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6月27日(日) AM

「何だよこれ?」

目を覚ました秀人は、リビングに散乱しているアルバムを見て、呆れてしまった。

「秀人君、おはよう」

「何やってるんだよ?」

「アルバム見たいって言ってただろ?だから、倉庫から出してきたんだ」

秀人は1つだけアルバムを手に取り、中を開く。

「これ、俺が生まれる前じゃねえかよ」

「あ、それ、懐かしいな。まだ結婚する前の写真だ」

「というか、そもそも何でこんな時間にやってんだよ?」

「今日、文化祭でしょ?それで、カメラを持って行こうと思ったんだけど、そうしたら、アルバムの事を思い出して……」

由香里は笑顔のまま続ける。

「秀人君、今日は羊さんになるんでしょ?後でカメラ持って行くから、撮ってあげるわね」

「羊じゃなくて執事だからな。あと、接客は昨日だけで、今日は何もねえからな」

「そうなの?」

「秀人、今日も接客やれ」

「嫌だよ」

両親の相手をする事に疲れたため、秀人は早めに出発する事にする。

「じゃあ、俺はもう行くからな」

「私達も後で行くわね」

「だから、俺は接客しねえって」

「それでも行くわよ」

「まあ、勝手にしろよ」

その時、重ねてあったアルバムにぶつかり、1冊のアルバムが開いた状態で床に落ちる。

秀人は何となく、その写真に目をやる。

「この写真……?」

それは、アパートを背景に家族4人で撮った写真だった。

「秀人?」

「これ、前に住んでた場所で撮ったのか?」

「ああ、そうだ」

弘と由香里も写真を確認する。

「俺が抱えてるの……黒猫だよな?飼ってたのか」

幼い秀人の腕の中には、小さな黒猫がいた。

「近くに捨てられてた猫だ。ただ、アパートだったから飼えなかったんだよ」

「でも、秀人君、毎日世話してたわよ」

「こいつ、名前あったか?」

「ああ、そういえば、お前が名前付けてたな……」

弘と由香里は思い返そうとしているのか、考え込む様子を見せる。

「……クロって付けてなかったか?」

「ああ、そうだ。黒猫でクロ。安直な名前を付けてたんだ」

「そっか……。あ、そろそろ行ってくるな」

秀人はアルバムを閉じると、家を後にした。


今日も春奈は家の前で秀人を待っていた。

しかし、今日の春奈はどこか浮かない表情だ。

「秀人君、おはようございます」

「おはよう……って何か元気ねえな」

秀人は呆れたように笑う。

「昨日はあんなにはしゃいでただろ?まあ、今日は発表があるもんな。緊張してるのか?」

「……はい」

「でも、去年や一昨年もやってるんだろ?」

「今年は今までよりも良いものにしたいんです」

「ずっと練習してきたんだろ?練習通りやれば、それで十分だよ」

「そうでしょうか……?」

春奈が納得いかない様子だったため、秀人はため息をつく。

「楽しみにしてたんだろ?本番でも楽しめよ」

「はい、そうしたいのですが……」

「ほら、午前中は俺と文化祭回るんだろ?どこに行きたいか今から考えろよ」

「あ……はい!私、昨日食べられなかった、うどんを食べてみたいです」

「朝食は軽めにしたんだろ?だったら、まずはうどんを食うか?」

「はい、そうしましょう!」

少しずつ、春奈が調子を取り戻し、秀人は安心する。

「何かクラスの出し物で気になるものはねえのか?」

「そうですね……3年F組で占いをやっているそうなので、そこに行ってみたいです」

「占いなんて興味あるのか?」

「ありますよ」

「でも、占いの結果で……」

「どうしました?」

秀人は一瞬、演劇部の発表が失敗すると占いで出たら、どう思うかを聞こうとしたが、やめた。

「好きでもねえ奴と相性ピッタリで、付き合わねえとダメだとか言われたら、どうする?」

何とか誤魔化せただろうと、秀人は息をつく。

「その時は占いの結果を信じません」

「だったら、初めから占ってもらわねえで良いだろ」

「でも、興味があるんです」

「じゃあ、占いも行くか」

「あと、11時からある、吹奏楽部の演奏も聴きたいです」

「わかった。それも行こう」

「秀人君は行きたい所、ないんですか?」

「ああ……考えとくよ」

秀人はそう言ったものの、特に行きたい所もないため、困ったように、ため息をつく。

