閑話『ルキウス・マルスクス その5<手紙>』
グナエウス・ポンペイウス・ストラボ と ルキウス・ポルキウス・カト が執政官の年(紀元前89年)一月、ローマ市内、ティトゥス
この月の初旬、ローマに一通の手紙が届いた。蜜蝋の封印にはマルシ族の紋章が刻まれているその手紙の差出人はルキウス・アタエウス・マルスクスだった。
昨年アスクルムに一度届いたらしいが既にそこに俺はいない。そこでデモステネスがローマ宛に転送してくれたのだ。よく届いたものだ。クリスプス商会のルートはこの戦争中でもよく機能している。
低い日差しが差しこむ冬の午後、自室で静かにその封を開け紙葦に書かれた文字を読み始める。彼の文字はその容貌にて秀麗かつ端正で惚れぼれするほどだ。ただ特有のやや角張った筆跡が印象的だった。
『ティトゥス・アエリウス・クリスプス殿へ
テアテに戻って早くも一月が過ぎました。思えば逃げるようにアスクルムから飛び出した後、遠回りしたことからずいぶんと時間が経ってしまいました。故郷の風景は変わりませんが、私自身がすっかり変わってしまったことを日々実感しています。
アスクルムでの18ヶ月間について族長をはじめとする長老たちからすぐさま詳しい報告を求められました。当初、私は「マルシ族の誇りは保持した」と簡潔に報告するつもりでした。しかし君やラビエヌスとの会話を思い出すうち、それでは不誠実だと気づいたのです。
結果として私は三日間にわたって長老会議で報告を行いました。アスクルムの政治状況、ローマとの関係、そして君たちから学んだことについて包み隠さず話しました。
最も困難だったのは「なぜローマ式剣術を学んだのか」という質問への回答でした。マルシ族にとって、敵の戦術を学ぶことは屈辱と捉えられがちです。しかし私はこう答えました。「優れた技術に政治的立場は関係ない。学ぶことで相手を理解し、より効果的な対応が可能になる」と。
族長ポッパエディウス・シロ殿は長い間沈黙していましたが、最終的にこう言われました。「若者よ、お前の言葉は正しい。敵を知らずして勝利はない」
この言葉により私の報告は族長の承認を得ることができました。そしてより重要であったことはシロ殿がその後私に新たな任務を与えたことです。
「アスクルムで学んだことを活かし、他部族との交渉において仲介役を務めよ」
これは名誉ある任務ですが同時に重い責任でもあります。現在、マルシ族とサムニウム族の間にはローマへの対応を巡って微妙な意見の相違があります。武力闘争を主張する急進派と政治的解決を模索する穏健派の対立が、両部族内で激化しているのです。
私はアスクルムで君から学んだ「異なる立場の理解」を実践し、両派の橋渡しを試みています。急進派に対しては「戦略の重要性」を説き、穏健派には「理想の価値」を説くことで双方が歩み寄れる地点を探っています。
興味深いことにこの仲介活動の中でアスクルムでの体験が予想以上に役立っています。君やラビエヌスとの議論で培った「相手の論理を理解してから反論する」という技術が、対立する派閥間の調整において威力を発揮しているのです。
またデモステネス殿から学んだラテン語・ギリシア語の知識も活用しています。ローマの法的文書を正確に読解し、「ローマの真意」を部族指導者たちに説明することで感情的な対立を避け、現実的な判断を促すことができているからです。
ただしすべてが順調というわけではありません。一部の急進派からは「ローマに洗脳された」と批判され、穏健派からは「まだ若すぎる」と警戒されることもあります。
特に説明が困難だったものは、セルウィリウス来訪時の私の対応についての評価です。「法務官の拘束に反対した」ことを一部の者は「弱腰」と批判します。しかし私は信念を曲げるつもりはありません。無益な流血を避けることこそが、真の勇気だと確信しているからです。
君に相談したいことがあります。現在、同盟市諸都市の指導者会議が計画されており私も参加を求められています。この会議ではローマとの全面戦争について最終決定が下される可能性が高いのです。
