6月1日(火)
チャイムが鳴る中、二和木高校に全力疾走で入って行く2人の男子生徒がいた。
学校に入った後も、2人は誰もいない廊下をそのままのペースで走り続ける。
「おら、諦めるなよ。お前の方が出席後なんだから、余裕だろ」
「いや……無理。時間稼ぎして……」
1人は少しずつペースを落とす。
しかし、前を行く生徒は構うことなく、階段を2段抜かしで上っていく。
3年生の教室がある階に到着すると、A組、B組の教室の前を通過し、C組の教室に入る。
「及川 秀人」
「はい!」
丁度、自分の名前を呼ばれ、秀人は即座に返事をした。
「及川、いつも言っているが……」
「説教は後で聞くから、早く出席取ってくれ」
「全く……次、久保 和孝」
「遅刻みたいだな」
「全く、お前らは……」
担任の村雨はため息をつく。
「次……」
「はい、久保います!」
和孝は肩で息をしながら教室に入ってきた。
「残念だったな。もう遅刻だよ」
「嘘!?」
「俺が時間稼ぎしたけど、無理だったよ」
秀人の言葉が嘘と知っているためか、周りの生徒は軽く笑う。
「とりあえず、これで俺の貯金は10だな」
「及川、久保、もっと早く来い。時間通りに来た日より、遅刻の方が多いぞ」
「俺は今日、間に合っただろ?」
「今日の話をしてるんじゃない」
それから、しばらく村雨の説教が続いた後、出席の続きを行い、朝のホームルームは終わった。
1時間目の授業が始まるまでの間、席が隣でもある秀人と和孝は適当に雑談をしていた。
「絶対、出席番号で不利だよね。俺、5番だよ?」
「そんな事で文句言うなよ。それに俺は4番でお前より不利だよ」
「あまり変わらないでしょ!というか、今日、時間稼ぎしてませんよね!?」
「俺、とても頑張ったんだ。今日の昼は奢ってもらいたいぐらいだよ」
「俺、遅刻したんですけど?」
「そもそも、お前、家から学校まで歩いて来れる距離じゃねえか。電車も使ってる俺に比べれば、お前の方が有利だろ」
その時、和孝の背後に1人の生徒が立っていたため、秀人はそちらに目をやる。
「お前達、相変わらず、反省の色が見えないな」
そこには険しい表情の遠野 夢がいた。
「もう夢ちゃんったら、朝から怖い顔しないで……」
その時、鋭い音が教室に鳴り響き、和孝は引っくり返る。
「久保、私を名前で呼ぶなと何度言えばわかる?」
「だからって、殴る事ないでしょ……」
「2人共、相変わらず仲が良いな」
「これをどう解釈したら、そう思えるの?」
和孝は起き上がると、席に座る。
「お前達、もっと早く来いといつも言っているのに、どうして聞かないんだ?」
「村雨と同じ事言うなよ。まあ、俺は進学考えてねえし、多少の遅刻は問題ねえだろ」
「そんな事言って、卒業すら怪しいじゃないか」
「俺は和孝より10回も遅刻が少ねえんだよ。和孝が退学になったとしてもまだ余裕があるって事だ」
「秀人、そういう所が汚いよね」
「和孝、殴っても良いか?」
「ごめんなさい」
「むしろ、俺よりも進学考えてる和孝の方が深刻だろ」
その時、1人の男子生徒が秀人に近付く。
「及川、ちょっと良いか?」
「ああ、大丈夫だけど、どうした?」
「今度の日曜、フットサルの大会出るんだけど、人数が足りないんだよ。悪いんだけど、また出てもらえないか?」
「日曜は空いてるから大丈夫だよ」
「マジか!?ありがとな。じゃあ、いつもの場所に12時集合だから」
「了解」
「あ、他から誘われても、その日は空けたままにしてくれよ?」
「だったら、大事な用事が入らねえよう祈ってろ」
「まあ、そう言って、いつも来てくれるか。じゃあ、頼むからな」
秀人が誘いを受けたため、男子生徒は嬉しそうに席に戻る。
「秀人、相変わらず人気あるね。一昨日はバスケだったでしょ?」
「それは単なる練習だよ」
休日、秀人は他の男子生徒から助っ人のような形で呼ばれる事が多い。
どの部活にも所属していないが、秀人の運動神経は人並み以上で、様々な場面で大きな戦力になる存在だ。
「及川、スポーツも大事だが……」
「遠野、お前がやってる事、お節介って言うのわかってるか?」
「私は学級委員だから……」