「あ、そういえば……」

その時、秀人は少しだけ考え、話を中断した。

「どうしました?」

「……いや、他のクラスの出し物、何があったか覚えてねえんだよ」

「確か、昨日配られたパンフレットに載ってましたよ」

秀人はしようしていた話をする事なく、別の話題を話し続けた。


文化祭2日目の今日は、各クラスで出席を取った後、すぐにクラスの出し物が始まった。

その前に毎年恒例のミスコンを決める投票用紙が配られたが、秀人は何も書く事なく、ポケットにしまった。

「じゃあ、秀人、春奈ちゃんと楽しんできてね」

「お前、今日は何するんだよ?」

「とりあえず、俺は俺で忙しいんだよ。じゃあ、また」

和孝は足早に教室を後にした。

「及川、他の教室を回るなら、暇な時に喫茶店の宣伝をしてくれ」

「気が向いたらな」

夢とも別れ、秀人は春奈が待つ3年A組の教室に向かった。

「春奈」

「あ、秀人君」

「準備とかはねえのか?」

「はい、ないですよ」

「じゃあ、行くか」

2人は予定通り、外の屋台へうどんを買いに行った。

「うどんなら消化も良いですし、朝から食べても問題ないと思ったんです」

「こんな日に健康管理を気にするなよ」

「秀人君は何にするんですか?」

「俺もうどんにするよ。色々食べるのは昼にしよう」

「そうですね」

2人は揃ってうどんを買うと、昨日と同じ場所で食べる事にした。

「何か、1番乗りだったみたいだな」

「うどんも美味しいですね」

「食ったら、適当に色々回るか」

「はい、そうしましょう」

春奈は笑顔で秀人に合わせる。

秀人は流し込むように食べていたため、すぐにうどんを食べ終わった。

「ご馳走様っと」

「あ、少し待って下さい」

「別にゆっくりで良いからな」

春奈の慌てた様子に秀人は笑った。


うどんを食べ終えた後、秀人達は様々な出し物を見て回った。

ダーツや的当てのようなゲームだけでなく、プラネタリウムやお化け屋敷にも行き、2人は充実した時間を送った。

「吹奏楽部の発表も見たいんだろ?そろそろ占い、行くか?」

「はい、そうしましょう」

ある程度の時間が過ぎ、2人は春奈の当初からの希望でもある、3年F組の占いに行った。

そこでは5人の生徒が占い師として席に座り、人もそれなりに入っていた。

その様子を見て、秀人はデパートにある占いコーナーのようだと感じた。

「結構混んでますね」

「まあ、5ヶ所で占ってるし、すぐ回ってくるだろ」

秀人の言った通り、数分待っただけで秀人達の番になった。

「何を占う?相性占いかな?」

「いや、俺は……」

「秀人君、せっかくですから、相性を占ってもらいましょうよ」

春奈は真剣な表情を見せる。

「あのな……。春奈だけ占ってもらえよ」

「じゃあ、相性占いね。だったら、2人共座って」

「だから俺は……」

「はいはい、とにかく座りなさいよ」

結局、強引な言葉に乗る形で秀人も春奈と一緒に席に座り、占ってもらう事にした。

「当たらねえと思うんだけどな……」

「秀人君、そんな事言わないで下さい」

「何か希望はある?タロットとか、水晶とか、色々出来るよ」

「別におまかせで良いよな?」

「はい」

「じゃあ、私独自の占いにするね」

「いや、それは胡散臭くねえか?」

「私は、それが良いです」

「まあ、おまかせって言ったもんな」

秀人は軽くため息をつく。

「それじゃあ、私が作ったオリジナルのカードで占うね。まずは彼氏から、カード切ってもらっても良いかな?」

「俺達、付き合ってねえんだけど?」

「イマジネーションが狂うから、余計な事は言わないの」

「たく……適当で良いのか?」

秀人は指示通り、カードを切る。

「こんなもんで良いか?」

「終わったら、次は彼女が切って」

「あ、はい」

彼女と言われたからか、春奈は顔を赤らめながらカードを切る。

「これで良いでしょうか?」

「うん、ありがとう。じゃあ、2人の運勢を見るね。2人共、手を繋いでもらって良い?」

「そんな事する必要あるのか?」

「ほら、私の言う通りにしてよ」

「ああ、わかった」

秀人が手を握ると、春奈はさらに顔を赤くする。

「そうしたら、2人それぞれ好きなカードを1枚引いて」

「どこから取っても良いのか?」

「うん、どこでも良いよ」

