6月20日(日)
秀人達は途中で集合した後、ほとんど時間通り、目的の川に到着した。
「空気が美味い!」
「家から、そんなに離れてねえだろ」
「秀人、こういうのは気分が大事なんだよ」
「何言ってるんだか……」
「秀人君、久保さんの言う通りだと思いますよ?」
「まあ、そういうもんか……」
秀人は景色を見渡し、違和感を持つ。
「ここも、前に来た事がある気がするな」
「そうなんですか?」
「まあ、別の川かもしれねえけどな」
「とりあえず、もっと近付こうよ!」
「そうですね」
4人は丘のようになっている急な斜面を慎重に下り、川に近付く。
「気を付けろよ」
「はい」
「ここまで水が来る事もあるのか?」
「あ、近くにダムがあるそうでして、放水した時は結構高い位置まで水が来るそうですよ」
春奈は少しだけ険しい表情になる。
「放水する時はサイレンを鳴らしたりして注意を知らせるそうですが、以前、子供が巻き込まれてしまった事故もあったようです」
「こういう場所は大人でも危ねえからな」
4人は斜面を下り終え、川のすぐ近くにしゃがむと、川に手を当てる。
「冷たいですね」
「夏にはまだ早いからな」
「入るのは無理ですかね?」
その時、秀人と夢は目配せをすると和孝の両側に立つ。
タイミングを計った後、秀人と夢は両側から和孝の背中を押した。
その拍子に和孝は川に落ちる。
「よし」
「あの……着替えとか持って来てないんですけど?」
「冷たいか?」
「ええ、風邪引きそうですよ」
「じゃあ、まだ入れないという事か」
「何で俺で試したんですかね!?」
和孝は大きなくしゃみをした。
4人は少しした後、早めの昼食を食べる事にした。
「今日は暖かかいから、まだ良いけどさ……」
和孝は服を乾かすため、薄着になっている。
「今日は2時ぐらいまでに、もう少し気温が上がるそうです」
「じゃあ、2時になったら、また落とすか」
「俺、何か悪い事しましたかね!?」
秀人は和孝を笑いながら見ているだけだ。
「でも、こういった場所で食べると、いつもより美味しく感じますね」
「まあ、それは言えてるな」
「そういえば、秀人君、熱は下がったんですか?」
「ああ、大丈夫だから心配するな!」
秀人が慌てた様子を見せると、春奈は首を傾げる。
その後、4人は昼食を食べ終え、少しの間、食休みをしていた。
「何か、喉が渇いたね」
「それなら、あそこに自動販売機がありますよ?」
「和孝、俺はコーラな」
「私はオレンジジュースにしてくれ」
「何で、俺が行く事になってるんですかね!?」
「私が行ってきましょうか?」
「しょうがねえ。ジャンケンで決めるか」
「そうだな」
「春奈ちゃんと俺とで扱いが違い過ぎるんですけど……」
4人は右手を前に出し、タイミングを合わせるように軽く息を吸う。
「ジャンケン……ポン!」
結果は秀人と春奈の負けだった。
「和孝が勝っちまったから、もう1回だな」
「4本ありますし、秀人君と私で行きましょうよ」
「たく……わかった。遠野はオレンジで、和孝はタバスコで良いか?」
「俺の方、飲み物じゃないんですけど……コーラにしてくれない?」
「わかりました。秀人君、行きますよ」
「ああ、わかったよ」
2人は足早に自動販売機に向かう。
「春奈は何にするんだ?」
「私は……アップルジュースにします」
「遠野がオレンジで、和孝はどれにしようかな……」
「秀人君、意地悪しちゃダメですよ」
「はいはい」
秀人はジュースを買いながらも、前にも似た事があったような違和感を感じていた。
「秀人君、コーラ2本持って下さい」
「ああ」
ジュースを2本ずつ持ち、2人は戻る事にした。
その途中、秀人は足を止める。
「秀人君?」
「俺……ここに来た事ある」
「え?」
秀人は上流の方に目をやる。
「水が迫って来て……」
秀人は視線を少しずつ下流に移す。
「兄ちゃんが……」
そのまま、秀人はジュースを落とし、その場に倒れる。
「秀人君!?」
春奈の叫び声が聞こえた後、秀人の意識は少しずつ遠のいていった。
秀人が目を開けると、弘と由香里が視界にいた。
「秀人、大丈夫か?」
「秀人君?」
「ああ……」
頭が覚醒すると共に、秀人は視線を移し、春奈、和孝、夢の3人もいる事に気付く。
「お前ら、どうしたんだよ?」
「それはこっちの台詞だ」
「秀人、倒れたんだよ」
「ああ、そうだったな」
秀人は少しずつ、何があったのか思い出していく。
「心配しました……」
「悪かったな」
「秀人、今日はみんなと川に行ってたようだな……」
「ああ、昔……兄ちゃんと2人で行った川に行った」
