6月24日(木)
「じゃあ、行って来ます」
「春奈、大丈夫?」
「大丈夫です。文化祭も近いですし、昨日休んでしまった分、皆さんに迷惑をかけてしまったと思いますから」
「あら?」
「春奈、おはよう」
この日、秀人は家の前で春奈を待っていた。
「秀人君?」
「ほら、学校行くんだろ?」
「あ、はい。あと、おはようございます」
「2人共、行ってらっしゃい」
春奈の母親に笑顔で見送られ、2人はゆっくりと歩き出した。
「秀人君、今日は……」
「何も聞くな。俺も何やってんだかって思ってる」
「ありがとうございます。正直言うと、1人で行ける自信ありませんでした」
「演劇の発表、頑張るんだろ?」
「はい、頑張ります」
春奈の笑顔を見て、秀人は安心したように笑う。
「秀人君、昨日はありがとうございました。それに今日も……」
「俺だって、この前、兄ちゃんの事で助けてもらったから、お互い様だよ」
歩くペースが遅かったためか、三枝谷駅に着いた時、丁度、電車が出発してしまい、いつもの時間に2人は乗れなかった。
「次の電車でも間に合いますか?」
「少し早足で行けば問題ねえよ。和孝と遠野はどうする?」
「あ、出来れば、先に行ってもらって下さい」
「そうだな。和孝にメールしておく」
秀人がメールを打ち終え、送った後、すぐに返事が届いた。
「遠野と先に行くってよ。一緒に行っても良かったんだけどな」
「急がせてしまっては申し訳ないです」
「春奈はそう考えるもんな。だから、先に行かせたよ」
少しだけバカにするように秀人は笑う。
その後、やってきた電車に2人は乗った。
「今日の秀人君、いつもより優しいです」
「え?」
「いつも優しいんですけど、今日は特に優しいです」
「別に、お前の事、少し心配だっただけだよ」
「あと……今日、小説の中の世界に飛び込んでしまったのかと思いました」
「え……ああ、この前借りた小説にあったな」
「はい、男の子が、好きな女の子の家まで、迎えに来てくれるんです」
「ああ、そうだったな」
そこで、秀人は顔を赤くする。
「あ、別に俺はお前の事……」
「わかってます」
春奈の笑顔を見て、秀人は複雑な気持ちになる。
「秀人君、もてますから、私なんかでは釣り合いが取れません」
「だから、俺はもてねえって言ってるだろ。というか、お前の方が俺なんかより、ずっともててるじゃねえか」
「そんな事ないです」
また春奈が頑固な様子を見せたため、秀人は小さくため息をついた。
2人は電車を降りると、早足で改札を出る。
周りを見ると、生徒は1人もいない。
「ギリギリになるけど、走る程ではねえな」
「急がせてしまって、ごめんなさい」
「俺は別に良いって。というか、みんな余裕持って学校行ってるんだな」
「秀人君が遅いだけです」
「最近、お前って俺には厳しい事言うよな」
「ごめんなさい……」
「いや、良いよ。これからも言ってくれて構わねえから」
2人は話をしながら、早足で学校に向かう。
その途中で、2人は信号のない横断歩道を渡れないでいる老人の姿を遠くに見つける。
朝で急いでいるためか、車は1台も停まろうとしない。
「春奈、先に……」
「一緒に行きましょう」
春奈は駆け足で老人の下に向かう。
そのすぐ後を秀人は追いかける。
「2人で行ってもしょうがねえだろ。お前は先に行けって」
「だったら、秀人君が先に行って下さい」
「お前、ホント、こういうのは頑固だな。わかった、一緒に行くよ」
秀人は春奈を追い抜き、先に老人の下に着くと、足を止める。
「じいさん……あっちの横断歩道なら信号あるよ。この時間、ここだと車、停まらねえんだよ」
「わかってるよ。ただ、荷物が多くて、ここで待つ事にしたんだよ」
「皆さん、停まってくれませんね」
春奈は手を上げ、車を停めようとしたが、効果はなかった。
「歩行者優先だっての」
秀人は手を上げると、強引に横断歩道に立ち、車を停める。
「ほら、じいさん、俺が荷物持つよ」
「私も持ちます」
2人は老人と一緒に横断歩道を渡った。
「ありがとう。助かったよ」
「どこまで行くんですか?」
春奈の質問から、このまま老人の目的地まで一緒に行こうとしているのだろうと秀人は感じた。
「お前、今日も学校休む気じゃねえだろうな?」
「でも……」
「近くに用があるだけだから、もう荷物は大丈夫だよ」
「じゃあ、気を付けて下さいね」
