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6月8日(火)

この日、電車の中に自分と同じ制服の生徒がいるという、他の生徒にとっては当たり前の事が、秀人の目にはありえない光景として映っていた。

電車が三枝谷駅に到着すると、春奈が笑顔で電車に乗ってきた。

「秀人君、おはようございます」

「ああ、おはよう。この時間なら歩いても間に合うだろ?」

「はい、そうですね」

「あと、小説持って来たんだ」

秀人はカバンから小説を取り出す。

春奈の小説と同じように、その小説もカバーを付けている。

秀人は中身を確認した後、春奈に渡す。

「ホラーだし、無理に読まなくて良いからな」

「いえ、絶対読みます」

「夜、うなされても知らねえからな」

「え、そんなに怖いんですか?」

「ああ、どれだけ怖いかと言うと……」

秀人が脅かすと、春奈は泣きそうな表情を見せる。

電車を降り、駅を出ると、学校へ向かう生徒の姿はさらに多くなった。

「こんな時間にここを歩くの久しぶりだな」

「私はあんなに速くここを走ったの、昨日が初めてでした」

春奈の言葉に秀人は笑う。

そのまま、2人は学校に到着すると、3年A組の教室の前で別れた。

そして、秀人が自分の教室に入ると、夢が驚いた様子で近付いてきた。

「及川、何かあったのか?」

「何もねえから、ほっといてくれよ」

変に詮索されても困るため、秀人は拒絶するように顔を伏せる。

それから少しした後、始業ベルが鳴り、村雨がやってきた。

「及川秀人」

「はい」

「お前、今日は随分と……」

「早く次にいってくれ」

「……久保和孝」

「遅刻だ」

和孝の遅刻を確定させ、秀人は少しだけ笑う。

その直後、肩で息をしながら和孝が教室に入って来た。

「貯金、また10だな」

「あれ、秀人いないと思ってたのに、何でいるの?」

「とりあえず黙れ」

「え、何でですか!?」

和孝は席に着くと、呼吸を整える。

「秀人、今日暇なんだけど、家来る?」

「……今日は用事がある」

「もしかして、春奈ちゃん?」

和孝の質問に秀人は答えない。

「この辺から少しずつ距離を置いて、別れる準備に入った方が良いよ」

「そんな事言っても……」

秀人は春奈の事を思い返す。

「これからは何かお願いされても、適当に言い訳して断りなよ。秀人、そういうのは得意でしょ?」

「そうなんだけど、ほっとけねえんだよな」

「え?」

和孝は驚いた様子を見せる。

「どうかしたか?」

「あ、別に……」

和孝は秀人を観察するような目で見た後、首を傾げた。


「遠野、何か和孝……好きな人が出来たみたいで、どうアタックかければ良いか、女子の意見が聞きたいらしい。話聞いてやってくれ」

「あの、いい加減、無茶振りするのやめてくれません?」

秀人はいつも通り、教室を後にすると、屋上に向かう。

「お前、いつも早いよな」

和孝と遠野を一緒にする工作をしているとはいえ、いつも春奈を待たせているため、秀人は申し訳なく感じた。

「今日は予定通りで良いのか?」

「はい、部活を休む事も伝えましたので、一緒に舞台、見に行きましょう」

2人は昼食を食べながら、今日の予定をもう1度確認する。

「そういえば、貸してくれた小説、結構面白いな」

「え?」

「昨日から読んでるんだよ」

「どの辺りまで読みましたか?」

「ああ、えっと……」

その後、2人は予鈴が鳴るまで、小説の話題だけを話し続けた。

「じゃあ、また後でな」

「はい」

別れを告げた後、秀人はすぐ教室に戻った。

「秀人、ちょっと良い?」

「ん?」

和孝は人目を避けるように秀人を教室の外に連れ出す。

「そろそろ授業始まるんじゃねえか?」

「秀人、春奈ちゃんとの事、噂になってるよ」

「え、何でだよ?」

秀人が何もわかっていない様子だったため、和孝はため息をつく。

「今日、春奈ちゃんと一緒に登校したでしょ?」

「何で知ってるんだよ?」

「噂になってるって言ったでしょ?夢ちゃんとかも知ってたよ」

