6 不測の事態
6 不測の事態
エルマの話を聞きながら、優しいまなざしで小首をかしげる子犬を見上げ、ラーラは自分にも役に立てることがあったと、ほっと安堵のため息をついた。
「そうだわ。エルマさん。もし、お庭にレンゲが咲いていたら、何本か摘んできてもらえませんか?」
エルマがレンゲを摘んでくると、おもちゃのナイフで茎を割き、他の茎を通して、愛らしい花冠を作ってエルマに渡した。
「これを、子犬の頭に乗せてもらえたら嬉しいのですが。」
「まぁ、かわいいわ。こんな感じでいかがですか?」
「ふふ、ありがとうございます。」
そこにクラウスがやってきた。
「みんな集まって、どうしたんd…!こ、これは。」
「ラーラ様が修復してくださったのです。一粒のかけらも残さない、見事な修復です。もうコーティング剤も乾いてきた頃でしょう。」
「クラウス様、勝手なことをしてごめんなさい。」
「とんでもない!ラーラ嬢、ありがとう。そうだ、仕事も一段落したし、お茶にしよう。エルマ、お茶を頼む。」
子犬の人形の事があって以来、クラウスは少しずつ妹エリーザの事を話題にするようになった。朝食の後には、重厚な飾り棚の引き出しから、ベロアのケースを出して見せた。
「見てくれ。これは、避暑地の浜辺でエリーザが見つけた真珠のついた貝なんだ。初めての海ではしゃぎすぎて、びしょびしょになったんだ。こっちは先々代の侯爵から譲りうけたピジョンブラッドのブローチだ。とても稀少な宝石なのに、あの子は濃い色をあまり喜ばなくてね。どちらも、病床に臥せっているときに渡された物だ。もう、死期が迫っていると気付いていたのかもしれない。」
エリーザの話をすると、どうしても視線が下がってしまう。そんなクラウスに、ラーラはどう励ませばいいのだろうと、考えあぐねていた。
「こっちは庭先で見つけた珍しい花だ。まだ庭に出て遊んでいた頃に摘んで来たんだ。嬉しそうな顔をしてね。だから、押し花にして残しておいたんだ。忘れた頃に見せてやれば、きっと驚くだろうと思ってね。…だけど、見せる間もなかった。」
「とても仲良しなご兄妹だったんですね。」
ラーラの言葉に、花弁をなでながら妹に思いを馳せていたクラウスははっとした。
「ああ、そうだね。生きていたら、今の君ぐらいの年齢なんだ…。さて、そろそろ仕事に取り掛かるか。」
クラウスは、無理に笑顔になって執務室に入っていった。ラーラも急いでドールハウスの部屋に戻り棚に腰かけると、クラウスの魔法の力がすぅっと離れて体が小さくなった。
月が替わって、いよいよジークベルト一家が遊びに来る日になった。いつものように朝食を共にしていたクラウスは、改まった様子でラーラに声を掛けた。
「すまない。今日と明日は来客があって、君と食事を共に出来ないんだ。エルマに頼んで食事は運んでもらうから、がまんしてくれるか。今日やってくるのは学生時代からの親友のジークベルト・クラインベックとその奥方と子どもなんだが、まだ2歳なので、人形と間違えて乱暴にされては困るからな。少し高い棚にドールハウスごと移動しておく。」
「そうなんですね。私は問題ありません。」
「そう言ってもらえると助かるよ。」
クラウスは、そっとドールハウスを少し高い棚に移動して、小さくなったラーラをその扉の前に運んだ。
ほどなくしてベルが鳴ると、一気ににぎやかな空気が館内にあふれた。
「クラウス様の親友は、もうご結婚されてお子さんもいらっしゃるんだわ。」
エリーザの話をする寂し気なクラウスを思い出して、どうか、早く素敵な人に巡り合って幸せになってほしいと素直に思えた。
小さな子の愛らしい声、穏やかな女性の声、はつらつとした男性の声、客人たちの声を聞きながら、ふと、自分も微笑んでいることに気が付いた。そうよね。家族は仲良くするのが一番、楽しい笑い声があふれているのがいいよね。そんなことを考えているうちに、ラーラはうたた寝をしていたようだ。
目が覚めると、外は夕焼け色に染まっていた。
「今、何時ごろかしら。」
いつもの癖でそっと窓辺に歩み出すと、キラキラとした愛らしい瞳がじっとこちらを覗き込んでいた。美しい金髪が耳の上あたりで二つに結ばれて、巻き毛がクルンと揺れている。
「うそ!小さい子には届かない場所にあったはずなのに。」
驚いて死角になっているドレッサーの陰に身をひそめると、幼い子のぷっくりした手が窓から中を探ってくる。ラーラは捕まらないように慌ててテーブルの下に身を隠した。遠くで母親の声がする。
「リンダ、どこにいるの?」
「ママ―!メルちゃん!メルちゃんいたの!」
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