「他のクラスというか、今までのクラスの学級委員はここまで口うるさくなかったよ」
「それは……」
夢は言葉を詰まらせる。
「それに遅刻なんて大した問題じゃねえだろ。俺はもっと他にする事あると思うけどな」
「私はただ……」
「わかってるよ。夢ちゃんは俺に気があるんだよね。だから俺と一緒に卒業したくて……」
直後に2発のパンチを受け、和孝はまた引っくり返る。
「何で、2発……?」
「名前で呼んだのと、気に障る事を言ったのとで2発だろ」
「あなたは友達が殴られてるのに随分と冷静ですね」
「正直、見慣れてるしな」
合計3発も殴られ、和孝はフラフラと立ち上がると、また席に座る。
「とにかく、2人共、明日は時間通り来い。良いな?」
「考えとくよ」
「……考えるだけか?」
夢は少しだけ寂しそうな表情を浮かべる。
「まだ何かあるのか?そろそろ授業始まるし、戻ったらどうだ?」
「……わかった」
夢は悔しそうに唇を噛んだ後、自分の席に戻った。
午前中の授業が終わり、ほとんどの生徒は昼食を買いに教室を出て行く。
昼食時、生徒の多くは構内で売られている弁当やパンを買っている。
秀人や和孝もそれについては同じだ。
そして、弁当を買った後は立ち入り禁止となっている屋上に行き、2人で食べるのが日課になっている。
「あ、秀人、今日も学校終わったら、家寄ってくよね?」
「ああ、そのつもりだけど、何かあるのか?」
そこで和孝は意味深な笑みを浮かべる。
「何だよ?」
「来てのお楽しみだよ」
「だったら良いや」
「諦め早過ぎません!?もっと興味持ちましょうよ!」
関心を向けない秀人に和孝は泣きそうな表情を浮かべる。
「でも、俺たちって、ずっと男2人で華がないよね」
「むしろ、男2人で華があったら気持ち悪いだろ」
「あの……何でそんな話になるんですかね?」
和孝は呆れたような表情を見せる。
「最後の高校生活を満喫するためにナンパでもしようかね」
「生きる希望を失いたくねえなら、やめとけ」
「その言葉に生きる希望を失いそうなんですけど……」
冷めた表情の秀人を見て、和孝はため息をつく。
「秀人、女に興味ないわけ?」
「男に興味があるみたいな聞き方するな」
「秀人、スポーツマンだし、もてるんじゃないの?」
「まあ、少なくともお前よりはもてるだろうな」
「あの……何でそこで俺を挑発するんですか?」
秀人はパンを食べ終えると、ジュースも飲み干す。
「恋愛とかバカらしいだろ」
「何で、そんな事言うのかな?結構、秀人って隠れファンいると思うんだけどね」
「俺は恋愛なんてしねえでも、今を楽しんでる。それで十分だろ?」
「秀人がそう思うなら、別に良いけどね……」
和孝はそこで、もう1度ため息をつく。
「俺、先に戻るな」
「あ、待ってよ!」
和孝は慌ててパンを口の中に詰め込むと、秀人を追いかけた。
学校が終わると、秀人は和孝の家に遊びに行き、遅くまで入り浸る事が多い。
和孝の両親は共働きで、いつも帰りが遅い。
そのため、和孝にしてみれば、1人で過ごす暇な時間が減るという事で秀人を快く迎えている。
この日も学校が終わり、秀人は和孝の家を訪れた。
「ちょっと準備するから、そこで待っててよ」
秀人をリビングに残し、和孝は自分の部屋に向かう。
そして、少しした後、駆け足で戻ってきた。
「準備出来たよ!早く来てよ!」
「ジュース、飲み終わってからな」
「何で、ジュース飲んでるんですか!?」
秀人は勝手に冷蔵庫を開けると、中にあったジュースを飲んでいた。
「ご馳走様」
秀人はジュースを飲み終えると、ようやく和孝の部屋に向かう。
「秀人、きっと驚くからね」
「謎の地球外生物を飼い始めたとか、その程度じゃ驚かねえからな」
「あの……ハードル高くないですか?」
バカな会話をしながら、2人は和孝の部屋に入る。
「は?」
「全自動麻雀卓を買ったんだよ!」
そこには部屋のほとんどを占用する形で、全自動麻雀卓が置かれていた。
「何でまた……?」
「この前、面白い噂を聞いてさ、俺も興味持っちゃってね」
「寝る時とかどうするんだよ?」
「大丈夫、これ、何とか押入れに入るから」
和孝は子供のように、はしゃいでいる。
しかし、秀人は冷めた表情を浮かべたままだ。
