第十二話「塩を探しに行く。二人で、上流へ」
十二日目の朝、二人は川の上流へ向かった。
荷物は最小限だ。水筒二本。食料は木の実と昨夜の残りの肉を干したもの。工具は小型のナイフ一本と、容器が数個。
出発前に、錬は燃料計を確認した。
針が、また下がっていた。
廃油でしのいでいるが、廃油の質は一定ではない。不純物が多いものを使い続けると、燃料フィルターが詰まる。先日から少し気になっている。
今すぐどうにかなる問題ではない。ただ、放置すると後で困る。帰ったら本格的に手を打つ必要がある。
「……行きますか」
ティルネが、川岸で待っていた。
「ああ」
錬は燃料計から目を離して、歩き出した。
☆
川沿いの道は、思ったより険しかった。
平坦な森の中とは違う。岩が増えて、地面が上がっていく。足元が濡れている場所も多い。ティルネは逃亡中に何度か通っているので、足取りは確かだ。錬は一歩遅れてついていく。
「……この辺りは、追手がよく通る道ですか」
歩きながら、錬が聞いた。
「いいえ。ガルヴェの組織は主に街道を使います。川沿いの山道はあまり好まないはずです」
「はずです、では困る」
「……おそらく大丈夫です。わたしが逃亡中にこの道を選んだのも、そういう理由でした」
「わかった」
二人は黙って歩いた。
鳥の声が変わっていく。標高が上がるにつれ、森の様子が変わる。木が細くなって、空が開けてくる。
錬は歩きながら、周囲を見ていた。
植生。地質。水の流れ方。この辺りにどんな資源があるか、頭の中で整理していく。
「フワレン」
「なに」
「歩きながら何か考えていますか」
「ああ」
「何を」
「この辺りで取れるものを確認している。石の種類と土の質と、水の流れ方から、何があるかだいたい読める」
「何がありますか」
「石灰岩がある。石灰岩があれば、後でモルタルが作れる。建材として使える」
「歩きながらそんなことを」
「手が空いているときに考えておかないと、あとで気づいて損をする」
ティルネが、少し笑った。
「……フワレンと歩くと、ただの散歩じゃないんですね」
「散歩ではない。資源調査だ」
「そうですね。わかっています」
☆
目的地に着いたのは、昼前だった。
川が岩盤の間を流れる場所で、岩の表面に白い析出物がついている。ティルネが立ち止まった。
「……ここです。この岩の表面の白いものが、塩辛かった」
錬は岩に近づいて、指で触れた。少し舐める。
塩辛い。
弱いが、確かに塩味がある。岩塩ではなく、地下から塩分を含んだ水が染み出して蒸発したものが析出している。
「採れる量はどのくらいだと思うか」
「……わかりません。わたしは少し舐めただけで、採ろうとはしなかったので」
「岩の表面を削れば今日だけでかなり採れる。ただ、定期的に来ないといけない。一度削り取ると、次の析出まで時間がかかる」
「それは困りますか」
「困らない。定期的に来ればいい。ここへのルートを覚えておく」
錬は持ってきた容器に、岩の表面を削った粉と、析出物を丁寧に集めた。ティルネも手伝った。二人で一時間ほどかけて、容器が三つ、ほぼ満杯になった。
「……これで塩が作れますか」
「このままでは不純物が多い。水に溶かして、ろ過して、煮詰めれば精製できる。浄水器と同じ原理だ」
「浄水器と同じ」
「不要なものを取り除いて、必要なものを残す。やることは同じだ」
ティルネが、岩の白い表面を見た。
「……捨てられているわけじゃないですが、これも錬の得意なものですね」
「何が」
「必要なものを取り出すこと」
錬は答えなかった。
容器の蓋を閉めた。
☆
帰り道、ティルネが口を開いた。
「……フワレン」
「なに」
「ここに来るのが少し怖かったです」
「追手のことか」
「それもありますが……フワレンと二人で長時間歩くのも」
錬は、少し間を置いた。
「なぜ」
「何を話せばいいかわからなくて。フワレンはあまり話さないし、沈黙が続いたらどうしようと思って」
「沈黙は別に構わない」
「構いませんか」
「黙っていることで失うものはない」
「……そうですね。実際、そんなに気まずくなかったです」
「話したいことがあれば話せばいい。なければ黙っていればいい」
ティルネが、川の流れを見ながら言った。
「……フワレンはそういう人ですね。黙っていることを怖がらない」
「怖がる必要がない」
「わたしは怖かったんですよ。昔は」
「昔は?」
「貴族社会では、沈黙は失礼とされていました。常に何か話さなければいけなくて、何を話すかより、話し続けることが重要で……疲れていました」
錬は、それを聞いて少し黙っていた。
「……それで逃げたのか」
「一つの理由です」
「話すことが嫌だったのか、話さなければいけないことが嫌だったのか」
ティルネが、少し考えた。
「……後者です。話すことは好きです。ただ、意味のないことを延々と話さなければいけないのが、苦手で」
「ここは意味のないことを話さなくていい」
「知っています」
「それは楽か」
「……とても」
