9. 噂は駆け巡る
「オルレアン騎士団長を助けたんだって?」
シシーは、各方面で聞かれまくっていた。気にしていなかったけれど、シシーがエドガーを引きずっていたとか、抱き上げていたとか、尾鰭はひれがついたのはたまらない。
「ただ、医務室にお連れしただけ。肩を貸しただけよ!」
シシーは、エドガーの英雄としての名誉のため、辛抱強く説明を繰り返した。しかし、世間は納得しなかった。
侯爵夫人がシシーに礼を言うため、医務室を訪れる姿を目撃した者は何人もいた。しかも、侯爵夫人がシシーを伴って、エドガーの入院先に現れた姿を見ていたレディもいた。彼女は情報通だったので、シシーの身元をつきとめたのだ。
『あのオルレアン騎士団長が、あの不遇のマインドスケープ子爵令嬢を見染めた。侯爵家も異を唱える気はない』という噂が広まっていった。
本人たちに確かめようにも、エドガーは入院中だし、お相手のシシーは社交の場にあらわれることがない身。高位貴族の夫人たちは、侯爵夫人にそれとなく聞くけれど、明確な答えは得られない。
噂に憤慨する者もいた。エドガーに憧れていた令嬢たちや、婿に狙っていた貴族たちだ。けれど、彼らが行くところに、シシーはいないのだから、『身の程知らず』とののしることもできない。
「噂はうそ! 私、そんな身の程知らずじゃないし、ほとんど話したこともないわ」
シシーの言い分はごもっともで、医師学校やシシーの勤務先に混じっている貴族の子弟たちは信じた。
例外はわずかだった。デュラス伯爵家の次男でシシーの幼馴染のギャラントは驚き、シシーを問い詰める気満々だった。
ギャラントは興味津々ではあったけれど、なんと、エドガーを心配していた。
(ないとは思うけど、万が一、噂が本当なら、あの天然鈍感シシーのせいで大事故になりかねない!)
シシーを昔からよく知っている上に、騎士団でエドガーの部下にあたるギャラントは、エドガーを待ち受ける試練を予知できる数少ないひとりだった。
「よお、シシー」
シシーが夕食を終えて食堂を出たとき、ギャラントが声をかけた。
「団長との話、本当?」
「ギャラントまでそんな……。ないない、あるわけない。閣下に失礼よ、あなたの上長でしょう」
ギャラントはあたりを見回して声をひそめた。
「いや、だってさ、あの団長だよ。英雄で、王家の親戚で、次期侯爵で、あの容姿。モテモテなのに女っ気がない仕事の鬼が、シシーと」
「ないない」
呆れ果てた顔で頭を振りながらシシーはギャラントを小突いた。
「でも、あの顔と身体。かっこいいとか思ったりしないの?」
シシーは肩をすくめて首をふったけれど、それは少し嘘だった。エドガーのことは、貴重な天然記念物だと考えていた。なかなかお目にかかれないし、見応えのある方だから。
「なーんだ。つまらないな。でも万が一、団長から言い寄られたらどうすんの?」
「はい? つまらない妄想する暇なんて、私にはありません」
「まあいいさ。これ、今タウンハウスに滞在中のうちの母上からのお茶のお誘い。涙を浮かべて、大興奮してたよ。俺の婚約者も来るかもしれない」
ギャラントは、騎士服の胸ポケットから手紙を取り出して、シシーに渡した。
「は、何で?」
ギャラントの母、デュラス伯爵夫人は、シシーの後見人だけれど、涙や興奮の意味がわからない。
「ドラマチックだからだろ? お前は黙っていたら、薄幸の、見れないこともない子爵令嬢だし、団長と並ぶと絵にならないこともない。身長差や年齢差も、小説みたいで素敵だと騒いでいた。絶対に近々顔を見せろと」
「……はあ。そうですか。でも何で婚約者様まで?」
「騎士団長に憧れるご令嬢は多いし、噂のマインドスケープ子爵令嬢に是が非でも会いたいのはみんな一緒さ」
「何ふざけたこと言ってるのよ! 違うって言っといて! 婚約者は別の機会にして。……それにしても、どうしたらその噂、鎮火するのかしら」
「みんなすぐ飽きて、次の噂にいくさ。二人に進展がなければな」
「……そうよね。気にしても仕方ないわね」
「少しは気にしてくれ」
医務室の近くまで来ると、二人は笑顔で手を振って別れた。
その非常に楽しそうで、打ち解けた姿を、予定を一週間上回る早さで回復、退院した足で国王、そしてシシーに挨拶をしたくて登城していたエドガーは目撃してしまった。