第五話「作業台が完成した。次の設計図は、もう頭の中にある」
五日目の朝、錬は古新聞の余白に線を引いていた。
設計図だ。
焚き火の消し炭を削って細くしたもので書く。ペン代わりだ。線は細くならないが、寸法と構造が読み取れれば十分だ。
今日作るのは、作業台。
地面に直置きで作業するのには限界がある。中腰で長時間やると腰に来る。工具を置く場所がない。部品が土で汚れる。拠点の作業効率を上げるには、まず足元を固める必要がある。
設計はシンプルだ。廃木材を組んだ台。高さは錬の肘の位置に合わせる。天板は平らに。足は四本、それぞれ斜めに補強材を入れてぐらつきを防ぐ。
問題は材料だ。
「K2」
【「なんだ。」】
「廃木材が欲しい。できれば同じくらいの厚みのやつ。あとボルトかネジ」
【「ちょっと待て。」】
圧縮板が動いた。
出てきたのは、角材が四本。長さはバラバラだ。一本は途中で折れている。もう一本は片側が腐りかけていた。使えるのは二本だけだ。
続いて、ネジの袋。半分ほど入っている。錆が出ているものが混じっているが、使えるものを選別すれば足りる。
【「こんなもんだ。角材が足りないな。」】
「合板か板材はあるか」
【「少し待て。」】
また圧縮板が動いた。
合板が一枚。薄い。天板には向かないが、補強材として使えば足りる。
「これで作る」
【「足りないのに作れるのか。」】
「設計を変える。材料に合わせて設計するのは当然だ」
【「……なるほどな。」】
☆
ティルネが起きてきたのは、錬が木材を切り始めた頃だった。
ノコギリは錆びているが、刃はまだ生きている。引くたびに金属の音が森に響く。
ティルネは焚き火に枝をくべながら、その作業を見ていた。
「……また何か作っているんですか」
「作業台だ」
「作業台」
「ものを作るための台。今まで地面でやっていたが、効率が悪い」
「効率……」
「腰も痛い」
ティルネが、少し目を丸くした。
「フワレンが痛いと言うのは珍しいですね」
「別に珍しくない」
【「三日間一言も言わなかったくせに。」】
「うるさい」
「……三日間、痛かったんですか」
「作業に支障がなかった」
【「動けなくなってから言うつもりだったのか。」】
「うるさい」
ティルネは、口元を手で押さえた。笑っているのをこらえているらしい。
錬はノコギリを動かし続けた。
☆
午前中いっぱい使って、作業台の骨格ができた。
ティルネが手伝った。板を押さえる、材料を渡す、工具を持っておく。言われなくても動く。逃亡生活で身についた動き方は、作業の補助にも向いている。
骨格にネジを打ち込んでいく。錆のないものを選んで使う。補強材を斜めに入れる。ぐらつきを確認する。問題ない。
天板に合板を張る。薄いので二枚重ねた。ずれないようにネジで固定する。
立ち上がって、台を軽く叩いた。
動かない。
「できた」
ティルネが、台を眺めた。
廃木材と錆びたネジと薄い合板で作られた、素朴な代物だ。色もバラバラで、一枚だけ腐りかけた木材の跡が茶色く残っている。
「……なんというか」
「なに」
「ゴミで作ったんですよね」
「ゴミだ」
「ゴミなのに、ぐらつかないんですね」
「計算通りだ」
「計算……」
ティルネが、錬が朝書いた設計図を拾い上げた。
古新聞の余白に走る黒い線。数字と矢印と、錬にしか読めない略記。
「……これが設計図ですか」
「ああ」
「読めません」
「読めなくていい」
「でも、これ通りに作ったんですか」
「ほぼ」
「ほぼ?」
「材料が足りなかった部分で設計を変えた。完成品の方が正しい」
ティルネが、設計図と作業台を見比べた。
それから、
「……設計図と完成品が、こんなに違うのに」
「違うのは一箇所だ。補強材の位置を変えた」
「どこですか」
「脚の内側。外側に入れる予定だったが、材料が短かったので内側にした。強度は変わらない」
ティルネが、台の脚の内側を覗き込んだ。
確かに、斜めの補強材が内側から入っている。
「……ほんとうだ」
「当然だ」
【「フワレン。そこ、外側の方が荷重分散がよかったんじゃないか。」】
「内側でも問題ない範囲だ。計算した」
【「……まあそうだな。俺の言い方が悪かった。」】
ティルネが、スマホを見た。
「K2は、こういうことがわかるんですか」
【「わかることとわからないことがある。なんでかは俺にもわからん。」】
「なんでかわからない、というのは」
