第八話「風呂を完成させる。仕切りと排水とシャワーと、できれば石鹸も」
松脂が乾いた翌朝、錬は桶を確認した。
内側を指で触れる。べたつきが消えている。二度塗りの効果が出ていた。水を少し入れて、底と側面に漏れがないか確認する。
問題なし。
桶は使える。
ただ、まだ足りないものがある。
錬は古新聞を広げて、消し炭で書き始めた。
仕切り。シャワー。排水。石鹸。
四項目。
優先度の高い順に並べると、仕切りが最初だ。風呂に仕切りがなければ、ティルネが使えない。
【「また設計図か。」】
「ああ」
【「今日は何を作る。」】
「全部だ」
【「全部って。」】
「仕切りとシャワーと排水と石鹸だ」
少し間があった。
【「一日でか。」】
「できるところまでやる」
☆
ティルネが起きてきたのは、錬が設計図を書き終えた頃だった。
小屋から出てきて、欠伸を一つして、錬の手元を覗き込んだ。
「……おはようございます。また設計図ですか」
「ああ」
「今日は何を」
「風呂の続きだ。仕切りを作る」
「仕切り……あ」
ティルネが、少し顔を赤くした。
「そうですね。仕切りがないと、その……」
「使えない」
「……はい」
「わかっていた。材料を確認してから作る順番にした」
ティルネが、錬を見た。
「……最初から考えていたんですか」
「当然だ」
【「当然だってよ。」】
「うるさい」
「え——」
「K2だ」
☆
「K2、仕切りの材料を出してくれ。ベニヤ板か合板、あとロープがあれば」
【「ちょっと待て。」】
圧縮板が動いた。
出てきたのは、ベニヤ板が二枚。一枚は端が欠けているが、使える面積は十分だ。それから廃パイプが数本、古いカーテン生地が丸まって、最後に番線の束。
【「カーテン生地は頼んでなかったが、俺が判断して出した。どうだ。」】
「助かる」
ベニヤ板を骨格にして、カーテン生地を張る。四方を囲った小さな個室を、桶の周りに作る。入り口は垂らしたカーテンで塞ぐ。引けば開く。シンプルだ。
ティルネが材料を眺めながら言った。
「……手伝えることはありますか」
「板を押さえてくれ」
二人で作業した。
板を立てて、番線で固定する。ティルネが押さえて、錬が締める。角の補強材を入れる。カーテン生地を張る。
一時間ほどで、個室ができた。
ティルネが中に入ってみた。桶が中に収まって、外からは見えない。入り口のカーテンを閉めると、完全に視界が遮れる。
「……ちゃんと囲まれてますね」
「当然だ」
「廃材なのに」
「計算通りだ」
ティルネが出てきて、また少し顔を赤くした。
「……あの、フワレン」
「なに」
「昨日のことは、もう、気にしていませんので」
錬は工具を片付けながら、少し間を置いた。
「そうか」
「はい」
「……そうか」
【「二回言ったぞ。」】
「黙れ」
「え——」
「K2だ」
ティルネが、くすりと笑った。
☆
次はシャワーだ。
シャワーと言っても、仕組みは単純だ。高い位置に水を溜めた容器を置いて、下にホースを繋ぐ。重力で水が流れる。先端に穴をたくさん開ければ、水が霧状に出る。
問題は、高い位置に容器を固定する台だ。
「K2、大きめの容器が来るか。バケツ以上の大きさで」
【「ちょっと待て。」】
出てきたのは、蓋付きのポリタンクだった。二十リットルは入る。蓋に穴を開けてホースを繋げばいい。
錬は仕切りの外壁に棚受けを付けた。そこにポリタンクを乗せる。高さは錬の頭より少し上。そこから下に向かってホースを伸ばす。
ホースの先端に細い穴をいくつも開けた。千枚通しがないので、加熱した鉄の棒で開ける。
ティルネが、その作業を横で見ていた。
「……何をしているんですか」
「穴を開けている」
「なぜ溶かすんですか」
「千枚通しがない。熱で溶かした方が綺麗に開く」
「そういうものですか」
「そういうものだ」
穴が八つ開いた。均等な間隔で。
ポリタンクに川の水を入れて、蓋を閉める。ホースを繋ぐ。先端を下に向ける。
水が出た。
八つの穴から、細い水流が同時に流れ落ちる。
ティルネが、目を丸くした。
「……水が、穴から出てきた」
「シャワーだ。上から水を浴びる仕組みだ」
「こんなものが作れるんですね」
「穴を開けただけだ」
「でも……」
「水は高いところから低いところに流れる。穴があれば出る。当然だ」
ティルネが、シャワーから落ちる水を手で受けた。
細い水流が、掌を叩く。
「……気持ちよさそうですね」
「そのために作った」
【「フワレン、今日は素直だな。」】
「うるさい」
☆
排水の問題は、少し手間がかかった。
風呂で使った水をどこに流すか。そのまま地面に流すと、拠点の足元がぬかるむ。水はけの悪い場所なら、水が溜まって衛生問題になる。
排水は、浸透枡にする。