私の立場は複雑です。マルシ族の代表として参加する以上、部族の利益を最優先に考えなければなりません。
しかもアスクルムはストラボ将軍に無血で街を開いた、と耳にしました。この事実がマルシ族に与えた衝撃は計り知れません。
君ならばこのような状況でどのような選択をするでしょうか? 理想と現実、忠誠と信念の間で揺れる私に助言をいただければ幸いです。
最後にラビエヌスにもよろしくお伝えください。彼との剣術稽古で学んだ「相手の動きを読む技術」は政治的交渉においても非常に有効です。物理的な戦いも政治的な戦いも、本質は同じなのかもしれませんね。
アスクルムでの友情は私にとって一生の財産です。いつの日か、より良い状況で再会できることを心から願っています。
あなたの友
ルキウス・アタエウス・マルスクス』
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手紙を読み終えしばらく窓の外を眺めていた。ローマの街並みが夕陽に染まり、やがて日が暮れてきた。寒さと共に夜の帳が降り始めたのでそっと板戸を閉める。
ルキウスの成長と苦悩が行間からひしひしと伝わってきた内容だったな。彼が直面している問題は、まさに俺自身が経験してきたものと同じだと感じた。それならば彼に届く言葉を送ることが出来るかもしれない。意を決して執事を呼びに階下に下りる。
「パウルス、いるか」
「はい、若。パウルスはこちらに。どうされました?」
「テアテから、アスクルム経由で届いた手紙に返事を出したい」
「なるほど。ちなみにどのような内容になりますでしょうか?」
「彼の質問に答えると同時に、アスクルムの現状も報告する。そして…」
「そして?」
「もしもの時はフィルムムが彼の避難先になりうることも伝えよう。祖父ガイウスならきっと彼を受け入れてくれるに違いない」
パウルスはその言葉を聞くと表情に少し苦味を浮かばせた。
「若、ローマとマルシ族との戦いはどこまで行き着くとお考えですか?」
「ルキウスの手紙を読む限り、マルシ族の強硬派は更に勢いを増している。平和的解決の余地はもう…ないだろう」
パウルスと共に書斎に戻り棚から地図を取り出す。イタリア半島の詳細地図に各同盟市の位置が記されているもので、父が苦労して手に入れたものだ。慎重に地図を開きながら彼と会話を続ける。
「だがたとえマルシ族がどのような戦いをしたとしても、ルキウスのような若者はいずれ世に出てくるだろう。生きてさえいれば、必ず」
「若にそこまで言わせるお人なのですな、その方は」
「そうだな。更に容姿端麗で野性味溢れる貴公子だぞ」
「それはそれは……。アエリア様がお聞きになればお喜びましょうな」
「姉上と小アエリアにはまだ内緒だ」
「なるほど、若もお人が悪いですな」
「いいから。まずは上質な紙葦を準備してくれ。それと郵送の手配も」
「承知しました。それでは私は確実に手紙が届くよう手配いたしましょう」
「よろしく頼む」
その夜、長い時間をかけてじっくりとルキウスへの返信を書いた。彼にの質問に対する答えとアスクルムで学んだ「複数の選択肢を常に準備しておく」ことの重要性について。そしてどのような状況になっても、友情だけは政治的対立を超越することも書き込んでおいた。
この手紙のやり取りが後にルキウスの運命を大きく左右することになるとは、その時は知る由もなかった。
俺たちの再会は遥か先の未来で、彼は立派な政治家として成長しており、そして彼と俺は真の同志としてローマで共に歩むことになる。だが、それはまた別の物語である。
今のローマは冬深く、同盟市戦争の暴風はイタリア半島内でまだまだ吹き荒れている。だが、この小さな友情の種は、時を超えて花開くことになるのだった。
<完>
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