6月15日(火)
この日も三枝谷駅に春奈の姿はなかった。
秀人は昨日と同じように二和木駅で夢に会うと、一緒に登校した。
教室に入り、席に着くと、村雨が出席を取るまで秀人は机に顔を伏せていた。
「及川秀人」
「はい」
「お前、最近は遅刻しないで感心だな」
「早く次を呼べよ。和孝来ちゃうだろ」
「いや、もう来てますから!」
「え、いつからいたんだよ?」
秀人は顔を上げ、和孝の方へ顔を向ける。
「あなた、意地でも俺を遅刻にしたいんですかね?」
和孝が遅刻になるよう、いつも村雨を急かしていた事がばれ、秀人は苦笑する。
「秀人、今日も夢ちゃんと一緒に学校来たんだね」
「ああ、まあな。噂になってるのか?」
「いや、2人が一緒にいても友達同士だろうって見解が強いみたいだから、そこまで噂にはなってないよ」
「まあ、そうだろうな」
「あ、でも、俺は秀人と夢ちゃん、お似合いだと思ってるからね」
和孝は笑顔を見せる。
「そうか?」
「2人、性格的にも似てるし、良いと思うんだよね」
「俺は実感わかねえんだけどな」
「少しずつでも意識していれば、そのうち好きになっちゃうんじゃないかな?」
「というか、お前、遠野の事、好きだったんじゃねえのか?」
「だから、それは誤解だから……」
和孝は少しだけ不機嫌な様子を見せた。
午前中の授業が終わると、和孝はすぐに席を立つ。
「和孝……」
「ごめん、今日は用事あるから!」
和孝は秀人の制止を振り切るように教室を出て行った。
「及川?」
「また、和孝に頼んだのか?」
「いや、久保から提案してきたんだ。昼、私と及川を2人にしようって……」
「お節介な奴だな……」
秀人の様子を見て、夢は不安げな表情を見せる。
「無理にとは言わない。ただ、もし良かったら……」
「また屋上で良いんだろ?」
「……ああ、それで良い」
夢は嬉しそうに笑顔を見せる。
2人は屋上に行くと、昨日と同じように適当な場所に座って、昼食を開始した。
「今日、私も少しだけおかずを作ってみたんだ」
夢は照れくさそうな表情だ。
「まあ、唐揚げだけだが……食べてみてくれ」
「じゃあ、頂きます」
秀人は唐揚げを口に運び、そこで固まった。
「どうだ?」
「……これ、味見したか?」
「いや、してないが……」
夢も慌てて唐揚げを口に運ぶ。
そして、固まってしまった。
「……他のは惣菜や冷凍食品だ。安心してくれ」
「あのな……」
夢は悲しそうな表情を浮かべる。
そんな夢を見て、秀人は少しだけ考えた後、唐揚げを全部食べた。
「おい?」
「せっかく作ったんだから、もったいねえだろ」
「……ありがとう」
「今度は味見とかしろよな」
「ああ、そうする」
夢は少しだけ落ち込んだ様子を見せる。
「こうやって、2人で飯を食うのって、恋人らしいか?」
「え?」
秀人の言葉に夢は顔を赤くする。
「ああ、私は恋人らしいと思うぞ」
「そっか……」
秀人はこの時、春奈の事を思い返していた。
少しの間だったが、秀人と春奈がここで過ごした時間は、今と同じように恋人らしい時間だった。
そんな事を、今になって秀人は感じていた。
「及川、どうした?」
「あ、何でもねえよ」
秀人は頭を切り替えると、夢に笑顔を見せた。
午後の授業が終わり、和孝は秀人に笑顔を向ける。
「秀人、今日は家に寄ってく?」
「いや、今日は帰るよ」
「え、何で?」
「何か、気分が乗らねえんだよ」
その時、夢が笑顔で近づいてきた。
「及川、良かったら、この後……2人でどこか行かないか?」
「悪い、今、和孝にも言ったんだけど、今日は気分が乗らねえんだよ」
「秀人、せっかくだから行ってくれば?」
「いや、及川がそう言うなら、無理にとは言わない」
夢は諦めるようにため息をつくと、1人で教室を出て行った。
「秀人、夢ちゃんの事、もっと大切にしなよ」
「昼、一緒に食べたりしただろ」
「まあ、そうだけどさ」
そこで、秀人は真剣な表情になる。
「そういえば、遠野には春奈との事を言うなって言った理由、これだったのか?」
「まあ、そんなところだよ」
和孝は少しだけ気を使うような態度を見せる。
「……春奈ちゃん、今日も学校、来てないみたいだね」
和孝はため息をつく。
「罰ゲームを決めたのは俺だし、春奈ちゃんには俺から謝るよ。だから、秀人はあまり気にしないようにしなって。もしかしたら、これで春奈ちゃんが俺の事を好きになってくれるかもしれないし!」
「それは絶対ねえな」
「あの……人の希望をあっさりと粉砕しないでくれません?」
秀人の浮かない表情を見て、和孝は軽く笑う。
「秀人、春奈ちゃんの事、気にしてるんでしょ?だから、夢ちゃんとの仲を深めて良いのか迷ってるってとこかな?」
「そういうもんなのかな……」
