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『オリーブと梟』外伝〔知を以て 臨むローマ史 改変紀〕  作者: 岡田 平真/オカダ ヒラマサ
8/8

閑話『わが友 ティトゥス〈後編〉』

ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプス が執政官の年(紀元前90年)十二月、ローマ市内 スッブラ、カエサル 




「カエサルは、スッラについてはどう思っている?」


 ティトゥスがふと問いかけてきた。


 ティトゥスはいつもぼくのことを『カエサル』と呼ぶ。

 ガイウスでいいよ、と伝えても『俺はカエサル、という音の響きが好きなんだ』とか何とかブツブツ言いながら、結局は変えようとしない。さすがにこっちが根負けしてしまって、もう好きに呼ばせている。

 考えてみれば、『カエサル』という名前には、確かに何か特別な響きがある。祖先から受け継がれてきた重みがあるからかな。確か父さんは象を倒した功績が……とか言っていたけれど、象ってのちょっとな。見たことないし、大スキピオに負けてるからなぁ。狼だったら良かったのに。

 でもティトゥスがそう呼んでくれると、カエサルという言葉の響きが好きになるし、なんだか自分が本当に重要な人物になったような気がしてくる。くすぐったくもあり、誇らしくもある。

 

「ああ、スッラか。あいつは正直、怖い。狡猾で計算高く冷たい。マリウスじいとは正反対だ。どちらかというと関わり合わずに避けた方が賢いと思ってるよ。ルキウス叔父さんとも母さんともそんな話をしているし」


 スッラのことを考えるとぼくの胸はずんと重くなり、モヤモヤが渦巻いてくる。実はあの男とぼくは会ったことがあるんだ。

 あの石畳の冷たさを靴越しに感じた冬の朝のことだった。元老院議事堂の横をぼくは小走りに駆け抜けていた。そこで幾人かと会話をしながら歩いていたスッラを見かけたんだ。すれ違いざまに彼はこう言っていたのをよく覚えている。

 ——「力なき理想は、風に散るだけだ」と。

 彼は確かに有能らしい。戦略的思考に長けるみたいだし、軍事も政治的な手腕も並外れている。しかし、どこか人間味を欠いているように感じられた。マリウスじいはやって来たことが凄すぎてもう神さまみたいだし、言うことがいつも大げさなんだけど、それでも人間らしいというか温かさがある。スッラにはそれが感じられなかった。一瞬だけの印象だけど。

 ティトゥスはぼくの言葉を聞いて軽く微笑んで、それ以上は何も言わなかった。

 その微笑みの意味をぼくは理解できなかった。もしかするとぼくの考えが単純でそこが浅いと思っていたのかもしれない。それとも、別の見方があると示したかったのかな。どうだろうか。


 私営の小さな浴場の外では、夕暮れ時に向かう前の街の音が聞こえてくる。子供たちの遊び声、どこかで吟遊詩人が演奏しているだろう竪琴の音色。ローマの街は眠ることを知らない。この巨大な都市には、昼も夜も関係なく常に何かが動いている。その躍動感がぼくの心を高ぶらせる。

「ところでティトゥス、君はポンペイウス・ストラボはどう思う? 直接話したことがあるんだろ?」

「……」

 ティトゥスは少しうつむきがちになり、しばらく考え込んでから答えた。

「……あぁ、ストラボ将軍には何度かお会いしたことがあるよ。凄みのある人物だとは思った。ただ、理解しがたい部分も多いかな」

「そうか、確かに優れたお方のようだが、最近はどうも年老いた感じが否めないよ。かつてのキレが失われてちゃったんじゃないかな」

「……」

 彼がこんなに長く考え込むのは珍しい。それだけストラボ将軍の評価が難しいということなのだろう。セクトゥス叔父さんから聞いた話では彼の軍事的才能には誰も異論を挟まない、とのことだった。しかし政治的な判断には疑問符がつく。彼の目的が理解できないらしい。特に最近の戦争での動きを見ていると、どうも場当たり的な印象がぬぐえないようだ。アスクルムでの振る舞いにはかなり驚いたけれど。あれ、そういえばティトスはアスクルムにいたんじゃなかったっけかな?