「さっきカード切ったの、意味ねえような気がするな……」

秀人と春奈はそれぞれ、適当にカードを1枚引く。

「カードは裏向きで自分の前に置いてね。次は目を閉じて、相手の事を考えて」

「カードを引いた後に考えたって、しょうがねえだろ?」

「良いから、言う通りにして」

「相手の事……」

春奈が目を閉じ、集中し始めたため、秀人も目を閉じる。

それから数秒後、2人は目を開ける。

「じゃあ、2人で1枚だけカードを選んで」

「2人で1枚?」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、これにするか?」

「はい、私もそれが良いと思います」

「じゃあ、その1枚のカードは真ん中に置いて」

秀人は最後に選んだカードを机の真ん中に置いた。

「じゃあ、2人がそれぞれ引いたカードをまず、表にして」

「ああ、わかった」

指示通り、2人はそれぞれのカードを表にした。

「2人の運勢は……」

そのまま、少し間が空き、秀人は首を傾げる。

「どうした?」

「2人、すごいね」

その言葉の意味がわからず、秀人だけでなく、春奈も首を傾げる。

「すごいって、どういう事でしょうか?」

「2人の相性、すごい良いの」

「え?」

「てか、現状でもお互いに考えてる事とか、理解し合ってるんじゃないかな?」

秀人と春奈は思わず顔を見合わせる。

同時に春奈の顔が真っ赤になった。

「お前、顔赤くするなよ。俺まで照れるだろ」

「ごめんなさい」

「最後のカードも見てみようか。このカードは2人の運命を表してるの」

2人で選んだ、最後の1枚が表にされたが、そこには何の絵も描かれていなかった。

「あれ?」

「予備のカードなんて入れてるのか?」

「ううん、これは白紙のカードなの」

「え?」

春奈は不安げな表情を見せる。

「つまり、相性は良いのに、2人の運命は何もねえって事か?」

「おかしいな……。この結果を考えると、2人はまだ出会ってもいない事になっちゃうんだよね」

「は?」

「むしろ、一生を通して、1度も出会う事ないというか……」

秀人がふと目をやると、春奈は落ち込んでいる様子だった。

「でも、2人の相性は抜群に良いんだし、もう出会ってるなら良かったじゃん!」

「適当な奴だな……」

秀人は軽くため息をついた後、席を立つ。

「まあ、占ってくれてありがとな。春奈、もう行こう」

「あ、はい」

落ち込んだ様子の春奈を無理やり立たせ、秀人はその場を後にした。


春奈は占いの結果を聞いてから、ずっと落ち込んだ様子を見せている。

その様子を見て、秀人はどうしようか考える。

「あんな適当な占い、気にするなよ」

「秀人君と相性が良いと言われて、嬉しかったんです。でも……」

「俺達、罰ゲームがきっかけで知り合っただろ?あの時、俺は随分と低い確率で負けて、罰ゲームを受けたんだよ」

秀人は言葉を選ぶように続ける。

「それがなければ、俺達は出会わなかったんだ。つまり、今、俺達が一緒にいるのは奇跡みたいな事なんだ。そう考えれば、あの結果も納得だろ?」

「そうでしょうか?」

「だから……」

秀人はどう言えば良いかわからなくなり、別の話題を振る事にした。

「ほら、そろそろ吹奏楽部の発表だろ?早めに行って席取った方が良いんじゃねえか?」

「あ……そうですね。じゃあ、行きましょうか」

2人は大講堂に行くと、空いていた席に座った。

「人、結構入ってるんだな」

「吹奏楽部はコンクールでも上位に入る事が多いですし、有名なんですよ」

「俺は初めて聴くんだけどな」

秀人が横に目をやると、春奈はまた緊張した表情を浮かべていた。

「お前、何でまた緊張してるんだよ?」

「私もこの後、ここで発表するのかと思うと、緊張してしまいます」

「お前、去年とかどうしてたんだよ?緊張しなかったのか?」

「去年も一昨年も緊張しました。でも、今年は秀人君に見てもらうと思うと、さらに緊張してしまいます」

「わかった。俺は今年も屋上で寝る事にするな」

「そんなの嫌です。見てもらいたいです」

「冗談だよ。お前の劇、結構楽しみにしてるんだ。見るなって言われても見るよ」

「そこまで言われると、プレッシャーになります……」

「お前、面倒な奴だな」

「……ごめんなさい」

その時、吹奏楽部の部員達が演奏の準備に入る。