和孝の言葉に秀人は納得出来なかった。
「今は夢ちゃんの事、考えてあげなって。2人共、仲良いんだし、何度も言うけど、お似合いだと思うよ?」
「そうは言っても、俺は遠野と恋愛関係になるってのが、想像出来ねえんだよな」
「そもそも、恋愛関係になるって想像出来る人なんているの?」
「いや、いねえけど……」
「まあ、少しずつで良いから考えてあげなよ」
「ああ、考えるよ」
和孝の言葉に、秀人は相変わらず納得出来なかった。
「とりあえず、今日はこのまま帰るからな」
「あ、俺も途中まで一緒に帰るよ」
2人は帰り支度を終えると、教室を出て行った。
秀人は電車の中で、小説を読む事もなく、何となく、窓の外の景色を眺めていた。
その時、次の停車駅が三枝谷駅だと知らせる、アナウンスが聞こえた。
少しした後、電車が三枝谷駅に停まった。
それから数秒後、電車は扉が閉まり、再び走り出す。
しかし、秀人は電車から降り、ホームに立っていた。
秀人は三枝谷駅を出ると、辺りを見回す。
春奈の家を知らないどころか、この駅で降りるのも初めてだ。
それでも秀人は自分の勘を信じ、走り出した。
誰かの家の前を通る度、表札を確認しながら、秀人は住宅街を進んで行く。
しかし、立石という名字は見つからなかった。
また、もし見つけたとしても、同姓なだけで、春奈の家である保障はない。
そんな状況から、次第に秀人は冷静さを取り戻すと、自分のしている事をバカらしく感じた。
「何やってんだか……」
秀人は帰ろうとしたが、その前にもう1度だけ辺りを見回す。
「……ここって」
そこは、どこか見覚えのある場所だった。
秀人は再び走り出し、近くにあったアパートの前で足を止める。
郵便受けに書かれた名前はどれも見覚えがなかったが、秀人は、このアパートに見覚えがあった。
「何だっけな……?」
秀人は過去を思い返したが、幼い頃の事を思い出そうとする時のように、何も思い出せなかった。
その時、猫の鳴き声が聞こえ、秀人は下に目をやる。
そこには1匹の黒猫がいた。
猫は秀人の足に体を摺り寄せている。
秀人はその場にしゃがむと、猫の背中を撫でた。
猫は少しだけ離れた後、秀人の方を向き、また鳴いた。
「帰るか……」
秀人は猫を気にする事なく、駅へ向かおうとしたが、そんな秀人の前に猫が回り込んで来た。
「俺、餌ねえからな」
無視しても、猫は必死に鳴き続けている。
秀人は少しだけ考えた後、駅とは逆の方向に歩き出す。
すると、猫は秀人の前へ行き、ゆっくり歩いて行った。
様子を見て、秀人は引き返そうとしたが、そうすると、また猫がしつこく鳴き始めた。
「ついて来いって事かよ……?」
秀人は面倒な事に巻き込まれたと思いながら、猫について行く。
猫はしばらく歩いた後、公園に入って行った。
そして、ベンチに座っている人物に近付くと、鳴いた。
「クロ、どこに行ってたんですか?」
秀人はベンチに座る人物を見て、驚いてしまった。
「春奈?」
「え……秀人君?」
秀人の声に春奈は驚いた様子で顔を上げた。
秀人と春奈は、少しの間、お互いに何も言えないでいた。
「……風邪って聞いたけど、大丈夫なのか?」
「もう熱は下がりました。でも、大事を取って、今日も休みにしたんです」
「まあ、文化祭も近いからな」
秀人は何を言おうか決めると、大きく息を吸う。
「あのさ……」
「私も嘘でしたから」
「え?」
春奈に遮られ、秀人は言葉を詰まらせる。
「秀人君が嘘をついていると知っていました。なので、私も秀人君に嘘をついて困らせようと思ったんです」
「どういう意味だよ?」
「……私は秀人君の事、好きではないという事です」
「はあ?」
秀人は思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「お前、そんな嘘、信じると思ってるのか?」
「……信じるかどうかは秀人君の自由です」
「あのな……」
秀人は文句の1つでも言おうと考えたが、春奈の事を考え、やめた。
「嘘ついて悪かった」
「私は……」
「黙って聞け。俺の事、庇ってるつもりなのかもしれねえけど、悪い事をしたのは確かなんだ。だから、謝る」
秀人は頭を深く下げる。
「……ごめんなさい」
「……本当に楽しかったんです。けれど、全部、嘘なんですよね」
春奈は顔を下に向ける。
そのまま、2人はしばらく下を向いたままでいた。
そうすると、視界に2人の間をうろつく猫の姿が映った。
「お前の猫か?」
「……はい、クロと言います」
「よく懐いてるな」
「秀人君も懐かれてますよ」
「そうだな……」
秀人は軽く笑った後、顔を上げる。
「隣、座っても良いか?」
「……はい」
春奈の返事を聞き、秀人は隣に座る。