「穴を掘る。深さ五十センチ、幅も五十センチ。ここに砂利と砂を層にして詰める。水がゆっくり地面に吸収される仕組みだ」
「また穴を掘るんですか」
「トイレとは別の場所だ。距離を取る」
「なぜ距離を取るんですか」
「トイレの近くに水が流れると、地下で汚染が混じる可能性がある」
「そこまで考えるんですね」
「当然のことだ」
ティルネと二人で穴を掘った。シャベルを交代で使う。三十分ほどで必要な深さが出た。
底に大きめの砂利を入れて、次に細かい砂利、最後に砂。その上に板を渡して、人が踏んでも崩れないようにする。板には隙間を開けて、水が通る。
桶からここまで、ホースで繋いだ。
試しに水を流す。
ホースを伝って排水枡に流れ込み、砂利の層にゆっくり吸収されていく。地面に水が広がらない。
「……消えましたね」
「地面に吸収された」
「魔法みたいですね」
「仕組みだ。魔法じゃない」
【「おまえはいつもそう言うな。」】
「事実だからだ」
【「まあそうだが。」】
☆
石鹸は、午後から取り掛かった。
材料は二つ。廃油と、草木灰だ。
廃油は先日処理したものの残りがある。草木灰は焚き火の灰から取れる。毎日焚き火をしているので、灰は十分に溜まっていた。
「石鹸を作る」と錬は言った。
「せっけん……?」
「体や手を洗うものだ。泡が立つ」
「泡が立つもので洗うんですか」
「汚れが落ちやすくなる」
「ゴミから作れるんですか」
「灰と油からできる。昔からある作り方だ」
ティルネが、焚き火の灰を見た。
「……この灰から?」
「ああ」
「信じられない」
「やってみればわかる」
まず灰を水に溶かして、アルカリ液を作る。灰の中の炭酸カリウムが水に溶けてアルカリ性になる。これを布でろ過して、固形物を取り除く。
ティルネが、ろ過した液を覗き込んだ。
「……透明になりましたね」
「アルカリ液だ。強いアルカリだから素手で触るな」
「触ると?」
「肌が溶ける」
ティルネが、さっと手を引いた。
「……怖いですね」
「だから石鹸を作る。アルカリと油を混ぜると、アルカリが中和されて安全になる」
「混ぜると安全になるんですか」
「化学反応だ。鹸化と言う」
「けんか……」
「気にしなくていい。混ぜると石鹸になる、という事実だけ覚えればいい」
廃油を温めて、アルカリ液を少しずつ加えながら混ぜ続ける。湯煎で温度を管理する。木の棒でゆっくりと。
十分ほど混ぜていると、液体がとろみを帯びてきた。
「……変わってきましたね」
「鹸化が進んでいる。もう少しだ」
さらに混ぜる。
液体が、ペースト状になってきた。
型に流し込む。型は段ボールを折って作った。固まるまで一日置く。
「……これで石鹸になるんですか」
「明日には固まる。使えるまでにはもう少しかかるが、弱い石鹸としてなら明日から使える」
「一日で」
「材料が揃えば、作るのは難しくない」
ティルネが、型に入ったペーストを見つめた。
「……灰と油から石鹸ができる。川の水が飲めるようになる。排水が地面に消える。風呂ができる」
錬は道具を片付けながら、黙っていた。
「フワレンは、どこで全部覚えたんですか」
「本だ」
「本……?」
「暇なときに読んでいた。サバイバルの本、化学の本、建築の本。ジャンルは選ばなかった」
「なぜそんなに」
少し間があった。
「……仕事を失いそうだった時期があった。その間に読んだ」
ティルネは、それ以上聞かなかった。
錬も、それ以上言わなかった。
【「フワレン。」】
「なに」
【「今日、全部できたな。」】
「仕切りとシャワーと排水と石鹸だ。計画通りだ」
【「計画通りね。」】
「なに」
【「いや、別に。」】
K2が、何か言いかけてやめた。
珍しい、と錬は思った。K2が言いかけてやめることは、あまりない。
「言いたいことがあるなら言え」
【「……おまえ、今日ずっとティルネのために動いてたよな。仕切りも、シャワーも、石鹸も。全部。」】
「衛生上の問題だ」
【「そうだな。」】
「そうだ」
【「……まあ、そうだな。」】
K2は、それ以上何も言わなかった。
錬も、答えなかった。
焚き火が揺れている。
明日、石鹸が固まる。それを確認してから、食料の問題に入る。やることは、まだある。
☆
夜、風呂が完成したことをティルネに伝えた。
「明日の夕方から使える。湯を沸かすのに少し時間がかかる」
「楽しみですね」
「先に俺が確認する。問題なければお前が使え」
「確認、というのは」
「石鹸も桶も、作ったばかりだ。俺が先に使って問題がなければ渡す」
ティルネが、少し間を置いた。
「……そういうものですか」
「作ったものは必ず確認する」
「わかりました」
【「……優しいな。」】
「品質管理だ」
【「そうだな。」】
K2が、珍しく素直に引いた。
ティルネが、小さく笑った。




