルミナの手のひらの温もりが残っているような気がした。目を閉じれば、彼女の澄んだ黄金の瞳と、私を案じてくれた優しい声が鮮明に蘇る。
ベッドの傍らには、何百、何千という命を刈り取ってきた『銀の大鎌』が立て掛けられている。
明日の朝、私はこの大鎌で、あの美しい少女の首を刎ねなければならない。それが教会の意志であり、私の存在意義だ。
私はゆっくりと手を伸ばし、使い慣れたはずの冷たい柄を握りしめた。
手のひらに滲む、初めての冷や汗。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛い。
「……あの手を、私が斬るのか……?」
誰に問うでもなく呟いた声は、自分でも驚くほど、ひどく震えていた。




