第9話「春の陽射しと心の揺らぎ」
5月2日、真琴は朝もやの中を学校へと向かっていた。新緑の匂いが漂う中、彼女の胸には何とも言えない胸騒ぎがあった。
「おはよう、まこちゃん!」
千鶴の明るい声に、真琴は我に返った。
「あ、おはよう、ちづるちゃん」
千鶴は真琴の様子を心配そうに見つめた。
「どうしたの? なんだか元気ないみたいだけど」
真琴は少し俯きながら答えた。
「ううん、なんでもないよ。ただ……」
言葉を濁す真琴に、千鶴は優しく寄り添った。
「ただ?」
「なんだか、最近自分がよくわからなくなっちゃって」
真琴は小さな声で打ち明けた。千鶴は黙って聞いていた。
「みんなは自分のやりたいことがはっきりしてるみたいなのに、私はまだ……」
真琴の言葉に、千?は静かに頷いた。
「そうだね。でも、まこちゃん。それって、普通のことだと思うよ」
「え?」
「私だって、本当はまだ迷ってるんだ。家業を継ぐって決めたけど、本当にそれでいいのかなって」
千鶴の告白に、真琴は驚いた顔をした。
「ちづるちゃん……そんな風に悩んでたなんて」
二人は少し笑い合った。
「ねえ、まこちゃん。私たち、まだ中学生なんだよ。焦らなくていいんじゃないかな」
千鶴の言葉に、真琴は少し肩の力が抜けるのを感じた。
「うん、そうだね。ありがとう、ちづるちゃん」
学校に着くと、教室では弦一郎が本を読んでいた。
「おはよう、弦ちゃん!」
真琴の明るい声に、弦一郎は顔を上げた。
「ああ、おはよう」
いつもの静かな返事だったが、真琴は弦一郎の表情にも何か悩みがあるように感じた。
授業が始まり、真琴は窓の外を見つめた。さくらんぼの木には小さな実がなり始めていた。
「私も、あの実みたいに少しずつ成長していけばいいんだ」
そう思うと、心が少し軽くなった気がした。
放課後、真琴は科学部の活動に向かった。今日は地域の生態系について調べる日だ。
「工藤さん、こっちの池を調べてみようか」
部長の先輩に声をかけられ、真琴は嬉しそうに頷いた。
「はい!」
池の周りには様々な植物が生えており、水中には小さな生き物たちの姿が見える。真琴は熱心にスケッチを始めた。
「ねえ、先輩。この植物、なんていうんですか?」
「ああ、それはヨシだよ。水をきれいにする働きがあるんだ」
真琴は目を輝かせた。
「へぇ、すごい! 自然って本当に不思議ですね」
先輩は優しく微笑んだ。
「そうだね。工藤さんは自然が好きなんだね」
「はい! でも……」
真琴は少し迷いながら続けた。
「でも、それを将来どう生かせばいいのか、まだわからなくて」
先輩は真琴の頭を優しく撫でた。
「それでいいんだよ。今は好きなことを思う存分楽しむ時期さ。将来のことは、その中で自然と見えてくるものさ」
真琴は安心したように笑顔を見せた。
「はい! ありがとうございます」
家に帰ると、母の美里が台所で夕食の準備をしていた。
「ただいま」
「おかえり、まこと。今日はどうだった?」
真琴は少し考えてから答えた。
「楽しかったよ。でもね、ちょっと考えさせられることもあって……」
美里は手を止め、真琴の方を向いた。
「そう? よかったら聞かせてくれる?」
真琴は少し躊躇したが、今日のことを話し始めた。科学部での活動、友達との会話、そして自分の将来への不安。
美里は真剣に聞いていた。
「まこと、あなたはまだ12歳よ。将来のことで悩むのは当たり前だし、むしろ素晴らしいことだと思う」
「え?」
「だって、それはあなたが自分の人生と真剣に向き合っているってことだもの」
真琴は母の言葉に、少し安心したように頷いた。
「でもね、まこと。今はまず、目の前のことを一生懸命やることが大切よ。そうすれば、きっと道は開けてくるわ」
「うん、わかった。ありがとう、ママ」
その夜、真琴は窓辺に座り、星空を見上げていた。
心の中にはまだ迷いがあったが、それと同時に、新しい何かが芽生えつつあるのを感じていた。
「明日も、一歩ずつ前に進もう」
そうつぶやきながら、真琴は静かに目を閉じた。窓の外では、さくらんぼの木が優しく揺れていた。