2人は老人に荷物を返す。
「2人共、二和木高校の生徒かな?」
「あ、はい」
「名前、聞かせてもらえないかな?」
「じいさん、時間ねえから……」
「私、立石春奈です。彼は及川秀人君です」
「お前、律儀な奴だな」
「立石春奈さんに及川秀人君か。本当にありがとう」
「どう致しまして。ほら、春奈、早く行かねえと」
「おじいさん、すいませんね」
春奈は丁寧に頭を下げる。
2人は渡ったばかりの横断歩道をもう1度、強引に渡った後、走り出した。
「結局、走る事になっちまったな」
「秀人君、損してます」
「は?」
「せっかく良い事をしても、さっきのような言葉使いでは悪い印象を与えてしまいます。年上の方には敬語を使って下さい。神楽先生や私のお母さんには敬語を使ってるじゃないですか」
「それは、どこか尊敬出来る部分があるからだよ」
「他の年上の方に対しても、もっと尊敬の心を持って下さい」
「別に俺より早く生まれただけじゃ、尊敬なんて出来ねえよ」
「私達よりも長く生きている人生の先輩なんです。それだけで尊敬出来ます」
「まあ、今度から気を付けるよ」
「今日から気を付けて下さい」
2人は言い争いをしながら走り続けたが、学校に着いたのは、既に始業ベルが鳴った後だった。
「お前は出席呼ばれるの遅いから、間に合うだろ」
「秀人君、ごめんなさい」
「お前は悪い事してねえのに謝る癖を直せよ」
「秀人君が年上の方に対する態度を直してくれるなら、考えます」
「お前な……。じゃあ、また昼な」
春奈と別れた後、秀人は教室に入った。
「悪い、遅刻した」
「及川、昨日は休みで、今日は遅刻か?」
「体調が優れね……」
そこで、秀人は春奈に言われた事を思い出す。
「体調が優れなかったんです。すいません」
「え?」
秀人の敬語に、村雨は驚いた様子を見せる。
その時、放送を伝えるチャイムが鳴る。
「ホームルーム中、すいません。先程、男性から連絡がありまして、皆さんに伝えるよう伝言を頼まれていますので、お伝えします」
生徒達は放送に耳を傾ける。
「先程、その男性が横断歩道を渡れずに困っていたところ、立石春奈さんと及川秀人君が手を貸してくれ、大変助かったそうです」
「は?」
秀人はわけがわからず、思わず苦笑してしまった。
「皆さんも、このような優しさを持った行動を大切にして下さいとの事です。以上、失礼しました」
放送が終わり、しばらく教室はざわつく。
「……及川、今日の遅刻は取り消しだな」
「いや、同姓同名かもしれねえだろ」
「まあ、良い。みんなも見習うように」
秀人は赤くなった顔を隠すように下を向いた。
この日、授業は午前中で終わり、午後から文化祭の準備となる。
また文化祭が終わるまで、もう授業がないため、教室の装飾等も午後から行えるようになる。
秀人達4人は昼、屋上に集まった。
「秀人君、朝の放送……」
「思い出したくねえから黙れ」
「秀人、朝からクラス中にからかわれて、機嫌悪いから……」
「和孝、気晴らしに殴って良いか?」
「別に久保の許可を取る必要ないんじゃないか?黙って殴れば良い」
「あなた達、俺はサンドバッグじゃないですよ!」
秀人は春奈に視線を送る。
「春奈の方はどうだった?」
「その……クラスの皆さんから話しかけられまして、戸惑ってしまいました」
「お前、無視してねえだろうな?」
「あ、えっと……この前、教えてもらった台詞を言いました」
少しの間、春奈の言葉の意味を秀人は考える。
「何て言ったか、ここでもう1度言ってくれねえか?」
「あ……はい」
春奈は軽く深呼吸をする。
「私は3年A組の立石春奈です。もし良かったら、友達になってくれませんか?」
「お前、バカか!?」
「前より、上手に言えるようになりました」
嬉しそうに笑う春奈を秀人は呆れた目で見る。
「せめて、状況に合わせて台詞変えろよ。同じクラスの奴にどこのクラスか教えても意味ねえだろ」
「あ、そうでした……」
「それで、周りの反応はどうだった?」
「その……皆さん、少し困った様子を見せた後、笑顔で友達になってくれました」
「……それなら良いか。友達、また出来て良かったな」
「はい」
春奈は嬉しそうに笑う。
「みんな、春奈ちゃんに対して、持ってる印象が違うって気付いたんだろうね」
「人を助けるなんて、本来の立石らしい事だからな。みんなに理解してもらえて良かったな」