「吹奏楽って言うから、吹く楽器だけだと思ったら、ピアノもいるんだな」

「ピアノは1人だけですから、競争率も激しいそうで、本当に上手な方でないと出来ないそうです」

「お前、随分と詳しいな」

「毎年、吹奏楽部の演奏を聴いて、勇気をもらっていますから」

「じゃあ、今年も勇気をたくさんもらって、緊張を消せよ」

「はい、そのつもりです」

秀人は少しだけ、吹奏楽部の演奏が失敗した場合を想定したが、すぐにそんな考えを捨てた。

その時、簡単な挨拶だけした後、吹奏楽部の演奏が始まった。


吹奏楽部の演奏が終わった後、春奈はしばらく席に座ったまま、動かなかった。

「どうだった?」

「……秀人君はどう思いました?」

「音楽とか、よくわからねえけど、良かったと思うな。お前が言ってた通り、ピアノもすごかったよ」

「ソロでも演奏していましたよね。緊張しないんでしょうか?」

「緊張は誰だってするよ。それでも、良いものは見せられるって事だ」

秀人は春奈に笑顔を見せる。

「緊張したって、良いものは作れるよ」

「私……勇気をもらえました」

「良かったな」

「実は……主役として舞台に上がって良いのか、不安だったんです。でも……私、頑張ります」

「そっか」

春奈の強い意志を感じ、秀人は安心した。

「よし、昼飯、食いに行くか」

「はい」

2人は席を立ち、外の屋台に向かった。

「何にする?今日も1つずつ頼んで分けた方が良いだろ?」

「そうですね……私は焼きそばが食べたいです」

「この後、発表だろ?歯に青海苔付いても知らねえからな」

「大丈夫です。食べた後、歯を磨きます」

「なら、良いか。俺は珍しいのが良いな……タコスとか言うのにするか」

「はい、じゃあ買いに行きましょう」

2人は食べ物を買うと、すっかり定位置になっているのか、昨日や朝と同じ場所で食べる事にした。

「これ食ったら、準備に入るんだろ?」

「はい、その予定です」

「今日、回りたい所は全部回れたか?」

「はい、秀人君のおかげです。ありがとうございました」

「俺も楽しめたから、お互い様だよ」

「そう言ってもらえると嬉しいです」

春奈が笑顔を見せると、秀人も自然と笑顔になった。

「さっきまで、緊張し過ぎで、正直心配だったけど、その分なら、大丈夫そうだな」

「……まだ緊張はしていますが、さっきも言った通り、私も頑張ろうと思っています」

「ああ、頑張れ」

「はい!」

「でも、何よりもお前自身が楽しめ。ずっとやりたかった事だって言ってただろ?」

「はい、そうですね」

春奈は嬉しそうに笑う。

「秀人君、やっぱり優しいです」

「何で、突然そんな話になるんだよ?」

「でも、この文化祭が終わったら、一緒にいる時間、少なくなると思います」

「え?」

「受験勉強も本格的に始まりますし、秀人君は教師を目指すんですよね?」

「ああ、そのつもりだよ」

「私は俳優関係の専門学校を考えています。ですから、高校を卒業すれば、それっきりになってしまいます」

春奈は小さくため息をつく。

「今日は、秀人君と文化祭を回れて、本当に楽しかったです」

「何で、急にそんな話するんだよ?まだ占いの事、気にしてるのか?」

「あ、はい」

「悪い結果だったら、信じねえって言ってただろ?」

「そうなんですけど……」

「たく……」

秀人はからかうように春奈の頭を撫でる。

「秀人君!?」

「お前、これから発表、頑張るんだろ?そんなネガティブな事言うなよ」

「そうですね……はい!」

「ほら、そうやってポジティブにいろよ。良いな?」

春奈が笑顔を見せると、秀人は軽く春奈の頭を叩いた。


「じゃあ、後で見に行くからな」

「はい、お願いします」

準備がある春奈と別れ、秀人はどうやって時間を潰そうか考えていた。

「秀人!」

「和孝、今まで何やってたんだよ?」

「ちょっとね。春奈ちゃんは準備に行っちゃったのかな?」

「ああ、2時からだしな。色々と準備に時間かかるんだろ」

「じゃあ、それまでは教室に戻ってコーヒーでも飲もうかね。秀人、飲んでないでしょ?」

「そういえば、そうだな」

「じゃあ、決まりだね」

そのまま、秀人と和孝は自分のクラスがやっている喫茶店に行くと、コーヒーを頼んだ。

「今日は空いてるんだな」

「これでも客はたくさん入ってるんだ。今考えれば、昨日が入り過ぎていたんだ」