【「情報が来るときと来ないときがある。今日は来てる。明日はわからない。」】
ティルネが、少し考えた。
「……もしかして、それはわたしの魔法と関係があるかもしれません」
錬の手が止まった。
K2も、何も言わなかった。
☆
三人分の沈黙が、少しの間続いた。
ティルネは、台の縁に手を置きながら、ゆっくりと話し始めた。
「わたしの魔法に、リバースという名前がついています。本来は逆転させる力——Reverseです。本来、魔法使いが扱えるのはその一つだけのはずで」
「はずで、というのは」
「わたしには、もう一つ出てしまうことがあるんです。再生させる力——Rebirth。命がないものに命を吹き込むような力が……使えないはずなのに、出てくる。名前は同じリバースでも、本来は別の魔法です」
「一つ聞いていいか」
「はい」
「逆転させる魔法があるなら、引き戻す魔法もあるんじゃないか。イヤリングを戻したいなら、そっちを使えばよかったんじゃないか」
ティルネが、少し目を丸くした。
「……あります。Returnという、引き戻す魔法が」
「なぜ使わなかった」
「どこにあるかわかっているものにしか使えないんです。イヤリングがどこに飛んだか、わたしにはわからなかった。だからReturnが使えなくて……代わりに、イヤリングが手元にあった状態に逆転させようとReverseを使いました」
「それで制御が崩れた」
「はい。Reverseを使おうとした瞬間、Rebirthが一緒に出てしまって」
錬は工具を置いて、ティルネを見た。
「それが問題なのか」
「本来どちらか一つしか使えない。両方使えること自体が、あってはならないことなんです。それぞれが別々に出るならまだ制御できたかもしれないけれど……わたしは同時に出てしまうことがある。あのときも、そうなりました」
【「……」】
K2が、何も言わなかった。
珍しい、と錬は思った。K2が黙るのは、何かを考えているときか、何かを言いたくないときだ。
「つまり」
錬は続けた。
「転移のときに、そのイヤリングの意思か何かが再生されて、K2になったということか」
「推測ですが……そうかもしれません」
また沈黙。
【「……俺の話をしてるのか。」】
「してます」
【「あんまり気持ちのいい話じゃないな。」】
「すみません」
【「謝るな。事実なら仕方ない。」】
K2の声に、いつもの毒気がなかった。
錬はそれに気づいたが、何も言わなかった。
「K2」
【「なんだ。」】
「自分がそうだと思うか」
少し間があった。
【「……わからない。
俺が俺であることはわかる。
でも、なぜ俺が俺なのかはわからない。」】
ティルネが、スマホを見つめていた。
「イヤリングは……わたしの家から逃げるときに持ち出したものです。大切にしていたものでした」
【「それは知らなくていい。」】
「でも」
【「知らなくていい。俺は俺だ。もとが何であれ。」】
ティルネが、口を閉じた。
錬も、何も言わなかった。
焚き火が揺れている。風が少し出てきた。
「一つ、わからないことがある」
錬が言った。
「なんですか」
「イヤリングはなぜ現実世界に飛んだ。お前の世界から、俺のいた世界に」
ティルネが、少し考えた。
「……わかりません。気づいたら手元になくて」
「意図して飛ばしたわけじゃないのか」
「ないです。逃げるのに必死で、気づいたらなくなっていて」
【「魔法が勝手に発動したとか。」】
「それも考えました。でも、あのとき魔法を使った記憶がなくて」
三人、少し黙った。
「イヤリング自体に何かあったのか」
「大切にしていたものでしたが、特別な力があるとは思っていませんでした」
【「……わからないな。」】
「わからない」
錬も、短く言った。
今わかることは出尽くした。答えが出ない問いをこれ以上続けても意味がない。
焚き火が、また揺れた。
しばらくして、
【「フワレン。」】
「なに」
【「次は何を作る。」】
いつもの口調に戻っていた。
錬は少し間を置いて、答えた。
「かまどだ。食料の問題に入る」
【「食料の調達はどうする。」】
「ティルネに聞く。この辺で食えるものを知っているか」
ティルネが、顔を上げた。
「食べられるものですか」
「ああ。植物でも動物でもいい。逃亡中に知ったものがあれば」
「……いくつかあります。木の実と、川魚と、食べられる草の種類を少し」
「それで今夜はしのげるか」
「しのげると思います」
「ならそこから始める。かまどは午後から作る」