「……それでもストラボはまだまだ油断できない存在だよ、カエサル」

 ティトゥスは少し黙った後、静かに言った。その言葉に敬称はなかった。ぼくにはまだその意味を掴みきれてはいなかったが、彼が言うならそれは間違いないのだろう。ティトゥスには、ぼくにはない何かが見えているのかもしれない。

 湯室から出て体を拭きながら、ぼくは改めて自分の置かれている状況について考えてみた。カエサル家は確かに名門ユリウス氏族だが、政治的な実力という面ではまだまだこれからだ。マリウスじいの力で叔父二人が執政官にまで務めることがことができた。父さんはそのうち執政官になるだろう。ぼくが本格的に政界に足を踏み入れるまでには、まだ数年の時間がある。その間にどれだけ自分を成長させることができるだろうか。

 公共広場(フォールム)で日々様々な議論を耳にし、叔父たちからも多くの情報を得ているとはいえ、ぼくはまだまだ歳相応の意見しか持てていない気がする。それでもローマは同盟市(ソキイ)という身内から刃を向けられたのだ。この現状に疑問を持ち、何か新しい変化が必要だと感じるのは間違いないはずだ。

 問題は、その『新しい変化』が具体的に何なのか、ぼくにはまだはっきりと見えていないことだ。元老院制度全体を変えていくべきなのか、それとも全く新しい何かを作るべきなのか。ローマ市民権にまとわりつく様々な問題をどう解決するのか。北方や東方の脅威にどう対処するのか。課題は山積みだ。

 だが、そんな複雑な問題を一人で抱え込む必要はない。

 ぼくにはティトゥスのような友人がいる。叔父さんたちのような立派な指導者もいる。そして何より、ローマには多くの優秀な人材がいる。みんなで力を合わせれば、きっと解決の道を見つけることができるはずだ。

 そう考えると、ぼくの心は少し軽くなった。一人で背負う必要はない。みんなで考え、みんなで実行すればいい。それが共和政治の本質ではないだろうか。


 浴場を出るともう夕暮れどきで夜の帳が少しずつ降りて始めていた。街灯の明かりが足元の石畳を照らし始め、遅い夕食を求める人々の足音が響いている。家路を急ぐ人々の中に混じって、ぼくとティトゥスも湯冷めしないように少し速足で歩いた。

「ティトゥス、ローマを変えるのは、いずれぼくたちの役目になるのかもしれないな」

 ぼくは笑顔でそう言い、ティトゥスを見た。星空の下で、彼の横顔が穏やかに見えた。

「その時が楽しみだな、カエサル」

 ティトゥスの声には、いつもの静けさとは違う、何か暖かいものが込められていた。もしかすると、彼もぼくと同じように、未来に希望を抱いているのかもしれない。

 ぼくは頷きながら、いつかぼくたちがローマを動かす時代が来ることを夢見ていた。その時、ぼくたちはどんな大人になっているのだろうか。今の友情は、その時まで続いているのだろうか。

 きっと続いている、とぼくは信じたい。なぜなら、真の友情というものは、時間や立場の変化を超えて存在するものだからだ。マリウスじいとスッラの間にも、昔は友情があったと聞いている。それが今では対立している。同じことがぼくたちにも起こるのだろうか。

 いや、きっと大丈夫だ。

 ぼくとティトゥスの間には、政治的な野心だけでなく、もっと深い絆がある。お互いの人間性を理解し、尊重し合っている。そんな関係が、簡単に壊れるはずがない。


 家に帰り着く頃には、すっかり夜も更けていた。母さんが心配そうに出迎えてくれる。「また遅いのね」と小言を言いながらも、その顔には安堵の表情が浮かんでいた。父さんはもう床に就いていた。最近体調が思わしくないみたいで、早寝早起きを心がけているのだ。

 自分の部屋に戻り、今日一日を振り返ってみる。

 公共広場での見聞したこと、浴場や街中の人々の様子。そしてティトゥスとの会話。今日もそのすべてがとても貴重な経験だった。その一つ一つが、ぼくの中で少しずつ積み重なっていく。いつかぼくが本格的に政治の世界に足を踏み入れる時、今日の経験が必ず役に立つだろう。人々の生の声、街の息遣い、友人との深い絆。それらすべてが、ぼくという人間を形作っている。

 窓の外を見ると、ローマの街はまだ眠っていない。荷車の軋み音が途切れず、遠くの酒場の声が薄く重なっていた。どこかで明かりが灯り、どこかで人の声がしている。この巨大な都市は、まるで生きているようだ。そして、ぼくもその一部なのだ。

 明日もまた、新しい一日が始まる。ティトゥスと会い、公共広場を歩き、人々の話に耳を傾ける。そんな日々の積み重ねが、やがてローマの未来を変える力になると信じている。


 ぼくは希望に満ちた気持ちで、静かに眠りについた。


もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。


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