今日、夢は調理担当となっている。

「お前、昨日接客やったのに、大変だな」

「学級委員だからな。しょうがないんだ」

「別の奴に仕事振るとか出来ただろ」

仕事を頑張っている夢を見て、秀人は呆れたように笑う。

「演劇部の発表は2時からで合ってるか?」

「ああ、そうだよ」

時計に目をやり、秀人は残りの時間をどう過ごそうか考える。

「秀人、一緒にどっか行く?」

「別にもう回りたい所はねえからな……」

その時、廊下から騒がしい声が聞こえてきた。

「何だろ?ちょっと調べてくるね」

和孝は話を聞きに、廊下へ出て行く。

それから数秒後、慌てた様子で戻ってきた。

「秀人、大講堂で看板か何かが落ちたみたいで、怪我人が出たみたい」

「え?」

「聞いた話だと……」

「春奈……」

秀人は飲みかけのコーヒーを残したまま、廊下に出ると、全力疾走で大講堂に向かう。

大講堂の入り口は人が溢れていたが、秀人は人込みを掻き分け、中に入った。

開会式で見た、『二和木高校文化祭』と大きく書かれた看板が割れた状態で落ちているのを確認し、秀人は険しい表情を浮かべる。

「春奈……春奈は!?」

秀人の迫力に質問された生徒は驚いた様子を見せる。

「……秀人君?」

「え?」

振り返ると、驚いた様子の春奈がいた。

「春奈、怪我は!?」

「大丈夫です。私は部室でリハーサルをしていたので……」

「良かった……」

秀人は安心して気が抜けると、その場に座った。

「ただ、準備をしていた方が怪我をされたみたいで……あと、私達の発表、出来なくなってしまいました」

「え?」

「事故が起きてしまいましたから……」

春奈は悲しそうな表情を見せる。

「事故って、お前らの責任じゃねえだろ?」

「今、神楽先生が校長先生と話しているんですけど……」

「お前、さっき、頑張るって言ってたよな?」

「あ……はい」

「だったら、簡単に諦めるな」

秀人は立ち上がると、校長と神楽の下に向かう。

そこには、村雨もいた。

「今まで、練習してきたんです。それがこんな形で中止になってしまっては……」

「神楽先生、気持ちはわかりますが、保護者の方の声もありますし、安全のために……」

「生徒達のためを考えれば、発表を中止する事には賛成出来ません」

村雨と神楽が説得をしても、校長は納得しなかった。

「おい、校長、演劇部の奴らは何も悪くねえだろ。むしろ、看板をちゃんと付けなかった、あんたらの責任だ。それなのに、何で演劇部の発表を中止するんだよ?」

「及川、お前は黙ってろ」

「黙ってられねえよ!」

秀人の態度に校長は表情を険しくする。

「君、名前は?」

「すいません、私のクラスの生徒でして……」

「お願いだ!演劇部の発表を中止するな!」

秀人は頭を下げる。

「……私からもお願いします」

秀人を追いかける形でやって来た春奈も頭を下げた。

「君達の気持ちもわかる。しかし……」

「校長先生、中止にする事は良くないと思いますよ」

そんな声が聞こえ、秀人は顔を上げる。

「あれ、じいさん?」

そこには先日、横断歩道を渡れずに困っていた、あの老人がいた。

「あの時はありがとう。助かったよ」

「じいさん、どうしてここに?」

「おい、理事長に何言ってるんだ!」

「え?」

「別に構いませんよ」

秀人と春奈の驚いたような反応に理事長は笑顔を見せる。

「保護者の対応は私がしますから、演劇部の発表は予定通り進めて下さい」

「……わかりました」

理事長の言葉に校長は素直に従う形を取った。

「ありがとうございます」

「困っている時はお互い様ですよ。それじゃあ、頑張りなさい」

理事長は穏やかな表情のまま、その場を後にした。

「良かったな」

「はい!」

「じゃあ、準備を始めよう。俺も手伝ってやるから」

秀人の言葉に春奈は嬉しそうに笑顔を見せる。

「ありがとうございます」

春奈の笑顔を見て、秀人も笑顔を返した。

「そういう事なら、俺も手伝うよ」

声がした方に目をやると、和孝が立っていた。

「ありがとな」

秀人はそこで、軽く深呼吸をする。

「よし、じゃあ始めよう」

秀人の言葉に、他の部員達は大きくうなずいた。

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