6月18日(金)
「遠野いねえな……」
秀人と春奈は昨日と同じ時間に電車を降りたが、夢の姿はなかった。
「先に行っちまったのかもな」
「もしかしたら、遅れて来るのかもしれません」
「じゃあ、ギリギリまで待つか」
2人はしばらくの間、そこで待っていたが、1本後の電車にも夢が乗っていなかったため、行く事にした。
「お前、クラスで友達出来たか?」
「いえ……」
「誰かに声かけてみたか?」
「1人だと不安になってしまいまして……」
「じゃあ、同じ部活の奴に声かけてみろよ。後輩が相手だって良いだろ?」
「はい、頑張ってみます」
2人は学校に入り、3年A組の教室の前で別れた。
秀人は教室に入り、既に夢が来ている事に気付く。
「遠野、先に来てたのか?」
「ああ、おはよう」
「お前が遅れてるのかもしれねえって春奈が言うから、2人で待っちまったじゃねえかよ」
「悪かったな」
どこか夢に元気がなかったため、秀人はそれ以上言わない事にする。
「あ、及川?」
「ん?」
振り返ると、1人の男子生徒が立っていた。
「明日の午前中、バスケの練習やるんだけど、来れるか?」
「……よし、これで補習行かねえで済むな」
「え?」
「大丈夫だ。明日の何時からだ?」
秀人は笑顔で土曜日の予定を確認した。
昼食はいつも通り、4人一緒に屋上で食べる事にした。
「遠野さん、遅刻しませんでしたか?」
「遠野、今日は先に行ったらしい」
「それなら良かったです」
春奈は嬉しそうに笑うだけで、怒っている様子は全くない。
「あ、春奈、明日はバスケの練習に誘われたから、補習行けねえんだ」
「そうなんですか……」
「及川、ただの練習なんだ。補習を優先するべきじゃないか?」
「最近、行ってねえんだし、たまには行かせろよ。まあ、学校のグラウンドでやるから、会うかもな」
「だったら、昼は一緒に食べましょうよ」
「俺は構わねえけど、土曜の朝ぐらいはゆっくりした方が良いんじゃねえか?」
「そんな事ないですよ」
「じゃあ、明日の昼も、4人で食うか」
秀人の提案に他の3人も同意する。
「でも、この4人で食べるのも、段々慣れてきたね」
和孝は悪戯するような笑みを浮かべる。
「ここらで恋愛話でもしようかね」
「1人でしてくれ」
「いや、1人じゃ無理でしょ……」
和孝は一息入れてから口を開く。
「初恋ってみんないつだった?」
「え?」
「まずは夢ちゃん!」
「私は……高校に入ってからだ」
「久保さん、大丈夫でしょうか?」
夢に殴られた和孝を春奈は心配そうに見ている。
「大丈夫……。高校で初恋って遅いんだね」
「中学時代は空手部に入っていたせいで忙しかったんだ。高校では少し女らしくなろうと空手はやめたが……」
「夢ちゃん、今も女らしくな……」
「うるさい!」
夢は顔を真っ赤にしている。
「遠野、前も言ったけど女らしくとか、気にするなよ」
「しかし……」
「かっこいい女でも良いんじゃねえか?春奈からしてみれば、そういうの憧れだろ?」
「はい、尊敬します」
「私は立石みたいになりたいんだが……」
「自分にねえものに憧れるのはわかるけど、お前はお前らしく、これからも和孝を殴ってろよ」
「あなた今、随分な事言いませんでした?」
「まあ、及川がそう言うなら、納得しよう」
「いや、俺を殴るって部分は納得しないで下さい!」
夢は少しだけ機嫌を良くしたのか、笑顔を見せる。
「じゃあ、春奈ちゃんは初恋、いつ?」
「あ、私は……小学生の時です」
「随分前だね。相手は誰?」
「……学区の関係で、学校は違いましたが、よく一緒に遊んでいた、近所の男の子です」
春奈は顔を赤くしながら、何回か秀人に視線を送る。
「今は好きじゃねえのか?」
「え……その、引越してしまったのか、会えなくなってしまいましたので……」
「でも、好きな人いたんだな……」
秀人はなぜか納得がいかず、苛立ちを感じた。
「及川?」
「ん?」
「いや、何でもない……」
「何だよ?」
夢は何か言いたそうだったが、結局言わなかった。