「2年前、この辺りの雀荘を荒らした伝説の高校生がいたらしくてね。俺もそんな伝説を作りたいと思って練習用に買っちゃったんだよ」
「お前、この前、マジシャンになるとか言ってなかったか?」
「あれは俺に向いてなかったんだよ。これからは伝説の雀士を目指すよ」
「そっか、頑張れよ……」
和孝が突然、何かにのめり込もうとする事はよくある事だ。
そして、その度にいつも無駄な浪費をするだけして、結局、何も得ないのだ。
3年連続で同じクラスとなり、自然と関わる事も多い和孝の性格を秀人はよく理解し、そして諦めてもいる。
「……で、これから、どうしようとしてる?」
「どうするって一緒にやろうよ。秀人、麻雀のルール知ってる?」
「知ってるけど……2人でやるのかよ?」
「別に4人じゃなくても出来るでしょ」
「2人でやってもつまらねえだろ」
秀人はため息をつきながら、麻雀牌に目をやる。
「俺の最大のライバルとしては秀人が1番相応しいからね。お互いに練習して強くなろうよ」
「いや、俺はそんな伝説を作るまで、やり込む気ねえんだけど……」
「ま、とにかくやろうよ」
「わかった、やれば満足なんだろ?」
他にやる事もないため、秀人は渋々承諾する事にした。
「あ、負けたら罰ゲームね」
その言葉に秀人は反応する。
「何か、やる気が出てきた」
「え?」
秀人が殺気立った気配を見せると、和孝は苦笑する。
「……じゃあ、始めようか」
サイコロを振った後、秀人の親から麻雀を始めた。
「ロン」
秀人の声。
「ツモ」
これも秀人の声。
「それは通らねえよ。ロン」
数分が過ぎ、3局終わった段階で、秀人は圧勝となっていた。
「秀人……麻雀強いね」
「お前が弱いだけだよ」
秀人は和孝に目をやると、笑みを浮かべる。
「罰ゲーム、遠野に決闘を挑むってのはどうだ?」
「俺、死んじゃうよ!」
「むしろ、決闘で勝つにするか。勝つまで挑戦し続けねえといけねえとか」
「一生終わらないよ!」
そんな事を言いながら、2人は最後の配牌を終える。
和孝は手牌を確認すると、そこで固まった。
「どうした?早く捨てろよ」
「ちょっと待ってね」
和孝はしばらくの間、考え込む。
「何か、捨てる牌がないんだけど……」
「は?」
一瞬、その言葉の意味がわからなかったが、秀人は慌てて和孝の手牌を確認する。
「和がってる?」
「え……てことは?」
まだ、和孝が状況を理解していないようだったが、秀人は肩を落とす。
それは、和孝の大逆転勝利を表していた。
麻雀牌をしまいながら、和孝は機嫌良さそうに笑みを浮かべている。
「天和なんて、単なるラッキーじゃねえか」
「俺、日頃の行いが良いからね。いや、これが伝説の始まりなのかもね」
「記憶って、どれぐらい殴れば消えるんだろうな」
「真剣な目で怖い事言わないで下さい!」
「まあ、一生分の運を使い果たした訳だし、何もしなくても明日には死ぬか」
「不吉な事も言わないで下さい!」
「和孝君がどんな罰ゲームにしてくれるか、俺は楽しみでしょうがないですよ」
妙に丁寧な言い方で秀人は和孝を威圧する。
「秀人、何か怖いよ……」
「ほら、和孝君、罰ゲームは何にするか決めましたか?」
秀人の迫力に和孝は顔を強張らせる。
「じゃあさ、秀人の好きな人を発表するとか……あ、その人に告白するとか……」
「恋愛に興味ねえって言っただろ。好きな人なんていねえよ」
秀人はある事を閃くと、笑みを浮かべた。
「いっそのこと、和孝が遠野に告白すれば良いだろ」
「え!?」
「お前ら、前から仲良いと思ってたんだよ」
「俺、本当に明日で命落としちゃうよ!それに俺の罰ゲームになってるよ!」
「勝った事で遠野に告白する権利を得たって事にしろよ」
「……とても欲しくない権利なんですけど」
そこで、和孝は困ったような表情を見せる。
「秀人?」
「ん?」
「今、俺に言った事、夢ちゃんには言わないようにね」
「え?」
「俺と夢ちゃんが仲良いとかさ」
和孝がなぜ、そんな事を言うのかわからず、秀人は固まる。
「もしかして、本当に遠野の事、好きなのか?」
「違うよ!」
「今まで気付かなくて悪かったな。今度から気を使うよ」
「いや……まあ、良いや」
