あめおとことはれおんな
四限の終わりを告げるチャイムが鳴る。クラスの皆がめいめいに机を寄せてグループを作る。それを横目にオレはひとり教室を出る。委員長の口が「あめみや」と動いたような気がしたが無視した。持ち前の正義感から陰気な転校生に辛抱強く付き合ってくれた彼女だったが、さすがに食中毒騒ぎの容疑者を庇う気にはなれなかったようだ。色々と済まなかったな。次の転校まであと一週間我慢してくれ。
「逃げずに待っていたのはほめてやる。食後の運動につきあってもらうぜ」
体育館裏にオレを呼び出しておきながら、不良グループは大物ぶって遅れてやって来た。中華屋で豪勢な昼飯を食ってきたようだな。それが地獄とも知らないで。
ニヤリと笑ってオレはラテックスの手袋を外した。封印解除だ。遠慮はしない。
「そんなヒョロい掌底が効く……ん? え、あ、あががが!」
頬をビンタしてやった小太りの不良Aが膝をついて油汗を流す。脳天に突き刺さる虫歯の痛みはどうだ? 甘いものの後はちゃんと歯磨けよ。
その横には靴を脱いで裸足になって足を掻きむしっている不良B、つらい水虫は本当に歩けないらしいからな。風呂入って清潔にしろよ。
不良Cはすれ違いざまに腹に一撃、振り返ると目を回して倒れ込む。食べた米が酒に変わって急性アルコール中毒か。げえげえと嘔吐している。下戸の不良とはカッコがつかないな。
「やめろ……近づくんじゃねえ! く、来るな!」
逃げるリーダーの背中に張り手を食らわす。主犯のお前は特別フルコースだ。虫歯、水虫、急性アル中、痛み痒みに転げ回りながらリーダーはズボンを脱いで、股間をボリボリ掻きはじめた。しかしカンジダはモノが使えなくなるだけじゃないぞ。排尿排便にも激痛が走るし悪化すれば脱毛、免疫低下、多臓器不全までも引き起こす。完治まで何年かかるか知らないがせいぜい苦しんでくれ。暴行されて自殺したあの子はもう帰らないからな。……さて、これで『あめおとこ』の復讐代行完了だ。
雨男は単なる嫌われ者だが『あめおとこ』は違う。歩く細菌兵器とも呼べる危険な存在だ。『あめおとこ』は物を『あめ』させる。『あめ』るとは東北の方言で腐るあるいは傷むことをいう。だからオレの触れたものは発酵が進み細菌が繁殖し、腐敗しカビが生え時に毒になったりもする。
小学生のころは食中毒騒ぎが起きると疑いの目は真っ先にオレに向けられた。ラテックスの手袋をして除菌スプレーなど対策をしても何の意味もなかった。時には誰かがオナラをした異臭や、体調が悪くて誰かが吐いたりしてもオレのせいにされた。そしてイジメに耐えかねて暴発したオレが首謀者あるいは担任の先生をつい本当に病院送りにして転校していくまでかワンセットだった。
そして今では殺しても飽き足らない悪党どもをじわじわ苦しめる復讐代行屋の『あめおとこ』になったというわけだ。
次の日の昼は自分から教室を出ていった。転校を知らされたからか委員長もオレに声をかけなかった。
さて、ぼっちの定番といえば技術棟の屋上だろう。踊り場には机と椅子もあっておあつらえ向きだ。しかし今日はそこに先客がいた。
「あんたもひとりなん? 一匹狼なんて気取っとらんでウチと一緒に食べへん?」
チェック柄の弁当包みを手にしてニコニコ笑う女は天利晴と名乗った。
晴も最近転校してきたぼっちらしい。彼女は全力で否定したが、「ちょっとツッコんだらセンセーの頭が勝手にパイルダーオフした」などとキテレツな言い訳をする。担任はデリケート田野辺か。しかしどれだけの勢いでかましたんだ? まあ能天気で空気を読まない女だというのは分かった。いてっ!
「あっ、ちらし寿司のおいなりさん! ウチのおにぎりと1個交換せぇへん?」
返事をする前に晴がひょいと箸でつかむ。海苔のかわりに薄焼き卵で巻いた晴のおにぎりは、美味かった。
「酢飯の加減が絶妙でプロ級や。さすがは『あめおとこ』やね」
晴にそう言われてオレの動きが止まる。そうと知っていてお前はその寿司を食ったのか。無用心にもほどがある。
「そんなに怖い顔せんといてーな。ウチもご同業や」
晴の家は代々の拝み屋だという。それでその自信なのか。今度は誰かに頼まれて『あめおとこ』を討伐に来たのか。
「ちゃうちゃう、あいつらのしたことは自業自得や。それとは関係なしにウチはあんたを救いたいんや」
救う? どうやって? 無理だな。オレのこの能力は体質で呪いとかじゃない。
オレの実家はむかし田舎で醤油や味噌を作っていたという。ほかにも豆を煮て納豆を作る農家や造り酒屋などに重宝がられて手伝ったりもしていたようだ。発酵を扱う仕事はこの手の持ち主には天職だったろう。だが今では勘や手業よりも、パソコンですべて平均的に管理する時代だ。黄金の手も無用の長物となり、醸造所も3代前に廃業してしまった。オレはその先祖返りなのだろう。
「救う言うたら大げさかも知れんけど、あんたが『あめおとこ』ならウチは『はれおんな』や。このぐらいのことはできるんやで?」
晴がひとつ柏手を打つ。食べたおにぎりがそれに呼応して体の中で光を放つ。オレの心に巣食った澱が少し軽くなったような気がした。おい、これは……晴!
泣き出しそうになるオレを置いて晴が先に階段を降りていく。
「さーて、午後もサボったらいけんよ。シャキッとしなはれ!」
本当に空気の読めない女だな。礼ぐらい言わせろよ。