「そうか……」
弘は全てを悟ったように、ため息をつく。
「すまない、みんな出て行ってもらえないか?」
「いや、みんなにも聞いて欲しい」
「良いのか?」
「そのせいで心配をかけたんだ。みんなもどういう事か知りたいだろ?」
秀人は体を起こす。
「秀人君、寝ていて下さい」
「大丈夫だよ。親父、話してくれ」
「……わかった」
弘は決心すると、大きく深呼吸をする。
「お前には2歳上の兄、優人がいたんだ。お前が小3……9歳の時、お前と優人は2人で川に行った。大雨のあった次の日の事だ」
「そういえば、今日よりも流れが強かった気がするな……」
「それで、ダムの貯水量が多くなって、その日に放水があったんだ」
話を聞きながら、秀人だけでなく、春奈達も何があったのか、理解し始める。
「サイレンも鳴らしたそうだし、職員なんかが見回りもしたらしい。でも、お前らには気付かなかったんだ」
「俺、あの日……兄ちゃんと川のすぐ近くで遊んでて、途中でジュースを買いに行ったんだ。今日と同じようにジャンケンで負けた俺が買いに行った」
今日、秀人が感じていた違和感は、この日の記憶のせいだった。
「ジュースを2本買って……それからの事は覚えてねえけど、多分、俺は何も出来ねえまま、兄ちゃんを見殺しにしたんだな」
「秀人君、あれは事故だったの。しょうがない事だったのよ」
「でも、俺だけが助かったなんて……」
秀人の様子を見て、弘はため息をつく。
「あの時もお前はずっと自分を責めてた」
「俺、何で兄ちゃんの事、忘れてたんだよ?」
「お前は自分を責め続けて、自分自身を壊してしまいそうだった。その防衛として、記憶が封じ込まれたんだと医者は言ってた」
「俺、自分勝手だな。あの時、逃げたくせに、それすら忘れて……」
弘は秀人の肩に手を置き、話を止める。
「秀人、あれは事故だ。思い出したくないなら、忘れたままでいろ」
「そうだ、及川。お前も小さかったんだし、しょうがない事だったんだろう」
「秀人、元気出しなよ」
夢と和孝も秀人を心配し、笑顔を見せる。
そんな中、春奈だけは険しい表情のままだ。
「いえ、思い出して下さい」
「え?」
「秀人君、お兄さんを見殺しにするような人じゃないです。きっと、何か理由があったんです」
「春奈ちゃん?」
「秀人君、何も悪い事なんてしていないはずです!」
春奈は秀人の手を握る。
「秀人君、思い出して下さい」
「えっと……春奈ちゃん?秀人君も疲れてるみたいだから……」
「俺……兄ちゃんの腕をつかんでた?」
秀人は春奈の腕をつかみ、記憶を探る。
「そうだよ。俺、ジュースを買いに行く途中で水の音に気付いたんだ。それで兄ちゃんが危ないと思って、すぐに戻ったんだよ。俺が呼んだら、兄ちゃんもすぐに上ってきて、こうやってお互いの腕をつかんだ。でも、水が迫って来て、兄ちゃんが流されそうになったんだ。俺は必死に兄ちゃんを助けようとしたけど、俺も川に引きずり込まれそうになって……」
その時、秀人の目から涙が零れる。
「兄ちゃんは俺を巻き込まないようにしようと……俺の手を引き離したんだ。その拍子に俺は川から離れるように転がって……気付いた時には兄ちゃんがいなかった」
秀人はあの日、兄の腕をつかんでいた、右手を見る。
今まで気にしていなかったが、よく見ると、手の甲にはその時に出来たと思われる、引っ掻いたような傷跡があった。
「俺があの時、兄ちゃんを引っ張り上げていたら、兄ちゃんは……」
「秀人君、違います」
春奈は目に涙を浮かべ、続ける。
「秀人君が助けられなかったから、お兄さんが亡くなったと思ってはいけません」
「でも……」
「お兄さんが助けてくれたから、秀人君は今、ここにいるんです」
その言葉に、秀人は心が救われた気がして、もう1度右手の傷跡に目をやった。
そして、10年近く経った今でも、はっきりと残っている傷跡から、あの時、兄の優人がどれ程必死に自分を助けようとしていたのかがわかった。
「……春奈、ありがとう」
秀人は笑顔を見せると、また横になった。
「兄ちゃんの墓参り、親父とお袋は行ってるのか?」
「ああ、毎年行ってる」
「今度、俺も行くよ」
「わかった」
「昔の話したり……アルバムも見たいな」
「わかった。時間がある時に探しておく」
秀人は春奈達に目をやる。
「あと、お前らに心配かけて……今日もせっかく計画立てて行ったのに台無しにして……」
「そんなの、また今度行けば良いでしょ」
「疲れただろ?今日は、ゆっくり休め」
「ああ、ちょっと眠くなってきたしな……」
秀人は目を閉じると、穏やかな表情で眠りについた。