測量
三崎に呼ばれた。会議室。青白い光。スライド。
「耐性問題。知ってるな」
AI音楽のヘビーリスナー層で感情反応の鈍化が進行している。半年間の下降トレンド。四半期の数字に響く。知っている。
三崎がスライドを切り替えた。鈍化しているリスナーの中に、反応が回復しているサブグループ。共通する行動履歴。全員、ある生身のシンガーのライブに通っている。
写真が表示された。
小さなステージ。白いニット。ギター。
凪紗だ。
「このシンガーの声と観客データを同時にキャプチャして、メカニズムを解明してくれ。瀬尾にはAI側のモデル調整を進めてもらう」
三崎は淡々と指示を出している。三崎の声が徐々に遠くなって――俺は画面を見ていた。凪紗。十九歳。シンガーソングライター。下北沢を中心に活動。レーベル無所属。
知ってる。全部知ってる。チキンカレーが好きなことも、荷物を整理しないことも、二曲目のサビで声がひっくり返ったことも。
「霧島?」
「——やります」
席に戻った。瀬尾がタブレットで凪紗のプロフィールを見ていた。
「面白いサンプルだな」
先月なら何も感じなかった言葉だ。今日は、引っかかった。
翌週の土曜日。〈グランドライン〉。
鞄の中に測定機器が入っていた。小型のセンサーアレイとマイク。オーナーには調査協力費を払って設置許可を取った。
凪紗はステージで歌っていた。いつもと同じ声。同じギター。同じ笑い方。
俺は最後列で聴いていた。いつもと同じように。ただ、足元に測定機器がある。凪紗の声を聴きながら、同時にそれをデータとして収集している。
ライブが終わった。凪紗が出てきた。
「陸さん、今日も来てくれたんだ」
いつもの笑顔だった。俺はうまく笑い返せなかった。
「実は——」
凪紗が首をかしげる。「ん?」
「——いや、今日も良かった」
そうじゃない。
帰り道、自分が何をしているのかわからなかった。いや、わかっている。俺は彼女の声を仕事として調査しに来た。彼女に黙って。言えなかった。言えば今の関係が壊れるかもしれない。
でも言わなければ、嘘をつき続けることになる。
事実と理屈で判断する。それが俺のやり方だった。事実は明白だ。俺は凪紗に対して不誠実なことをしている。理屈で考えれば、早く言ったほうがいい。遅くなるほど、ダメージが大きくなる。
わかっている。次こそは。
翌週もライブに行った。測定機器を持って。データを取って。凪紗と話して。
――言えなかった。
瀬尾が動いたのは、その翌週だった。
俺の調査が進んでいない。メカニズム解明の着地が見えない。瀬尾は三崎に提案した。凪紗の声をAIシンガーにフィルタとして適用する。メカニズムはわからなくても効果だけ再現する応急処置。ただしフィルタの効果は減衰する。持続させるには、定期的に新しいライブ音声を収録し続ける必要がある。
スポンサード契約。企業がライブハウスの運営費を補助する代わりに、ライブ音声の収録権と加工・二次利用権を取得する。凪紗の声の特性を別のAIシンガーに適用する権利。凪紗の声を――型にはめる。
三崎は通した。
瀬尾が〈グランドライン〉を訪ねた。俺は同行しなかった。できなかった。
夜、瀬尾からメッセージ。
「あのシンガーに会ってきた。契約の説明した。検討するってさ」
一行空けて。
「お前と同じ会社だって言ったら驚いてたぞ」
次のライブに行った。凪紗はいつも通り歌っていた。同じ声。同じギター。何も変わっていなかった。
ライブが終わって、凪紗が出てきた。俺は声をかけようとした。
凪紗は俺を見た。
「ありがとう、聴いてくれて」とは言わなかった。
少し間があった。
「陸さんて、最初から、そうだったんだね」
静かな声だった。怒ってはいなかった。責めてもいなかった。自分にとって確かなことを、静かに口にする声だった。
「違う——最初は——」
「ごめんね、今日はちょっと片付けあるから」
凪紗はそう言って、ステージ裏に戻った。振り返らなかった。
帰り道、イヤホンをつけた。プレイリストを流した。何も聴こえなかった。




