(五)
「お、お前、なに考えてんだ!」
「ば、バカな。岩をも砕くゴーレムの一撃だぞ!」
クーちゃんと小男の口から同時に驚きの声があがる。
「怪我はないかい。僕の大事な小悪魔ちゃん♡」
倒れているクーちゃんの前で、ゴーレムの一撃を受け止めたフォルが、振り向いて良い笑顔を見せてくる。
でもゴーレムの腕が離れていくのと同時に、フォルの両腕は力なくぶら下がる。両腕ともにどす黒く変色し、遠目にも腫れ上がっているのがわかる。
フォルがふらついたと思ったら、その場に力なく倒れこんだ。
おそらく全魔力を防御にまわして受け止めたんだ。それで吹き飛ばされずにすんだのだろう。
でも一撃を受け止めた両腕はボロボロ。その痛みと魔力の急激な減少で、立ちくらみを起こしたといったところだろうか。
クーちゃんが立ちあがりフォルに駆け寄る。その目はフォルの腰に巻かれているマント型魔法道具『ジンジエ』に向けられる。
「この馬鹿! なんでジンジエを着けてるのにかわさないんだよ!」
フォルが脂汗でべっとりと額についた前髪を首の運動で跳ね上げる。
「そんなの決まっているじゃないか、ハニー。僕がかわしてしまったらハニーがけがしてしまう。ジンジエはボクの想いに応えてくれたのさ」
フォルは引きつった笑顔でウインクして見せているが、違う。ジンジエが自動回避するのは害意ある攻撃だ。ゴーレムは指示に従って動いただけ。そこには害意もなにも無い。
私は二人に合流し、フォルの腕に手をかざして、元の平和だった状態に戻していく。
「ええい、ゴーレム! なにをボーっとしているのですか。まだ標的は壊れていませんよ。もう一度です!」
小男の指示に従い、ゴーレムが再び動き出す。
ゴーレムの無感情の拳が、一気に私たちの目前に迫ってくる。
私は心が凍りつく。
ゴーレムの拳のせいじゃない。進み出たクーちゃんの怒りのオーラのせいだ。
背中越しでも凄まじい形相をしていると想像のつくクーちゃんが、人差し指をゴーレムの拳にむけてそっと差しだす。
ゴーレムの拳を指一本でぴたりと止めてみせる。
「ほーちゃん。空に向かってならいいかな?」
「ど、どうぞ。ガレキは私がなんとかいたしますので」
「ありがとう」
これまでフォルに向けていた怒りなど怒りの内には入らない。
私に向けられている怒りじゃないと、わかってはいても恐すぎる。
悪魔だ。まぎれもない悪魔がここにいる!
「ど、どうしたのだ、ゴーレム! 拳を止めるな。殴れ、蹴れ、壊せ!」
騒ぐ小男を気にもとめず、クーちゃんはゴーレムの手を掴むと、軽々と真上に投げ飛ばした。
ゴーレムがあっという間に石ころくらいに小さくなっていく。
私を除く全員が唖然とする中、クーちゃんは2度屈伸運動をすると上空を見上げ、ゴーレムの姿が再び大きくなってくるのを確認すると、拳を天空に向かって掲げ、その体勢のまま跳びあがる。
みるみるうちに小さくなっていくクーちゃんと、大きくなってくるゴーレムが空中で衝突した。
激しい衝撃音と共に、ゴーレムが粉々に砕け散る。
「バカな!」
小男が腰を抜かしその場にへたりこむ。
私は両手をあげて、その小男の周囲にガレキが集まるように、ろうと状に結界を張る。元ゴーレムのガレキたちが結界にぶつかり、結界の斜面を滑るようにして落下し、小男を取り囲むガレキの山ができあがった。ガレキの山の中から小男の叫び声が聞こえる気がするが、とりあえず気にしない。
最後にガレキと同じように結界を滑り降りてきたクーちゃんが、ガレキの山の上でガッツポーズをして見せたところで私は結界を解いた。
「よっと」
クーちゃんがガレキの山頂からぴょんと飛び下りると、フォルがすぐさま駆け寄り、クーちゃんの右手を取って手の甲にキスをする。
「ありがとう、ハニー。ボクのために怒ってくれて♡」
「ち、ちがわい! お前がやられたから怒ったワケじゃない!」
クーちゃん、目がスゴイ泳いでる。褐色肌なのに赤くなっているのがまるわかり。……カワイイなぁ!
うむ。いまが好機。フォル、攻めるならいまだ!
私の心の声が届いたのか、フォルが妖艶な微笑でクーちゃんとの距離を詰め、クーちゃんの細いあごを持ち上げる。
「愛してるよ。ボクの小悪魔ちゃん」
「ふえええ」
クーちゃんが意味不明の声をあげるが、もちろんフォルの唇は止まらない。
いままさに奇声を発するクーちゃんの口を、フォルが自身の口でふさごうとした、まさにそのとき。
「キスだ!」
「すげえ、生キスだ!」
「キャー、舌入っちゃうのかな、入っちゃうのかな⁉」
孤児院の壊れた扉から出てきた子供たちの熱い視線が二人に注がれていた。
「イ、イヤ! 恥ずかしい!」
子供たちの視線に気がついたクーちゃんが、フォルを左手で突き押す。
私の目の前をフォルが高速で通過する。
遠くで空高く水が噴きあがる。
この間わずか5秒。
私は空高く噴きあがった水を見ながら満足して頷いた。
フォルとクーちゃんの関係は間違いなく一歩前進だ。
先程も説明したが、ジンジエは害意のない攻撃は自動回避しない。たとえ結果的にフォルの天使生の中で最大の危機だったとしてもだ。
つまりクーちゃんの突き押しには害意はまったくなかったということになる。たとえ結果的に最大の被害を被っていてもだ!
これまでのこと、これからのことを考えても、これは大いなる一歩に違いない。
可愛い赤ちゃんの顔を想像し、嬉しくなった私は、身体をクネクネさせているクーちゃんの手を片手でとり、空いている手を事態の変化にまったくついていけてなさそうなシスターに向かって振る。
「こっちはまた後で直しに来るんで!」
そう言ってクーちゃんの手を引っ張って走り出す。
小男たちの方はもう大丈夫だろう。今回の事実を噂として流してやれば、買手だったろう国は手を引くね。元冒険者の女性に、素手で簡単に殴り壊されるようなゴーレムの劣化版など欲しくないもの。そうなれば小男はこれまでにかかった費用も回収できない。あの土地を教会に安く買い叩かれる未来さえ見えてくる。
「あ、あれ? ほーちゃん。なんでオレたち走ってるんだ?」
やっと正気を取り戻したクーちゃんが、とぼけた質問をしてくる。
「ママ、しっかりして。私たちパパを迎えに行くところだよ」
「あ、あれ? アイツどこ行ったんだ?」
「中央広場」
「中央広場? なんで?」
「いいから、早くパパを迎えにいこ。噴水も直さなきゃだからね」
頭の上にたくさんの『?』を浮かべたクーちゃんに、私は笑顔で答えて正面に向き直る。
中央広場の上空に虹がかかっていた。
引いていたクーちゃんの手をギュッと握りしめ、足を速める。
私にはあの虹が、二人の明るい未来に続く、幸せの架け橋に見えていた。