4 ベルガーとエルマ
4 ベルガーとエルマ
促されるまま付いて行くと、こちらも落ち着きのある調度品が揃った部屋に招かれた。壁際には所せましと本が並んでいる。部屋の奥には大きな机があり、手前にはソファが置かれていた。農家で育ったラーラの見たことのない世界だった。しかし、ラーラの視線は、その机のさらに奥へと続くドアが半開きになって、ちらりと見えた物だった。落ち着いた中で異彩を放っていたのは、窓辺に置かれた小さな子犬の人形だ。この部屋には不釣り合いな子供が作ったような形をしていた。
「ああ、失礼。ドアがちゃんとしまっていなかったんだね。こちらに掛けて。」
クラウスはドアを閉めると、ラーラにソファを進め、机の上の呼び鈴を鳴らした。すると、ほどなくして落ち着いたノックが聞こえ、身なりのきちんとした男性と女性が入ってきた。
「旦那様、お呼びでしょうか?」
「ラーラ嬢、紹介しよう。こちらが僕の執事をしてくれているベルガー・アンティスと侍女のエルマ・アンティスだ。」
「ラーラ・バッシュと申します。お世話になります。」
令嬢らしくない様子でぺこりと頭を下げるラーラを見て、二人は少し困ったように微笑んだ。
「実は、彼女は家の前で倒れていてね。誰かの魔法の波動を受けてしまったみたいなんだ。今度師匠が来るまでの間、うちで面倒を見ることにするから、よくしてやってくれ。」
「まぁ、お可哀そうに。お体は何ともないのですか?」
エルマが優しく語り掛ける。
「何ともないことはない。彼女は今、僕の魔法で元のサイズになっているが、僕から離れたら一気に小さくなってしまうんだ。あのドールハウスに避難していたぐらいなんだ。」
「それはまた!」
事情を知ったベルガーも、優しいまなざしを向けた。
「そういうことでしたら、承知いたしました。ラーラ様、どうぞなんなりとお申し付けください。」
「わわ、滅相もございません。でも、私は農家の娘、貴族の方々の生活を知りません。もし、このままの大きさでいさせてもらえるなら、何かお手伝いをさせてください。」
少女の琥珀色の瞳が、じっと若き侯爵を見つめている。
「う~ん、しかし、僕の魔法の範囲はそんなに広くないしなぁ。」
「それでしたら、旦那様の執務室の前にある井戸で、お洗濯をお願いするのはいかがでしょう。やってもらえると私も助かりますわ。」
エルマが嬉しそうに言うと、クラウスも折れるしかなかった。
「ただし、仕事は朝の洗濯だけだ。後は食事の時に声を掛ける。それ以外の時は、あのドールハウスでゆっくりするといい。ここにある本を持って行ってもいいよ。」
「ありがとうございます。でも、…字は読めないので…。」
貴族にとっては当たり前の読書も、農家の子どもにはハードルが高い。クラウスは少し考えてから、ベルガーに洗濯が終わった後の勉強を担当する様に命じた。
「承知いたしました。ラーラ様、本が読めると楽しいですぞ。頑張りましょう。」
「そんなことまでしていただいては、申し訳ないです。」
「いいや、気にしなくていい。実際はどうか分からないが、この辺りでそこまでしっかりとした魔法が使えるのは、僕の師匠ぐらいじゃないかと思うんだ。せめてもの罪滅ぼしだと思ってくれ。」
その後、クラウスと昼食を取りながら、ラーラはトレーガー侯爵家の事をいろいろと教えてもらった。ドールハウスが大好きだったクラウスの妹・エリーザが、病気で亡くなったこと、そのせいで母親が体調を崩し、今は領地で療養していることなどを知ったのだ。
食事が終わると、いよいよベルガーから文字を教えてもらう時間だ。クラウスの妹が使っていた子供向けの教科書を使って、ベルガーは丁寧に教えていく。農作業や家事のことを心配せずに学ぶことが出来ることは、なんて贅沢なんだろう。ほめ上手はベルガーに、ラーラは学ぶ喜びを感じていた。
「さて、今日はそろそろお開きだ。文字の練習がしたいなら、こちらのノートとペンを渡しておこう。」
「わぁ、い、良いのですか?ありがとうございます。」
受け取った文具を大事そうに胸に抱いて、ラーラはドールハウスのある部屋へと向かった。ドールハウスの置かれた棚に腰かけると、クラウスの魔法の範囲から離れてするすると体が縮んでいく。きらびやかなドールハウスに戻っても、すぐにテーブルに向かって先ほど習った文字の練習に精を出した。
その頃、クラウスはエルマに買い物を依頼していた。ベルガーとエルマには、男女二人の子供がいる。二人とも成人しているので、クラウスの依頼はお手の物だ。
翌日、クラウスが食事に誘って魔法を掛けると、ラーラは部屋のクローゼットに洋服が詰まっているのを見て大いに驚いた。
「そこにあるものは、君が着替えるのに使うといい。エルマに頼んでおいたから、必要な物は大体揃っているだろう。なにか、足りない物があれば、エルマに頼むといい。」
「こんなにたくさん…。あの、 私,受け取れません。お返しするすべもないんです。」
「ん?気に入らなかったか?」
ラーラは慌てて首を横に振った。
「それなら気にしなくていい。もう買ってしまった物だ。捨てるには忍びない。有効活用してくれ。」
街で流行っているのであろうおしゃれな洋服は、憧れではあったが、農家で育ったラーラには、いつどこでそれを着ていいのか分からなかった。
「ふふふ。ラーラ様、ご心配なく。旦那様がいらっしゃるすぐ隣の部屋なら、きっとそのままの大きさでいられるはずです。それにしても、本当に、エリーザ様が大きくなられたようで、ラーラ様には失礼かもしれませんが、つい世話をしたくなる旦那様の気持ちも、分かってしまうのです。どうか、ご容赦くださいませね。さぁ、お時間を頂いて、身支度いたしましょう。」
そう言って、エルマが隣の部屋へとラーラを連れて行くと、あっという間にしゃれた洋服に着替えさせ、髪を愛らしくまとめあげた。鏡の前にいる自分が、まるでおとぎ話のお姫様のように見え、ラーラは戸惑った。
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