「秀人はどうなの?」
「俺より、和孝はどうなんだよ?」
「俺は幼稚園かな」
「早過ぎねえか?」
「俺、昔から女子の人気、集めてたからね」
「『昔から』じゃなくて『昔は』の間違いだろ」
「それ、どういう意味ですかね!?」
和孝の反応に秀人と夢は笑う。
「お前、今は全然じゃねえか」
「色んな女にちょっかい出して、今じゃ相手にされてないじゃないか」
「2人共、少しは気を使ってくれません?」
和孝はため息をついた後、笑顔で春奈を見る。
「でも、春奈ちゃんは違うよね!?俺、実は春奈ちゃんの事、前から好きだったんだよ!」
「他に好きな人がいるので、ごめんなさい」
「返事、早いですね……」
「あ、色々な方から告白されましたので、言い慣れてしまったんです……」
「お前にとっては台詞みたいなものなんだな」
「もう良いです……。諦めます」
和孝は目に涙を浮かべる。
「それで、秀人は初恋、いつなの?」
「人を好きになった事ねえって、この前言っただろ」
「でも、小さい時とか、女の子と一緒に遊んだりしなかった?その中に気になった子とか、1人ぐらいいるんじゃないの?」
「ああ……」
秀人は言葉を詰まらせる。
「……秀人君、まだ思い出せないんですか?」
秀人が表情を変えたため、春奈は不安げな様子だ。
「どういう事だ?」
「いや、俺……小さい時の事、思い出せねえんだ」
「記憶喪失みたいなもの?」
「大袈裟にするな。ただ忘れてるだけだよ」
秀人は心配をかけないよう、笑顔を作る。
「親に聞いてみたらどうだ?それにアルバム等があるだろ?」
「ああ、俺もそう思って……親父とかに昔の事、聞いたら怒られたんだよな」
「え?」
「倉庫でアルバムを探してても怒られたんだ。何か隠してるみたいだったけど……」
そこで、秀人は周りを心配させている事に気付く。
「あ、別に大した事ねえからな。今、生活する上で不便な事ねえんだし、心配するな」
秀人は笑顔を見せた後、弁当に手を出す。
「ほら、早く食わねえと、昼終わっちまうよ」
「はい、そうですね」
秀人に合わせ、他の3人も昼食を再開した。
午後の授業も終わり、秀人と和孝はすぐ帰り支度を始める。
「及川?」
「ん?」
「そろそろ文化祭だ。今日の帰り、当日着る服を見に行くんだが、付き合ってくれないか?」
「じゃあ、俺は先帰るね」
「あ、おい!」
和孝は逃げるように教室を出て行った。
「2人で行くのか?」
「ああ、見るだけで、まだ買う予定はないから、2人で十分だ」
「俺、行く必要あるのか?」
「男子の服も見たいんだ」
「しょうがねえな……」
秀人はため息をつく。
「行ってくれるのか?」
「断っても良いなら断る」
「じゃあ、断るな」
「たく、わかったよ」
夢は嬉しそうに笑った後、カバンを取りに自分の席へ戻る。
「そうだ、遠野?」
「何だ?」
「今日の朝、何で駅にいなかったんだよ?」
「……私がいると邪魔かと思ったんだ」
「は?」
秀人は意味がわからず、首を傾げる。
「とにかく、春奈だって心配してただろ?勝手に先行ったりするなよな」
「わかった」
夢がまだ何かを隠している雰囲気だったが、秀人はそれ以上言わなかった。
秀人と夢は学校を後にし、近くにあるコスプレ専門店の前にいた。
「俺も入らねえといけねえのか?」
「私だって恥ずかしいんだ。とにかく入るぞ」
2人は戸惑いながら中に入ると、店内を見渡す。
「結構、色々あるんだな」
夢は秀人の表情を確認しながら、軽く深呼吸をする。
「……及川も、女子にこういう格好をさせるのが好きなのか?」
「お前、そんな事聞くなよ。というか、俺は面倒くさいのは反対だったんだからな。メイド喫茶やりたいって言ったのは和孝だろ」
「ああ、そうだったな」
夢は照れくさそうに顔を赤くする。
「及川、私に着てみて欲しい服はないのか?」
「は?」
「せっかく来たんだ。試着もして良いそうだし、何かリクエストがあれば聞くぞ?」
「お前、俺がそのバニーガールが良いとか言っても着るのか?」