「はい、少し恥ずかしいですが、嬉しいです。あ、それよりも……」
春奈は頭を下げる。
「昨日は心配をかけてしまい、ごめんなさい」
「今、こうして元気な春奈ちゃんがいてくれれば、それで良いよ」
「そうだ。そんな風に改まって謝らなくて良い」
2人の言葉を聞き、春奈は安心したように息をつく。
「そういえば、春奈の担当、前日の準備って言ってたけど、この後、どうするんだ?」
「今日は私、部活の方の準備に行って良いそうです。当日、舞台の装飾がすぐ行えるように準備をしたり、衣装の確認をします」
「及川、久保、うちのクラスは教室の装飾があるからな」
「面倒だな」
「普通に帰りたいよね」
秀人と和孝の態度に夢は不機嫌な様子を見せる。
「私、今日は最後まで残っていますから、帰りに部室へ寄ってくれませんか?そうすれば、一緒に帰れますから」
「わかった。でも、あまり遅くなるようなら、先に……お前は帰らねえか」
秀人は少しだけバカにするように笑った。
午後になり、3年C組は夢を中心に準備を開始していた。
「不要な机と椅子は旧校舎の方に運んでくれ。行けば、誰かが案内してるはずだ。指示に従ってくれ」
「力仕事は男がやれって事だろうね。秀人、行くよ」
「ここは役割分担しよう。お前が俺の分まで運んでくれ。その間に俺はお前の分まで屋上でのんびりしてくる。良い考えだろ?」
「役割分担か。秀人、考えたね……って言うわけないでしょ!」
「及川、久保、バカやってないで机運べ」
「ごめんごめん。秀人のせいで怒られたんだからね」
「人のせいにするなんて心の狭い奴だな」
「あなたの中で心の広い人ってどんな人ですか?」
秀人と和孝はそんな事を言いながら、他の男子と一緒に机を順番に運ぶ。
その途中、秀人は周りから注目されているような感覚を持つ。
さらに女子の中には話しかけてくる者もいた。
「何か、注目されてるね」
「お前の顔がひどい事になってるからだろ」
「え、マジですか!?って、注目されてるのは秀人でしょ。俺に話しかけてくる子なんていないし」
「お前の顔がひどい事になってるのは何でかって、本人に聞くのは失礼だろ」
「いや、あなたが1番失礼なんですけど……。朝の放送が秀人の印象も変えたって事だろうね」
和孝は軽く笑う。
「前も言ったけど、秀人、結構もてると思うし、隠れファンみたいのがいたんだろうね」
「だからって、何で急に話しかけてくる奴が増えるんだよ?」
「秀人、冷めてるっていうか、春奈ちゃん程じゃないけど、女子から見たら話しかけ辛かったのかもね。話しかけても無視されそうって思ってた人もいたんじゃない?」
「さすがにそこまではしねえよ」
「わかってるよ。あくまで印象の話。ただ、今日の1件で実は優しい人で、話しかけても応えてくれるかもって、みんな考えるようになったんだよ。それに春奈ちゃんとの噂も仲が良いだけで付き合ってないって事になってるでしょ?」
「実際、付き合ってねえしな」
「でも、その噂って、秀人に彼女がいないって意味にも取られてるみたいだし、これからは色々な子がアタックかけてくるかもね」
「それじゃあ、俺はそういった事、全部無視した方が良いのか?」
「いや、ダメでしょ!」
「冗談だよ。そんなひどい事、和孝じゃねえから出来ねえよ」
「いや、俺も出来ないんですけど……」
2人は机を指定された場所に置き、教室に戻る。
「でも、春奈ちゃんってさ……」
「ん?」
「秀人の事、よくわかってるよね」
和孝の言葉の意味がわからず、秀人は考える。
「どういう事だよ?」
「秀人が優しいとか、周りから誤解されてるとか、そんな事言ってた時は何言ってるんだろうって正直思ったんだけどね。今、考えてみると、その通りだなってね」
「は?」
「俺、秀人と2年以上一緒にいるのに、秀人の事を誤解してたなって思ったんだよね。春奈ちゃんだけは秀人の事、よく理解してたんだなって」
「たく……気持ち悪い事言うなよ。ただでさえ、気持ち悪い顔してるのに」
「気持ち悪い顔って何ですか!?」
秀人はその後も和孝をからかいながら、教室に戻った。
今日の下校時間が近付き、ほとんどの生徒は帰り支度を始めている。
「これ、明日で終わるのか?」
3年C組の教室は、やりかけの装飾が多く、見るからに未完成と言える状態だった。
「大丈夫、予定通りだ」
「なら、良いけどな。じゃあ、今日は帰るか。春奈を迎えに行かねえとな」