「でも、別に一緒に登校するぐらい普通じゃねえか?」

「いや、何をどう考えたら普通になるの?男子と女子が2人でいたら、付き合ってるって思われてもおかしくないよ」

「そういうもんなのか?」

秀人が全く危機感を感じていないため、和孝は呆れたように苦笑する。

「別れるつもりなのに噂になったら困るでしょ?」

「まあ、そうだけど……」

「今更2人は何もないなんて言っても意味ないだろうし、俺の方で2人は仲良いみたいだけど、付き合ってるわけじゃないって噂にしてみるよ」

「そんな事出来るのか?」

「俺、結構、情報通って事になってるんだよね。秀人の事なら、俺に聞いてくる人多いし、簡単だよ」

「おい、2人共、教室に戻れ」

「あ、はい」

村雨に注意され、2人はすぐ教室に戻った。


帰りのホームルームも終わり、生徒達は帰り支度を始める。

「秀人、さっきも言ったけど、俺がフォローするとは言え……」

「もう、しつこいな……わかってるよ」

秀人は和孝の話を適当に聞き流す。

「わかってないから言ってるんでしょ……」

「とりあえず、また明日な」

「一緒に帰らないの?」

「今日、春奈と一緒に帰る事になってるんだよ」

「じゃあ、しょうがないね……って、わかってないじゃないですか!」

「約束しちまったんだから、しょうがねえだろ。今日で終わりにするから安心しろ。あと、待たせると悪いから、またな」

秀人が教室を出ると、廊下で待っていた春奈は笑顔を見せる。

「じゃあ、行くか」

「はい」

2人は合流すると、その場を後にする。

「私、夢だったんです」

「え?」

「好きな人と一緒に登下校出来たら良いなとずっと思ってました」

「そういえば、春奈が貸してくれた小説にもそんなシーンがあったな」

「はい、あのシーン、好きなんです!」

春奈の話を聞きながら、借りた小説の内容が春奈にとって理想の恋愛なのだろうと秀人は感じる。

ふと、秀人は春奈の顔に目をやる。

今まで、特に気にしていなかったが、学校一の美人と言われているだけあり、春奈にはキレイという形容詞が妥当だと感じた。

その時、目が合い、春奈は顔を赤くする。

「もしかして、顔に何か付いてますか?」

「いや、大丈夫だよ」

そのまま、秀人は視線を周りの生徒に移し、自分達が注目されている事に気付く。

「秀人君?」

「ん?」

「どうかしましたか?」

「あ、別に何でもねえよ」

春奈は周りの事を気にしていないのか、ただ単に気付いていないのか、秀人と2人でいる時と同じようにしている。

しかし、和孝からの助言も考えると、確かにこの状況はあまり良くないと感じた。

そして、明日から一緒に登校する事をやめようと、秀人は考えていた。


家に帰り、服を着替えた後、秀人達はまた合流し、舞台が行われる劇場に向かった。

2人はレストランに入り、早めの夕食を取った後、開演10分前に劇場へ入った。

「劇場って、こうなってるんだな」

「でも、劇場に来るのは、初めてじゃないですよね?」

「いや、初めてだよ。今まで舞台とか行った事ねえって言っただろ?」

「……あ、そうでしたね」

「それより、席はどこだ?」

「あ、えっと……」

春奈は慌てた様子でチケットの座席を確認する。

「1枚貸してくれ」

「あ、はい」

「……あの辺みたいだな」

「そうですね」

結局、秀人が座席を見つけ、2人は席に座る。

「秀人君?」

「ん?」

「なるべく寝ないで下さいね」

「え?」

「昨日、寝るかもしれないと言ってました」

「お前、その部分、昨日は聞き流してただろ……」

秀人は呆れたように笑う。

「大丈夫。今日はこのために授業中、寝てたからな」

「それは、もっとダメです!」

「冗談だよ。せっかく来たんだし、寝るわけねえだろ」

「そうですよね」

春奈は嬉しそうに笑う。

「そろそろ始まりますね」

「そうだな」

秀人はいつもより上機嫌の春奈を見て、これから始まる舞台を本当に楽しみにしているのだろうと感じた。


今まで、秀人はこうした劇場で舞台を見た事は1度もない。

しかし、始まってから数分後、秀人は舞台に釘付けになった。

