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『オリーブと梟』外伝〔知を以て 臨むローマ史 改変紀〕  作者: 岡田 平真/オカダ ヒラマサ
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閑話『ルキウス・マルスクス その4<会話>』

ルキウス・マルキウス・ピリップスとセクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)十一月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス




「複雑な気持ちなのだろうな、と思う」

 

 ラビエヌスがこちらを見ずに呟いた。

 いつものトルエンテス河の畔での朝練の合間のひとコマ。俺達は既に汗だくで、そのままでは風邪を引くとサビヌスから小休止を言い渡されたところだ。

 汗を汗拭き布(スダリウム)で拭き取りながら、ラビエヌスと俺は横に並んで、サビヌスとルキウスが剣戟を交わすところを見守っている。

  

 ラビエヌスの発言は、セルウィリウスの滞在中、ずっと身を隠していたルキウスの心中を慮ったものだ。リクトルの指示もあったようだが、今回の行動を選択した大きな理由は、彼自身の考えだったらしい。


 

「『人』としての関係を作ってしまえば、『敵』には見えなくなるからな。隠れていて正解だ。ルキウスは優しいから」


 ラビエヌスは二人の動きをその漆黒の瞳で追いながらそう呟く。その目は優しさの光を湛えており、どうやらルキウスの判断を尊重し好ましく思っているようだ。ラビエヌスらしいな、と感じて俺の心もフッと軽くなる。やや大きく頷くと、ラビエヌスはちらりとこちらを見て軽く笑った。


 ちなみにルキウスの剣はこの数ヶ月間でずいぶんと変わったようだ。剣の素人の俺でもその違いを感じることができるのだから、大したものだと思う。



「話を変えて悪いが……君はセルウィリウスをどう見た?」

 

 ふと疑問に感じ、ラビエヌスにそう問うと彼はその手に持つ木剣を拭きながら答えてくれた。


「思ったより普通だった。……それが一番困る」


 セルウィリウスは偽造文書を作って流布したり、俺に対しては明確な脅迫をしてきたのだが……。ラビエヌスにとって、その程度の謀略など『普通』と言える範疇なんだろうか。よくわからん。

 ま、意図的にアスクルムを分裂させる古典的な手法を取るくらいだから、ある意味想定通りどったのかもしれないな。結果論だけど。


 ちなみにセルウィリウスはルキウスの存在をしっかり把握していたけれど、それはアスクルム市とマルシ族との連帯を意識したものであって、ルキウス個人に着目したものではなかった。リクトルやルキウス個人に難癖を付けられることはなかったので、その点はラッキーだったのかもしれない。


 

 △▼△▼△▼△

 

 ルキウス自身はと言うと、この時点の周囲の状況を冷静に観察していたようだった。この時期、彼は持ち前の野性味を残しながらもアスクルムに急速に馴染んでおり、普段はピケヌム人やローマ人が好むような服装も抵抗なく身に付けている。これもきっと彼なりの判断での変化なのだろう。

 黒髪黒瞳のルキウスは、服装を変えれば街中ではほぼ目立たなくなる。もちろん、その野趣と気品が同居する端正な顔つきは隠すことはできないようだ。街なかで年頃の女性とすれ違えば振り返る数の方が、その反対の動作を選ぶ者より圧倒的に多いのだ。なんと羨ましいことか。

 

「仮に戦争になったとして、我々は本当にローマに勝てるのだろうか?」

 

 そうルキウスが俺に問いかけたのは、セルウィリウスがアスクルムを去り、市が平穏を取り戻したある日のことだった。

 またもや河畔での朝練中、今はラビエヌスとサビヌスが俺には理解出来ないスピードで撃ち合いを行っている真っ最中だ。到底目で追うこともできやしないので、のほほんと眺めていたところでこの直球質問。驚くよ……。

 

「……数では勝負にならないな。俺は無謀な戦いで多くの命を失うことが正義だとは思わない」

「では、どうする?」

「我々の戦いの目的は一体何だ? ローマを打倒することか? それとも自立し、独自の政治を行うことだろうか。手段と目的を違えてはならないと、デモステネスから学んだが、そのとおりだと俺も思う。ローマとの戦争を起こさず目的を達するよう最善を尽くす。それしかないさ」

 

 ルキウスは長い間黙っていた。そして、ぽつりと呟いた。

 

「君たちに出会えて良かった」



 △▼△▼△▼△▼△


ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)八月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス


 

 リクトルがアスクルムから姿を消した。


 市議会での厳しい追及を受け、身の危険を感じたのだろう。彼の逃亡は、主戦派にとって大きな打撃だった。

 同時に、ルキウス・マルスクスの帰郷も決まった。人質交換の根拠を失った以上、彼をアスクルムに留め置く理由もない。彼もリクトルと同時に姿を消していた。

 

 ルキウスがアスクルムを姿を消す少し前、実は彼に声をかけられ共に食事を共にしたことがあった。ソフィアと共に行ったあの飯屋だ。彼は店を覚えてくれていたみたいだな。ちょっと嬉しい。

 今思えば、それが彼と言葉を交わした最後の機会となった。



「君やラビエヌスのおかげで、私はここアスクルムで多くのことを学べた。改めて感謝する」

「互いに学び合っただけだよ、気にしないでくれ」

「君の剣は最初はあれだったが、最近は見違えるほど成長した。努力が見て取れた」

「そうか、そう言われると少しは自信が持てる……かな」

「そして君は驚くほど聡明だった。とても年下とは思えない。君の言葉で視野を広げる機会を得たと思っている」

 

 ルキウスはポスカの入った杯を持ち上げ、初めてあった時とは異なる、素直な笑顔を見せてくれた。


「乾杯しよう。我々の友情に」

「友情か。良い響きだね」


 杯を交わしながら、長い時間語り合った。

 答えの出しやすい問いもあれば、そうでないものもあった。河畔とは違うため際どい話題は互いに避けていたものの、哲学的な議論から食事のマナーまで、ネタには月なかった。そんな楽しい時間はあっという間に過ぎていく。


「また…このような時間を持てるとよいな」


 俺が別れ際にそう呟くと、彼はその浅黒い引き締まった秀麗な横顔に印象的な微笑を浮かべた。しかし待てど言葉を発さず、じっと黒曜石のように輝く黒瞳で俺の両眼を真っ直ぐ見抜いてくる。


「また…いずれ」

 

 そう簡潔な別れを述べ、ルキウスは夕暮れの街を一人歩き去っていった。

 

 その夜、俺は一つの思いを得た。

 この少年は将来、必ず大きな仕事を成し遂げるだろうと。

 そして、できれば再び共に道を歩むことができれば…とも。

 

 俺の知る歴史上では、マルケ族はローマに併合……というか吸収され、独立した国家しての存在は霧散してしまう。


 願わくば、この少年がこの荒波を乗り切りカエサルらが活躍するよう。


 願わくば、この戦争で命を落とさぬよう。



 およそ一年半という月日を同じ街で過ごしたものの、ルキウス・アタエウス・マルスクスとの出会い過ごした時間はごく僅かであったと言える。最初に一年ほどはほぼ敵対していたし、残りの期間も会話を交わす機会はとても少なかった。だがそれは俺にとって貴重な気づきを得る好機であった。

 異なる立場、異なる文化背景を持つ者同士が、理解し合うことの可能性と困難さ。そして、真の友情が政治的対立を超越することの素晴らしさ。

 

 彼がテアテに戻った後に何を語り、どのような行動を取るのか、それは俺には分からない。だがアスクルムで学んだことを活かし、より良い道を見つけてくれると信じたい。




もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。


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