「これが良いなら、着るぞ?」
「笑えねえ冗談はやめろよ」
「すいません、試着したいのだが……」
「何言ってるんだよ!?」
「冗談なんかじゃない」
夢は真剣な目を秀人に向ける。
「私は及川が好きだ。及川の好きな格好になってみたいと思うのは当然だ」
「今日は文化祭で着るメイド服と執事服を見に来たんだろ?俺はこういう趣味ねえし、当初の目的忘れるなよ」
秀人は奥にあったメイド服と執事服の値段を見る。
「結構高いんだな」
「ああ、これでは予算オーバーだ」
「何着必要なんだ?」
「接客は4人で行うから、2着ずつだな」
夢はどうしようか考え込む。
「お前、とりあえず着てみたらどうだ?」
「え?」
「試着しても良いんだろ?」
「私なんかが着ても、きっと似合わないぞ」
「俺……さっきはああ言ったけど、実はこういう服好きなんだよな」
「本当か?だったら、着ても良いが……」
「お前、単純だな」
秀人はからかうように笑う。
「まあ、せっかく来たんだからな……。すいません、試着したいのだが……」
夢は服を持って試着室に入る。
それから少し時間が経ち、夢が出て来た。
「どうだ?」
「……ああ、似合ってると思うけど?」
「本当か?」
夢は恥ずかしそうに顔を赤くする。
「お前、それなりに背あるし、それっぽく見えるよ」
「そうか」
夢は鏡の前に立ち、その場で何回か回った。
「お前、そういう服、興味あったんだな」
「え?」
「いや、嬉しそうだから……」
「私も女だ」
「ああ、そうだったな」
「そうだ……」
夢は近くにあった執事服を手に取る。
「お前も着てみろ」
「絶対に嫌だからな。それより、予算オーバーしてるけど、どうするんだ?」
「それが問題だな……」
2人は頭を悩ませる。
そして、秀人はある事を閃いた。
「持ってる奴から借りるって手があったな」
「こんな服、持ってる人なんているのか?」
「1つ当てがあるんだ。とりあえず、学校に戻るから着替えろよ」
「ああ、ちょっと待っててくれ」
夢は慌てて試着室に入り、服を着替えた。
秀人と夢は学校に戻ると、演劇部の部室を訪れていた。
「メイド服と執事服ですか?」
「クラスの出し物で必要なんです。出来れば、2着ずつ借りたいんですけど……」
秀人達の頼みに神楽は少しだけ考える。
「立石さん、メイド服と執事服って、劇で使う事はないかしら?」
「はい、今年は使いませんので、貸せますよ」
「じゃあ、立石さんもそう言ってるし、貸せるわよ」
「ホントですか?ありがとうございます」
秀人と夢は礼儀正しく頭を下げる。
「それじゃあ、お願いします」
「秀人君、準備頑張って下さいね」
「お前も練習頑張れよ。じゃあ、失礼します」
もう1度だけ頭を下げ、秀人と夢はその場を後にする。
「これで予算も浮くな」
「及川、ありがとう」
「礼は春奈とかに言えって。とりあえず、今日はもう帰って良いよな?」
「ああ、私も帰る」
2人はそのまま、駅まで話をしながら、一緒に帰る事にした。
しかし、すぐに話の話題がなくなり、2人はお互いに黙る事が多くなる。
そんな状況に夢は寂しそうに、ため息をつく。
「……及川?」
「何だよ?」
「その……立石とキスとかは、したのか?」
「は?」
秀人は思わず顔を赤くする。
「してねえよ。好きでもねえのに、そういった事するわけねえだろ」
「そうか……そうだな」
夢は足を止めると、秀人の腕をつかむ。
「どうしたんだよ?」
「及川、私と……そういった事をしたいとは思わないか?」
「え?」
「キスしたり、それ以上の事も……」
顔の赤い夢を見て、秀人は夢が真剣なようだと感じた。
「俺は……」
「すまない。私は何を言っているんだろうな?」
夢は手を放し、わざとらしく笑う。
「今まで通り接して欲しいと言いながら、私がそう出来ていないなんてダメだな」
「なあ、遠野?」
「すまない、今のは忘れてくれ」
夢は逃げるように足を速め、先に行ってしまった。
残された秀人は、しばらくの間、その場に立ち尽くしてしまった。