春奈に言った、寝るかもしれないという冗談を撤回したくなる程、舞台に惹きこまれていく自分を秀人は感じていた。

すぐ目の前で役者達が作る物語に自分まで入り込んでしまったような、そんな感覚を持ち、秀人はその舞台が終わるまで、不思議な時間を過ごした。

「秀人君?」

「え?」

舞台が終わった後、春奈の呼びかけで、秀人は現実に戻された。

「あ、悪い、舞台ってこんなにすごいんだな」

秀人が感心していると、春奈は幕の下りた舞台に目をやる。

「私も……こんな舞台がしたいです」

「したら良いじゃねえか」

「そんな簡単に言わないで下さい。大変なんですから」

春奈が珍しく、不機嫌だったため、秀人は苦笑する。

「あと、俺……」

「どうしました?」

「忘れてるだけで、昔、こういう場所で舞台見た事あるかもな」

「……きっと、そうですよ」

この時、秀人は両親に昔の事を聞いた時の事を思い返していた。

今、考えてみれば、両親の反応は不自然なものだ。

「あ、秀人君、そろそろ出ないといけないみたいです」

「そうだな。じゃあ、帰るか」

2人は劇場を後にすると、寄り道をする事なく、帰りの電車に乗った。

「今日、どうでしたか?」

「ああ、良かったよ。寝るかもしれねえなんて言って悪かったな」

「楽しんでもらえたなら、良かったです」

春奈はまだ興奮が冷めていない様子だ。

「舞台というか劇を見る時、秀人君はどこを見ますか?」

「え?」

「あ、質問がわかりづらいですね。その、普通は舞台の上の役者さん……特に主役の方を見ると思います」

「まあ、そうだな」

「でも、舞台の上にいる全員で物語は作られるんです。視線を逸らして脇役の方を見れば、その人も物語の中にいなければいけないんです。それだけじゃありません」

春奈は自分が舞台に立っている気になっているのか、大袈裟にも見える仕草を加えながら続ける。

「舞台以外の場所……様々な音を出す音響に、様々な色で舞台を照らす照明、それも物語を作る大切なもので……」

そこで、春奈は秀人の方を見て、顔を赤くする。

「ごめんなさい、興奮してしまいました」

「良いんじゃねえか?好きな事を話す時は誰だってそうだろ。ただ、場所は考えろ」

「そうですね……」

周りの乗客の多くが視線を送ってきていたため、春奈は恥ずかしそうに顔を下に向ける。

「そうだ。明日の朝だけど……」

秀人はここで、明日からは一緒に登校出来ないと言うつもりだった。

しかし、春奈と顔を合わせ、その先が言えなくなってしまった。

明日から一緒に登校出来ないと言われれば、春奈が悲しむ事は明白だ。

「どうしました?」

「……今日と同じ時間で良いよな?あの時間なら、歩いて行けるもんな」

「はい。今日と同じ時間に同じ場所で待ってます」

「じゃあ、俺も遅れねえようにするからな」

秀人はそこで、小さくため息をつく。

和孝の言う通り、これ以上、春奈との仲を深めるべきではないと、秀人も感じている。

しかし、なぜかそうする事は出来なかった。

その理由を秀人は少しだけ考えたが、わからなかった。

その時、ブレーキがかかり、体勢を崩した春奈を秀人は咄嗟に支える。

「大丈夫か?」

「はい、ごめんなさい」

春奈が顔を上げると、2人の顔はすぐ目の前まで近くなった。

その時、扉が開き、2人は慌てた様子で離れる。

「悪い」

「え?」

「あ、何が悪いのかわからねえけど……」

秀人は自分がどんな顔をしているか、わからなくなってしまった。

そして、春奈にだけは見せないよう、秀人はあさっての方に顔を向けた。

春奈も秀人と同じ状態なのか、顔を秀人とは反対に向ける。

結局、春奈が降りる三枝谷駅まで2人はそのままだった。

「気を付けて帰れよ」

「はい、今日はありがとうございました」

「じゃあ、また明日な」

「はい」

電車を降りた後も、春奈は顔を下に向けたままだった。

電車が三枝谷駅を離れ、秀人は1人になると、軽く深呼吸をした。

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