第4話「さよならの朝に」
3月26日、卒業式の朝が静かに明けた。真琴は早くに目を覚まし、窓から差し込む柔らかな光を見つめていた。
「今日で、小学生活が終わるんだ……」
真琴はそっとつぶやいた。胸の中に、寂しさと期待が入り混じる複雑な感情が渦巻いていた。
階下からは、母・美里の声が聞こえてきた。
「まこと、起きた? 朝ごはんができてるわよ」
「はーい」
真琴は深呼吸をして、ゆっくりと部屋を出た。
◇ ◇ ◇
朝食の席には、家族全員が揃っていた。
「まこと、今日が卒業式か。早いもんだな」
父・正治が優しく微笑みかけた。
「うん……」
真琴は少し緊張した様子で頷いた。
「お姉ちゃん、おめでとう! 中学生になるんだね」
弟・勇斗が嬉しそうに言った。
「ありがとう、勇斗」
真琴は弟の頭を優しく撫でた。
「まこと、これを着けていきなさい」
美里が小さな箱を差し出した。開けてみると、中には小さな桜の花びらの形をしたブローチが入っていた。
「わぁ、きれい……」
「私が卒業式の時に着けていたものよ。まことにも身につけてほしくて」
真琴は感動して、そのブローチを大切そうに制服に付けた。
「ママ、ありがとう」
家族に見送られ、真琴は家を出た。さくらんぼの木の下で、千鶴が待っていた。
「まこちゃん、おはよう」
「ちづるちゃん、おはよう」
二人は笑顔で挨拶を交わすと、並んで歩き始めた。
◇ ◇ ◇
学校に着くと、すでに多くの生徒や保護者が集まっていた。みんな少し緊張した面持ちだが、目には期待の光が宿っている。
「おはよう、みんな」
高坂先生が優しく声をかけてきた。
「今日という日を、胸を張って迎えてください。みなさんの新しい出発を、先生はとても誇りに思います」
先生の言葉に、クラスのみんなは背筋を伸ばした。
式が始まる前、真琴たちは桜餅を準備した。卒業式後に、全校生徒と来賓に振る舞う予定だ。
「よし、これで完成だね」
弦一郎が満足そうに言った。
「みんなで作ったから、きっと美味しいよ」
千鶴が笑顔で付け加えた。
真琴は出来上がった桜餅を見つめながら、この数週間の思い出を胸に刻んだ。
◇ ◇ ◇
「卒業証書授与」
校長先生の声が体育館に響き渡った。一人ずつ名前を呼ばれ、真琴たちは証書を受け取っていく。
「工藤真琴」
自分の名前が呼ばれ、真琴はゆっくりと壇上に上がった。
「はい」
校長先生から証書を受け取る瞬間、6年間の思い出が走馬灯のように駆け巡った。入学式の日の緊張、運動会で転んで泣いたこと、学習発表会で大成功を収めたこと……。
真琴は深々と一礼すると、席に戻った。
証書授与が終わると、在校生代表の言葉があり、そして卒業生代表の答辞。真琴のクラスメイト、沢田弦一郎が選ばれていた。
「…私たちは、この6年間で多くのことを学びました。勉強はもちろん、友情の大切さ、努力することの意味、そして夢を持つことの素晴らしさ…」
弦一郎の言葉一つ一つに、真琴は強く頷いていた。
式が終わり、真琴たちは準備していた桜餅を振る舞い始めた。
「はい、どうぞ」
真琴が差し出した桜餅を、後輩の女の子が嬉しそうに受け取った。
「ありがとうございます。先輩、中学校に行っても頑張ってください!」
その言葉に、真琴は胸が熱くなるのを感じた。
◇ ◇ ◇
式が全て終わり、真琴たちは教室に集まった。高坂先生が、優しく微笑みかけている。
「みんな、本当によく頑張りました。先生は、このクラスの担任になれて本当に幸せでした」
先生の目に、涙が光っていた。
「先生こそ、ありがとうございました!」
クラス全員で声を合わせて言った。
その後、クラスメイトたちと写真を撮ったり、メッセージを交換したりして過ごした。笑顔の中にも、別れを惜しむ気持ちが滲んでいた。
夕方近く、真琴は千鶴と弦一郎と共に、校庭のさくらんぼの木の下に立っていた。
夕日が校舎に映える中、三人は思い出話に花を咲かせた。笑ったり、時には目頭を熱くしたり。
やがて、帰る時間が近づいてきた。
「ねえ、約束しよう」
真琴が突然言い出した。
「何を?」
千鶴と弦一郎が不思議そうに尋ねた。
「私たち、どんなに離れても、この友情を大切にしていくって」
真琴の言葉に、二人は満面の笑みを浮かべた。
「もちろん!」
「約束だ」
三人は小指を絡ませ、固く約束を交わした。
真琴は空を見上げた。夕焼けに染まる空には、すでに明日への希望が輝いているように見えた。
「さよなら」と言うのは寂しいけれど、それは新しい「こんにちは」のはじまりでもある。
真琴は胸を張り、明日への一歩を踏み出す準備ができていた。
さくらんぼの木の枝先に、小さな芽吹きが見える。春の訪れと共に、真琴たちの新しい季節が始まろうとしていた。