ティルネが、また少し目を丸くした。
「……フワレンは、切り替えが速いですね」
「考えることが終わったら次に行く」
「K2の話は」
「終わった」
【「終わったのか。」】
「今わかることは全部出た。続きは後でわかることが増えてから考える」
【「……まあ、それでいいか。」】
K2が、短く言った。
ティルネは、錬とスマホを交互に見て、それから小さく笑った。
今日で何度目かは、もう数えていない。
☆
午後から、かまどに取り掛かった。
石を積んでU字型の燃焼室を作る。隙間にはティルネが運んできた粘土を詰めた。この辺りの川岸に粘土質の土があることは、三日前から気になっていた。
ティルネが石を選んで運んでくる。大きさが揃っているものを選ぶよう指示した。最初はばらばらだったが、三往復目から精度が上がってきた。
「……どのくらいの大きさがいいですか」
「握り拳より大きくて、頭より小さいもの。平らな面があると積みやすい」
「なるほど」
四往復目からは、言われなくても正しい石を選んでくる。
錬はそれを見ながら、石を積み続けた。
燃焼室の後ろ側に、煙突用の開口部を作る。ここに廃パイプを差し込んで煙を逃がす。パイプはL字型に曲げた——曲がっていた廃材をそのまま使った。
完成したのは夕方だった。
最初の火を入れる。
乾いた草と細い枝で火種を作り、燃焼室に入れる。空気取り入れ口から風を送ると、火が大きくなった。煙が、煙突から上に抜けていく。
ティルネが、横から見ていた。
「……煙が出ませんね。拠点の中に」
「設計通りだ」
「石を積んだだけなのに」
「積み方がある。気流の流れを計算する」
ティルネが、煙突の先を見上げた。煙が細く、上へ真っ直ぐ抜けていく。
「……あの、フワレン」
「なに」
「煙が出ることは、大丈夫なんですか」
「どういう意味だ」
「追手に、見つかりませんか。煙が上がっていたら、居場所がわかってしまうのでは」
錬は少し間を置いた。
「考えていた」
「では」
「ロケットストーブ型にした。燃焼室をL字にすると二次燃焼が起きて、煙が大幅に減る。完全にゼロにはできないが、焚き火より遥かに少ない」
ティルネが、煙突をもう一度見た。確かに煙は細い。焚き火のときより格段に少ない。
「……気づいていたんですね」
「火を使うと決めたときから考えていた。あとは森が深い。多少の煙は木々に拡散される。すぐに問題になるとは思わないが、油断はしない」
「でも、いずれは」
「いずれ問題になる。そのときは別の手を考える」
ティルネが、少し黙った。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない。お前が追われている以上、俺の設計にも関わる」
短く言って、かまどの火の状態を確認した。
「計算……」
ティルネが、かまどをじっと見た。
「フワレンは、全部計算するんですね」
「できる限り」
「できない部分は」
「やってみてから直す」
「それで怖くないんですか」
錬は少し考えた。
「怖い、という感覚がよくわからない。何かが起きたら対処する。対処できないことは起きてから考える。それで今まで来た」
ティルネが、また何かを言いかけた。
今度は、止めなかった。
「……あなたは、ずっとそうやって生きてきたんですか」
「そうだと思う」
「疲れませんか」
答えなかった。
疲れるかどうか、考えたことがなかった。やることがあれば手が動く。手が動いている間は疲れを感じない。止まったときに気づく。でも止まることが少ないから、よくわからない。
「わからない」
正直に言った。
ティルネは、その答えを聞いて、また小さく笑った。
「……フワレンが『わからない』と言うのも、珍しいですね」
「俺をなんだと思ってる」
【「全知全能のなんかだと思ってたんじゃないか。」】
「うるさい」
焚き火から、かまどに移した火が安定してきた。
ティルネが採ってきた川魚を、廃鍋に入れて乗せる。水を足す。沸いたら食える。
今夜は、ここから始める。
【「フワレン。」】
「なに」
【「かまど、うまくいったな。」】
「当然だ」
【「……褒めてるんだが。」】
「知ってる」
K2が、少し間を置いた。
【「……おまえは本当に、褒められ慣れてないな。」】
「うるさい」
【「事実を言っただけだ。」】
ティルネが、また笑った。
今日は何度笑ったか、もう覚えていない。
鍋が、少しずつ温まってきた。




