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狂犬アルファと秘密の優等生オメガ~屋上の共犯関係から始まる、とろけるような溺愛巣作り生活~  作者: 水凪しおん


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第1話「フェンス越しの共犯者」

【登場人物紹介】

◆桐島 蓮(18歳)

種性:アルファ

鋭い目つきと長身、ぶっきらぼうな物言いで「狂犬」と恐れられる学校一の有名不良。しかし実際は面倒見が良く、料理が得意という家庭的な一面も。群れることを嫌い、屋上を根城にしている。オメガやベータを見下す風潮を嫌っている。凪の隠された苦悩にいち早く気づき、不器用ながらも守り抜こうとする。

匂い:深く落ち着くシダーウッドと、微かな煙草の残り香。


◆月代 凪(18歳)

種性:オメガ(周囲にはベータと偽装中)

生徒会副会長を務める才色兼備の優等生。整った容姿と柔らかな物腰で人気があるが、実はオメガであることを隠すために強力な抑制剤を常用している。過去のトラウマから「完璧でなければ捨てられる」という強迫観念に囚われている。蓮との出会いにより、凍り付いた心が溶かされていく。

匂い:普段は無臭(抑制剤のため)。本来は甘く切ない金木犀の香り。

 空はどこまでも高く、残酷なほどに青かった。


 視界を遮るもののない屋上の、そのコンクリートの床に寝転がると、背中から伝わる冷たさが制服の生地を通してじんわりと肌に染みてくる。


 五月の風はまだ少し乾いていて、鼻先をくすぐる埃っぽい匂いと共に、遠くからグラウンドで歓声を上げる生徒たちの声を運んできた。まるで水槽の外の出来事のように、世界はあんなにも騒がしいのに、この錆びついた扉の向こう側だけが、俺、桐島蓮に許された静寂だった。


 授業をサボるのにも飽きてきた頃だ。そろそろ昼休みが終わるチャイムが鳴るだろうか。そう思って、ポケットからスマートフォンを取り出そうとした時、重たい鉄の扉が軋んだ音を立てて開いた。


 反射的に身を起こし、給水塔の陰に身を隠す。


 教員が見回りに来たのかと思ったが、足音は存外に軽く、頼りない。


 現れたのは、ひどく線の細い男子生徒だった。


 艶のある黒髪が風にさらわれて揺れている。綺麗にアイロンがかけられた真っ白なシャツに、緩みひとつないネクタイ。どこからどう見ても、この学校の模範となるべき優等生の姿だ。


 見覚えがあった。生徒会副会長の月代凪だ。全校集会で壇上に立ち、つまらない祝辞を読み上げていたあいつ。俺とは住む世界が違う、きらきらとした側の人間。


 だが、今のあいつの様子は、壇上の姿とは似ても似つかなかった。


 ふらつく足取りでフェンス際まで歩み寄ると、震える手でブレザーの内ポケットから小さなピルケースを取り出す。その指先は白く、まるで陶器のようにもろく見えた。


 あいつは周囲を警戒するように一度だけ振り返ったが、給水塔の死角にいる俺には気づかない。


 俺は息を殺した。本能が告げている。見てはいけないものを見ている、と。


 凪は苦しげに顔をゆがめると、ピルケースから取り出した数錠の白い錠剤を、水もなしに口の中へと放り込んだ。


 喉がごくりと動く。その動作すらも痛々しい。


 直後、あいつはその場にうずくまり、激しく咳き込んだ。


「……っ、う、ぅ……」


 漏れ出したのは、か細い悲鳴のような吐息。


 風向きが変わった。


 屋上を吹き抜ける風が、あいつの身体を撫でて、俺の方へと流れてくる。


 その瞬間、鼻の奥をくすぐった匂いに、俺は思わず眉間にしわを寄せた。


 消毒液のようなツンとした刺激臭。その奥に隠された、果実が熟れすぎて腐り落ちる寸前のような、甘ったるくも悲痛な香り。


 ――オメガだ。


 それも、無理やり本能を抑え込んでいる、悲鳴のようなフェロモン。


 月代凪はベータとして通っているはずだ。この学園でオメガであることを公言している生徒は少ない。差別や偏見が表向きにはなくなったとはいえ、未だに「オメガは守られるべきか弱い存在」あるいは「性の対象」として見られる風潮は根強い。特に、進学実績を重視するこの進学校において、ヒートで授業に穴をあける可能性のあるオメガは、無言の圧力によって肩身の狭い思いを強いられる。