和孝は諦めた様子で、ため息をつく。
「あ、でも、誰かに告白するって良いかも。秀人、今まで誰かに告白した事ある?」
「ねえけど?」
「じゃあ、今回、練習って事で告白しようよ」
「告白って……じゃあ、相手は遠野か?」
「いや、それはダメだよ!」
「ああ、お前が狙ってるんだもんな」
「だから違うよ!とにかく、夢ちゃんはなしね」
「じゃあ、誰にするんだよ?」
「そうだね……」
和孝は少しの間、考えた後、何か閃いたのか笑みを浮かべる。
「ここは、学校一の美人にした方が盛り上がるよね」
「学校一の美人?」
「A組の立石 春奈って知ってるよね?」
「知らねえよ」
「え!?嘘でしょ!?」
「他のクラスの生徒まで覚えてる訳ねえだろ。今までのクラスにもそんな名前の奴いなかったし」
スポーツを通して、男子とは関わりの多い秀人だが、女子とはそこまで関わりを持つ事がないため、クラスが同じになった事がなければ、ほとんどの女子は他人になってしまう。
「秀人、文化祭のミスコン知らないの?」
「ミスコン?」
「毎年、男子から票を集めて、うちの高校で1番の美人を選ぶってイベントがあるんだけど……」
「ああ、そういえば、投票用紙渡されたけど、毎年捨ててたな」
「何で、そんなことするかな?」
「というか、好みなんて人それぞれなんだし、そんなの集計してもしょうがねえだろ。好きなら直接伝えろっての」
「まあ、とにかく、そのミスコンに2年連続で選ばれてるのが、A組の春奈ちゃんなんだよね」
「そいつは美人なの?」
「うん、将来はモデルになるんじゃないかってぐらい美人なんだよね。春奈ちゃん、演劇部に所属してるんだけど、1年の文化祭の劇で、脇役なのに主役以上に目立っててさ……って文化祭の劇も見てないの?」
「いつも屋上で寝てるからな」
「今年は見た方が良いよ。あ、それで……」
秀人の知らない事が多過ぎるため、和孝の話は脱線を繰り返す。
「1年の時の劇で一気に男子の人気を集めて、1年なのにミスコンに選ばれた後、2年でも選ばれて、今度の文化祭では3連覇がかかってるって、みんなの注目を集めてるんだよ。今度の劇は春奈ちゃんが主役をやるだろうし、3連覇は固いと思うんだけどね」
「で、その立石春奈ってのがどうしたんだ?」
「ああ、何だっけ?って……」
和孝は自分が目的を見失っていた事に気付いた様子だ。
「秀人が春奈ちゃんに告白するのが罰ゲームなんだよ!」
「ああ、そうだったな。でも、俺はそいつの事、知らねえし、おかしくねえか?」
「その点は大丈夫なんだよね。春奈ちゃん、ミスコンに選ばれたぐらいだから、色々な男子から告白されてるんだよ。ただ、春奈ちゃんは告白されても毎回、『他に好きな人がいるので、ごめんなさい』の一言で断ってるんだよね」
「告白を断る時の台詞としては定番だな」
「まあ、女子から妬まれる事も多くて、友達いないみたいだし、色々と苦労もしてるみたいだけどね」
和孝はそこで少しだけ言葉を詰まらせる。
「……春奈ちゃん、堂々としてて、人を寄せ付けない雰囲気みたいなの持ってるからね」
「そんなのに告白して良いのか?」
「まあ、告白しても、みんなみたいにすぐ断られるだけだろうし、問題ないでしょ?」
和孝の言っている事が、いい加減に聞こえ、秀人はため息をつく。
「というか、随分と詳しいな」
「女子の情報なら俺に任せてよ」
和孝は自慢げな表情を見せる。
「というより、知らない方がおかしいよ」
「まあ、まとめると、A組の立石春奈って女子に告白するってのが罰ゲームで良いのか?」
「ここまでの詳しい説明を随分と簡略化してくれますね」
和孝は疲れ切ったような表情を見せる。
「あ、決行は明日ね」
「わかったよ。お前と遠野の決闘も明日な」
「え、何で俺まで罰ゲームする事になってるの!?」
和孝の慌てた様子を見て、秀人は笑う。
「やり方は、手紙で放課後、屋上に呼び出すとかにしようか?」
「お前に任せるよ」
「手紙の内容は……」
「お前に任せるよ」
「告白の言葉……」
「お前に……」
「これ、あなたの罰ゲームですよね!?」
「そうだけど、よくわからねえから、お前に任せるよ」
秀人はわざとらしく、大きな欠伸をした。