川の音が続いている。
二人は並んで歩いた。
☆
拠点に戻ったのは、夕方だった。
塩の精製は翌日に回すことにした。まず、燃料計を確認した。
朝より、さらに下がっていた。エンジンは一日かけていない。それでも減る——タンクから少し滲んでいるか、計測の問題か。いずれにせよ、残量が想定より少ない。
エンジンをかけてみた。かかった。音を聞く。少し引っかかるような音がある。フィルターが詰まり始めているかもしれない。
錬はエンジンを切って、フィルターを確認した。
詰まっていた。
廃油の不純物が蓄積している。今すぐ動けなくなるレベルではないが、このまま使い続ければ一週間以内に問題が出る。
【「フワレン、顔が変わってるぞ。」】
「燃料フィルターが詰まっていた」
【「深刻か。」】
「今すぐではないが、対処しないと止まる」
【「どうする。」】
「フィルターを清掃して、燃料の質を上げる。廃油だけでは限界がある。バイオディーゼルを作る必要がある」
【「バイオディーゼル。前に少し話してたやつか。」】
「植物油から作る。廃油より質がいい。フィルターへの負担が減る」
【「材料は?」】
「植物油が必要だ。この辺りに油が取れる植物があるかどうか、ティルネに聞く」
ティルネが、荷物を置いて戻ってきた。
「何の話ですか」
「植物から油を取れるものを知っているか。種でも実でも」
ティルネが、少し考えた。
「……油実という木が、少し離れた場所にあります。その実を搾ると油が出ます。料理にも使いますが、灯りにも使っていた、と聞きました」
「それだ。明日、案内してくれ」
「また遠出ですか」
「今日より近い。半日もかからないはずだ」
ティルネが、少し疲れた顔をしながら、それでもうなずいた。
「……わかりました」
錬は少し間を置いてから、もう一つ言った。
「あと、もう一つ話がある」
「なんですか」
「追手のことだ」
ティルネの顔が、少し変わった。
「……何か」
「今日、上流へ往復した。外から見て、この拠点がどう見えるか確認できた」
「どう見えましたか」
「遠くからは木々に隠れてわかりにくい。ただ車が問題だ。色が目立つ。晴れた日に光が当たると、木々の間から反射が見える」
ティルネが、少し黙った。
「……ずっと気になっていました。でも言い出せなくて」
「なぜ」
「フワレンが作ったものを、隠せと言うのが……なんとなく」
「隠すのは当然だ。目立てば見つかる。見つかれば対処が複雑になる」
【「具体的にどうする。」】
「三つやる。車のカモフラージュ。ティルネの隠れ場所。それから追手が近づいたら気づける仕組みだ」
ティルネが、少し目を丸くした。
「三つ全部ですか」
「優先度が高い順にやる。まず車だ。枝と葛を使って表面を覆う。動かせるように固定は最小限にする」
「隠れ場所は」
「拠点から少し離れた場所に穴を掘る。天井を板と土で覆えば地下に空間ができる。追手が来たとき、ティルネはそこに入る」
「地下に……」
「狭いが、見つかるよりいい。換気と食料の備蓄も考える」
「警報の仕組みは」
「拠点の周囲に細い糸か蔓を張る。獣でも人でも踏めば音が出る仕掛けだ。缶を吊るして、引っかかれば音が鳴る」
【「ロープトラップみたいなやつか。」】
「そうだ」
ティルネが、三つの対策を頭の中で整理するように少し黙っていた。
「……フワレン、これはいつから考えていたんですか」
「今日の帰り道、川沿いを歩きながら」
「今日考えたんですか」
「塩を採りに行って、帰り道が長かった。その間に考えた」
「……歩きながら資源調査と防衛計画を同時に」
「手が空いているときに考える。当然のことだ」
ティルネが、何か言いかけてやめた。
それから、静かに言った。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない。お前が安全でないと、俺の設計も意味がない」
【「建前が上手くなったな。」】
「うるさい」
「え——」
「K2だ」
ティルネが、今日何度目かの笑い声を上げた。
【「フワレン。」】
「なに」
【「今日はもう休め。二人とも疲れてる。」】
錬は少し間を置いた。
「……わかった」
【「珍しく素直だな。」】
「疲れているからだ」
【「正直だな、それも。」】
ティルネが、くすりと笑った。
今日何度目かは、もう数えていない。
焚き火を起こして、干し肉と木の実で夕食にした。塩はまだ精製できていない。それでも、温かいものを食べると、体が少し楽になる。
夜、眠る前に錬はもう一度燃料計を見た。
明日、油実の木を見つける。
それで、また少し先が見える。
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**(第十二話、了)**
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*次回:第十三話「植物油から燃料を作る。これが、ここで生き続けるための手だ」*




