エピローグ「金木犀の咲く庭で」
あれから数年が経った。
駅前の商店街の一角に、小さなビストロがオープンした。
店の名前は『Cèdre & Osmanthus』。シダーウッドと金木犀という意味だ。
オーナーシェフは桐島蓮。そして、経営とホールを担当するのは月代凪。
店は連日大盛況だ。蓮の作る料理の味はもちろん、イケメンシェフと美しいマネージャーのカップル目当ての客も少なくないとか。
「いらっしゃいませ!」
ランチタイムの忙しさがピークを迎える中、俺はホールを駆け回っていた。
厨房を見ると、蓮が真剣な眼差しでフライパンを振っている。額に汗を浮かべ、指示を飛ばすその姿は、最高にかっこいい。
目が合うと、蓮は一瞬だけ表情を崩し、ウインクをしてきた。
俺も小さく微笑み返す。
父とは、あれ以来一度も会っていない。風の噂では、俺が自力で大学を卒業し、店を成功させたことを知って、少し気にかけているらしいが、今さら会うつもりはない。
俺には、新しい家族がいる。
蓮と、蓮の両親と、そしてこの店に集まる常連客たち。
ランチタイムが終わり、準備中の札をかけた店内で、俺たちは遅い昼食をとっていた。
「疲れたか?」
蓮がコーヒーを淹れてくれる。
「ううん、心地よい疲れだよ。今日もたくさんのお客さんが来てくれてよかった」
「お前の計算通りだな。原価率の管理も完璧だ」
「ふふ、それが僕の仕事だからね」
俺たちは向かい合って座り、コーヒーを啜る。
店の裏庭には、一本の金木犀の木が植えられている。蓮が開店祝いに植えてくれたものだ。
秋になれば、あの甘い香りが店を包むだろう。
俺の本来の匂いであり、蓮が愛してくれた香り。
「なぁ、凪」
「ん?」
「幸せか?」
蓮が不意に尋ねてきた。
俺はカップを置いて、真っすぐに彼を見た。
「うん。世界で一番幸せ」
「……そっか。俺もだ」
蓮が手を伸ばし、俺の手を握る。左手の薬指には、お揃いのシルバーリングが光っている。
高校時代の屋上から始まった、共犯関係。
それは時を経て、最強のパートナーシップへと進化した。
これからも、いろんなことがあるだろう。でも、この手の温もりがある限り、俺たちは大丈夫だ。
匂いで惹かれ合い、心で結ばれた俺たちの物語は、この場所からまた新しく紡がれていく。
甘く、深く、そして永遠に。