「ああ……そうだな」
秀人達は作業を切り上げると、演劇部の部室に向かった。
春奈は部室ではなく、その途中の廊下にいた。
「ねえ、どうしてもダメかな?」
「他に好きな人がいるんです」
「でも、付き合ってないんでしょ?」
春奈の前には1人の男子生徒がいて、どうやら告白しているようだった。
「そうですけど……」
「だったら、俺と付き合おうよ」
その時、秀人は男子を突き飛ばす。
「おい、しつこいんじゃねえか!?」
「あ、いや、俺は……」
「春奈、嫌がってるじゃねえかよ!」
「……あ、ごめんなさい」
秀人が睨むと、男子は逃げるように、その場を後にする。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます。秀人君の教室に行こうとしたら、声をかけられまして、困っていたんです」
「何か、朝の放送のせいで、色々と状況が変わってるみたいだし、気を付けろよ」
秀人が視線を和孝と夢に移すと、2人は呆然としていた。
「どうした?」
「あ、いや……何て言うかね」
「……及川、立石、早く帰ろう。もう下校時間を過ぎてる」
「あ、はい」
4人は早足で学校を出た。
「演劇の方、本番は上手くいきそうか?」
「はい、今日は一通り、通して練習しました。皆さん、たくさん練習をしてくれたみたいで、今すぐ本番にしても良いぐらい、良かったんです」
「そっか。俺も楽しみにしてるからな」
「はい!遠野さんと久保さんも楽しみにしていて下さい」
春奈は上機嫌な様子だ。
それから、まず和孝と別れ、次に駅で夢と別れ、秀人と春奈の2人になった。
2人は電車に乗ると、空いていた席に並んで座った。
「秀人君?」
「ん?」
「さっきは本当にありがとうございました」
「別に大した事してねえよ」
その時、春奈が寄りかかってきたため、秀人は顔を赤くする。
「おい?」
「今日は何だか疲れました。色々な事がたくさんありましたので……」
「……帰ったら、ゆっくり休めよ」
「あの……秀人君?」
春奈はそのまま、秀人の胸に顔を押し付ける。
「春奈?」
「ごめんなさい。少し気が抜けてしまいました」
そこで、秀人はクロの事を思い出す。
「お前、今日は頑張ったな」
「秀人君のおかげです。朝、家まで迎えに来てくれて、そのおかげで元気が出ました」
「……実を言うと、俺も結構きついんだ。兄ちゃんの事、思い出す度にもういないんだって事が悲しくなる」
「え?」
春奈は顔を上げ、悲しい目になる。
「ごめんなさい、私……秀人君のそんな気持ち、気付いてあげられませんでした」
「あ、いや、春奈が気付けるわけねえよ」
秀人は慌てて説明する。
「春奈と一緒だと、そんな事、全部忘れられるんだよ。お前といると楽しくて……」
そこまで話し、秀人は顔を赤くする。
「あ、今のは別に変な意味じゃねえからな」
「そんな風に思ってもらえて嬉しいです。私も秀人君と一緒だと安心出来ますから」
その時、電車が三枝谷駅に到着した。
「じゃあ、また明日」
「ああ、またな」
春奈は電車を降りると振り返り、秀人に笑顔を向ける。
その時、秀人は少しだけ考えた後、立ち上がり、ドアが閉まる直前の電車を降りる。
「……秀人君?」
当然、春奈は驚いた様子だ。
「家まで送ってくよ。遅いし、1人だと危ねえだろ」
「そんな……申し訳ないです」
「どっちにしろ電車行っちまったし、ここで1人で帰して、お前に何かあったら俺が悪者になるだろ」
「秀人君、何があっても良い人です」
「とにかく、送ってくから、さっさと来い」
「秀人君、やっぱり今日はいつもより優しいです」
春奈は笑った後、秀人の後をついて行った。
2人は駅を出た後も話題が尽きる事なく、ずっと話をしたまま、春奈の家に到着した。
「じゃあ、また明日な」
「はい、送ってくれて、ありがとうございました」
「あと……」
秀人は少しだけ顔を赤くする。
「明日も家まで迎えに来た方が良いか?」
「え?……でも、秀人君に無理をさせてしまっては悪いです」
「俺がどうとかじゃなくて、お前はどうなんだ?」
「それは、迎えに来てもらった方が嬉しいですけど……」
「じゃあ、明日も迎えに来る。同じ時間で良いよな?」
「あ……はい!」
春奈は嬉しそうに笑顔を見せる。
「じゃあ、俺は帰るからな」
「はい、気を付けて下さい」
秀人は春奈に笑顔を返した後、駅を目指した。