「飼い始めてから長いのか?」
「はい、10年近くになります」
春奈が手を伸ばすと、クロは春奈の膝に乗った。
「飼ってると言っても、クロはよく出掛けてしまって、家にはほとんどいないんですけどね。でも、私が辛い時には、いつもクロが側にいてくれるんです。私、いつも1人ですから……」
「そっか」
「そういえば、秀人君、どうしてここに?」
「何か知らねえけど、こいつに連れて来られたんだよ」
「え?」
「信じるかどうかは春奈の自由です」
秀人が春奈の言葉を真似ると、春奈は笑う。
「……お前の家なんて知らねえのに、三枝谷駅で降りて、お前の事を捜してたら、クロに懐かれて、ついて行ったら、ここにお前がいた」
「え?」
秀人は春奈の方を向くと、真っ直ぐ目を見た。
「春奈、もし良かったら、俺と友達になってくれねえか?」
「え!?」
秀人の言葉に春奈は驚いた様子を見せる。
「俺……お前と一緒で楽しかったんだ。嘘の告白した事も……許して欲しいんだ」
春奈は少しだけ考えた後、笑顔を見せる。
「はい、私で良ければ、友達になって下さい」
「良いのか?ひどい事したのに……」
「それはもう言わないで下さい。それに、嬉しいです」
春奈は恥ずかしそうに下を向く。
「秀人君との楽しかった時間が、全て嘘になってしまったと思いました。でも、秀人君も楽しいと思ってくれていたと知りまして……」
「じゃあ、改めてよろしくな」
秀人が手を差し出すと、春奈も握り、2人は握手をした。
その時、クロは1回だけ鳴くと、春奈の膝から降り、どこかへ行ってしまった。
そんなクロの様子を目で追った後、2人は笑った。
公園を後にし、秀人は春奈を家まで送る事にした。
「一応、学校休んでるんだから、あまり外に出るなよ」
「はい、今日は早い時間に寝るようにします」
「あと、小説、読み終わったんだ。面白かったよ」
「あ、私も読み終わりました。怖かったんですけど、面白かったです」
「お前、それ読んでたから、風邪引いたんじゃねえか?」
秀人は呆れたように笑う。
「春奈が貸してくれた小説の作者、他にも本出してるだろ?」
「はい、他の本も持ってますよ」
「だったら、今度はそれ貸してくれねえか?俺の方はミステリー小説貸すよ」
「わかりました。じゃあ、明日持って行きますね」
明るく話をする春奈を見て、秀人は安心したように息をつく。
「お前、人見知りって言ってたけど、演技する時は普通に知らねえ奴とかが相手でも話すんだよな?」
「それは……そうしないといけませんから」
「だったら、普段もクラスメイトとかに話しかけてみろよ。似たようなもんだろ?」
「全然、違います。舞台に立っている時は役になりきっていますし、台詞もありますから……」
「それなら……」
秀人は頭を働かせる。
「今から、俺が言う台詞、いつでも言えるように練習しろ」
「え?」
「良いか?」
「どんな台詞ですか?」
秀人は笑顔を見せた後、軽く深呼吸をする。
「私は3年A組の立石春奈です。もし良かったら、友達になってくれませんか?」
「え!?」
「ほら、言ってみろ」
春奈は少しだけ恥ずかしそうに顔を赤くした後、秀人と同じように軽く深呼吸をする。
「わ……私は3年A組の立石春奈です。もし良かったら……友達になってくれませんか?」
「仲良くなりたい奴がいたら、その台詞言えよ。お前の場合、きっかけさえ作れば、後は何とかなるはずだからな」
「……無視されてしまったり、断られたら落ち込みます」
「ネガティブに考えるなって言ってるだろ?そう言われて断る奴なんてろくな奴じゃねえから、そもそも友達になる必要ねえよ」
「そうでしょうか?」
「とにかく、いつでも言えるように練習しとけよ」
「……わかりました。あ、私の家、ここです」
「ああ、そっか」
「駅までの道、わかりますか?」
「この辺り、何か見覚えあるし、大丈夫だよ」
秀人は周りの景色を確認する。
「じゃあ、明日は学校来いよ」
「はい、わかりました」
「じゃあ、また明日な」
「はい」
秀人は春奈に背を向け、歩き出す。
「あ、秀人君?」
春奈に呼び止められ、秀人は振り返る。
「どうした?」
「私……やっぱり、何でもないです」
「気になるじゃねえかよ」
「ごめんなさい、気にしないで下さい」
秀人は少しだけ考えた後、ため息をつく。
「俺なんかよりも良い奴なんて、すぐ見つかるよ」
「え?」
春奈は驚いた様子を見せた後、軽く笑う。
「秀人君に好きな人が出来たら、私は応援しますよ」
「お前、変なところで人に気を使うなよ」
「秀人君だって、私に気を使ってくれてます」
2人は少しだけ黙った後、同時に笑った。
「またな」
「はい、また」
秀人は軽く手を振った後、その場を後にした。