 だから、隠しているのか。


 あんな劇薬じみた抑制剤を、規定量を超えてのみ込んでまで。


 俺の中で、何かがカチリと音を立てて噛み合った。退屈だった灰色の日常に、一石が投じられたような感覚。


 放っておけばいい。関われば面倒なことになる。俺はアルファだが、本能に振り回されるのは御免だ。


 だが、うずくまって肩を震わせるあいつの背中が、あまりにも小さく見えて。


 気が付けば、俺は給水塔の陰から足を踏み出していた。


「おい」


 声をかけると、凪の肩がびくりと跳ね上がった。


 弾かれたように振り返ったその顔は、真っ青で、瞳には涙が溜まっていた。俺の姿を認めた瞬間、絶望に似た色がその瞳を染める。


「き、桐島……くん?」


 声が震えている。俺の名前を知っていたことに少し驚いたが、今はそれどころではないだろう。


「なんで、ここに……」


「サボりだ。ここは俺の指定席なんでな」


 俺は努めて軽く言いながら、ポケットに手を突っ込んで近づいていく。凪は後ずさり、背中がフェンスにぶつかってカシャンと音を立てた。


「み、見ましたか……?」


「何をだ」


「……僕が、薬を飲んでいたこと」


 問いかける声は必死で、まるで命乞いをする小動物のようだ。


 俺はあいつの足元に視線を落とした。慌てて隠そうとしたのか、ピルケースからこぼれ落ちた錠剤がひとつ、コンクリートの上で白く光っている。


「さあな。俺は視力が悪いんだ」


 嘘だ。俺の目は遠くの獲物を見逃さないほどに良い。だが、今のあいつに必要なのは正論や事実確認ではない気がした。


 俺は足元の錠剤を靴底で踏みつぶし、粉々にする。


「何も見てねえし、何も匂わねえ。ここは風が強いからな」


 凪が、呆気にとられたように目を見開いた。


 俺の言葉の意味を、賢いあいつなら理解したはずだ。秘密を守ってやる、と言っていることに。


「……どうして」


「あ?」


「桐島くんは、アルファでしょう? 僕が……その、オメガだって知ったら、もっと……」


「もっと、なんだ? 見下すか? それとも発情して襲い掛かるか?」


 俺は鼻を鳴らした。世間一般のアルファのイメージにはうんざりだ。


「俺は他人の事情に首を突っ込む趣味はねえよ。ただ、顔色の悪いやつが屋上のフェンス際でふらついてたら、寝覚めが悪いってだけだ」


 言いながら、俺はブレザーを脱ぎ、放り投げた。


 バサリと音を立てて、俺のブレザーが凪の頭から被さる。


「えっ、わ、」


「震えてんぞ。薬が効いてくるまで、そこでじっとしてろ。俺はあっちで寝てる」


 凪が何かを言う前に、俺は戻るようにして元の場所へ戻り、再びコンクリートの上に寝転がった。


 ブレザー越しに、微かにあいつの匂いがした気がした。さっきの刺激臭とは違う、どこか懐かしく、胸の奥がきゅっと締め付けられるような金木犀の香り。


 でも、俺は気づかないふりをした。


 遠くで予鈴のチャイムが鳴る。


 昼休みが終わる。


 だが、フェンスの向こうにうずくまる共犯者を置いて、教室に戻る気にはなれなかった。


 こうして、俺と月代凪の奇妙な関係は、風の吹き荒れる屋上で幕を開けた。

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