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第1話「さくらんぼの木の下で」

 3月1日、山形県のとある小さな町に春の気配が漂い始めていた。工藤真琴は、通学路の脇に立つさくらんぼの木を見上げながら、ふと立ち止まった。まだ葉も花も付いていない枝だけの姿は、冬の名残を感じさせる。しかし、その先端には確かに小さな芽吹きが見え始めていた。


「もうすぐ春だね……」


 真琴は小さくつぶやいた。卒業まであと1か月。6年間通った小学校生活も、このさくらんぼの木のように、新しい季節を迎えようとしていた。


「まこちゃーん! 待ってよー!」


 後ろから聞こえてきた声に、真琴は振り返った。


「あ、ちづるちゃん。おはよう」


「もう、また1人で先に行っちゃって。最後の1か月くらい、一緒に登校しようよ」


 幼なじみの鷹野千鶴が、息を切らせながら追いついてきた。おっとりとした性格だが芯の強い千鶴は、真琴の親友だ。


「ごめんごめん。ちょっと考え事してたら、気づいたら1人になってた」


「考え事? 珍しいね、まこちゃんが」


「もー! たまにはあたしだって考えることあるよ!」


 二人は笑い合いながら、学校への道を歩き始めた。


    ◇ ◇ ◇


「じゃあ、みんな準備はいい? せーの!」


「はーい!」


 放課後、真琴たちのクラスメイトが教室に集まっていた。黒板には「卒業までのカウントダウンカレンダー」と書かれ、そこに貼られた紙に、みんなで「26」という数字を書き込んでいく。


「26日か……あっという間だ」


 真琴の隣で、沢田弦一郎がつぶやいた。物静かだが頼りになる弦一郎は、クラスの中でも特に真琴と仲が良かった。


「そうだね。でも、まだ1か月あるってことでしょ? たくさん思い出作りができるよ!」


 真琴は明るく答えた。しかし、その声には少しだけ寂しさが混じっていた。


「工藤さん、みんな」


 高坂みなぎ先生が教室に入ってきた。温厚で生徒思いの担任だ。


「カウントダウン、始めたんだね。さて、今日は大切なお知らせがあります」


 先生の言葉に、教室内がシーンと静まり返った。


「来週の土曜日に、卒業遠足を行います。行き先は……みんなで決めた思い出の場所、あの山です!」


 教室内がどよめいた。あの山――1年生の時から毎年登っていた、クラスの思い出の場所だ。最後にみんなで登れることに、生徒たちは歓声を上げた。


「やったー!」

「あそこ、絶対もう一回行きたかったんだ!」


 歓声の中、真琴はふと窓の外を見た。そこには、さくらんぼの木が見えた。


「ねえ、みんな」


 真琴が声を上げると、クラスメイトたちが振り返った。


「あのさ、卒業遠足の時に、タイムカプセルを埋めるのはどうかな?」


「タイムカプセル?」


「うん。みんなの思い出の品とか、手紙とか。それを埋めて、また何年か後に集まって掘り返すの」


 真琴の提案に、クラスメイトたちの目が輝いた。


「いいね!」

「それ、絶対やりたい!」


 高坂先生も満面の笑みを浮かべながら、「素晴らしいアイデアですね」と言った。


    ◇ ◇ ◇


 その日の夕方、真琴は家族で山菜採りに出かけた。


「まこと、こっちこっち! ふきのとうがあったよ」


 父・正治の声に、真琴は駆け寄った。


「わぁ、本当だ! きれいだね」


 春の息吹を感じさせる、みずみずしいふきのとう。真琴は大切そうに摘み取った。


「ねえパパ、ここって昔からパパが来てた場所なの?」


「ああ。俺が小さい頃から、毎年家族で来てたんだ」


 正治は懐かしそうに周りを見渡した。


「まことも、もうすぐ卒業か。早いもんだな」


「うん……」


 真琴は少し複雑な表情を浮かべた。嬉しさと寂しさが入り混じる気持ちを、どう表現していいか分からない。


「どうした? 心配事でもあるのか?」


「ううん、そうじゃないんだけど……。なんだか、全部終わっちゃうみたいで寂しいの」


 正治は優しく真琴の頭を撫でた。


「まこと、終わりは始まりでもあるんだ。小学校は終わるけど、新しい中学生活が始まる。それに、大切なものは心の中にずっと残るんだよ」


「心の中に……」


 真琴は父の言葉を噛みしめた。


「そうそう。それに、この町の自然も、家族も、友達も、みんなまことの大切な宝物だろ? それはこれからもずっと変わらないよ」


 正治の言葉に、真琴は少し安心したように微笑んだ。


「うん、そうだね。ありがとう、パパ」


 山の中に、父と娘の笑い声が響いた。


    ◇ ◇ ◇


 その夜、真琴は自分の部屋で小さな箱を開けた。タイムカプセル用の思い出の品を選ぶためだ。


 アルバムをめくりながら、真琴は1年生の時の運動会の写真を見つけた。真琴が転んでしまい、泣きそうになっているところを、クラスメイトたちが励ましている場面が写っている。


「これにしよう」


 真琴は写真を大切そうに箱にしまった。そして、ノートを広げ、未来の自分へ宛てた手紙を書き始めた。


『6年後の私へ

 今の私は、卒業を前にいろんな気持ちでいっぱいです。楽しかった思い出、頑張ったこと、泣いたこと、笑ったこと。全部が宝物です。

 6年後、私はどうなっているかな? 夢は叶っているかな? でも、きっとあの山は変わらずにそこにあるよね。さくらんぼの木も、もっと大きくなっているかな。

 未来の私へ。今の気持ちを忘れないでいてね。そして、もっともっと素敵な人になっていてね』


 手紙を書き終えると、真琴はほっとため息をついた。窓の外を見ると、満天の星空が広がっていた。


「明日も、きっといい日になるな」


 真琴は静かにつぶやくと、明日への期待を胸に、ベッドに横たわった。


 春の訪れを告げる風が、そっと窓を通り抜けていった。


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