7. 公開求愛
アレクシスが往診にやってきたときのこと。
「いつ、退院できるんだ? 痛くも痒くもないし、明日からは普通食だと聞いた!」
エドガーは声を荒げた。肩をすくめながら、アレクシスは答える。
「あと、十日。最初の見立てと変わらない」
「家族以外は面会禁止じゃ、仕事のことがわからなくて困るんだ! というか、仕事に戻らないと迷惑だろう!」
エドガーは大荒れでも、アレクシスは眉ひとつ動かさない。
「陛下から直々に『医者の指示に従い、休養を十分とるように。健康になるまでオルレアン騎士団長の登城を禁じる』と通達がくだっている。王命だ。知らないわけないよな?」
アレクシスは、ため息をつきながら続ける。
「この病気は、完治させないと、何度でも再発するぞ。そうすると、悪性腫瘍になりやすい」
エドガーは大丈夫だというふうに起き上がると、ベッドに腰かけて言った。
「じゃあ、宿舎とは言わない。実家に帰らせてくれ。家で大人しくする」
「おばさまや使用人が大変だろうよ、君の世話だけではなく、『ゆっくり寝てなさい』と一日中諌めなくてはならない」
エドガーが感情的に声を張っていると、ノックする音が響き、返事をする前にドアが開かれた。
怒った表情の侯爵夫人だった。そして、シシーが侍女にうながされ、病室に入ってきた。たちまち、エドガーは固まった。
「これはこれは。侯爵夫人に、シシー。ようこそ」
「シシー嬢とアフタヌーンティーご一緒した帰りなの。エドガーがお礼を言いたがっていたから、無理を言って、お連れしたのよ」
(シシー嬢とアフタヌーンティーだと? 一人息子が入院中に! うらやましい!)
エドガーは、無表情のまま、心の中でもだえる。
アレクシスは、侯爵夫人に礼をとると、シシーにも微笑んだ。いいところに居合わせた、と言わんばかりに目が輝いている。
「どうしたの? 声が廊下に響いていたけれども」
侯爵夫人は意地悪く聞いた。
(いつもは違うのに。よりによって、女神の前で……絶望しかない……。母上は何を考えているんだ! 女神に嫌われたら、どう責任をとってくれるんだ!)
エドガーの心の中はざわめいていたけれど、相変わらず表情を崩すことなく、堂々と立ち上がって二人に挨拶をした。
「お目にかかれて光栄に存じます。閣下、お加減はいかがですか?」
シシーは、ぎこちないながらも美しくカーテンシーし、エドガーを控えめに気遣った。
「おかげさまで元気だ。この前は、本当に助かった。心から感謝する」
エドガーは、初々しいシシーのカーテンシーに感嘆しながら、頭を垂れた。彼の耳がわずかに赤いのに気付いた侯爵夫人は眉を上げる。
「お気になさらないで下さい。当たり前のことをしただけですから」
シシーは目線を上げたが、すぐに落とす。
エドガーの気だるげな表情も、前髪が乱れたさまも、薄いシャツからはっきりわかるたくましい肩のラインも、無防備な胸元からのぞくがっちりした胸板も、大人の男性の魅力にあふれすぎていた。シシーには刺激が強すぎる。
いつもの堅苦しい彼よりも、少し崩れたときのほうが魅力の危険度が増す。それは誰もが内心思っていることだ。
侯爵夫人は満足げに二人を見守った。
そしてアレクシスは、エドガーもシシーも観察したいのに、どちらを見たらいいかわからないでいた。
魅惑的なエドガーの姿に、目のやり場に困っていたシシーだったけれど、まくりあげた袖から見えるエドガーのたくましい腕に浮かび上がる血管もたくましいのに驚くと、なぜか落ち着いた。
(閣下……まぶしいくらいに美しくて目が溶ける。みんなが騒ぐのも無理がない、かっこよさね)
「早く良くなってくださいませ」
シシーは目線をわずかにあげて、微笑む。
(なんて優しいんだろう。それにしても、俺の女神はやっぱりきれいだな……)
エドガーはまた心の中でもだえる。
「アレクシス、この子、いつ退院できるのかしら?」
「そうですね……」
「…………」
アレクシスと侯爵夫人の話を聞かず、エドガーはシシーを見ていた。シシーは視線を何度もそらしている気がするけれど、どうすることもできない。もどかしかったが、ここぞとばかりに彼女をじっくり眺める。
シシーは質素な紺色のワンピースを着ていた。普通の制服姿でしかないのに、エドガーはすっかり見とれていた。
(こんな地味な格好でこんなにきれいなのは反則だ。ドレス姿とか見せられた日には俺の目は間違いなくつぶれる)
「……。エドガー、エドガー聞いているの? みんな座りましょう。身体の調子はどうなの?」
エドガーは応接セットのソファに腰かけながら、素っ気なく『まずまずですよ』と返す。視線はシシーに釘付けのまま。
一瞬だけ二人は目が合ったが、エドガーの強い視線にひるんだ彼女はすぐにまた視線を落とす。
(侯爵夫人に言われたからとはいえ、急にやってきてしまって。このお方は腹を立てていらっしゃるのではないかしら。やっぱり来なければよかった。さっさと帰ろう……)
シシーは隣でアレクシスと会話を交わしている侯爵夫人をうかがった。
(つややかな淡い金髪はこの前はわからなかったな。素敵とかきれいというありふれた言葉ではとても彼女を表現できない)
アレクシスは、理屈ではないシシーへの思いに心を焦がす。
(この人以外、目に入る日が来るのか? いや、来ないな)
「………」
「………」
シシーは困ったように微笑む。しかし、エドガーは言葉が出ないまま、シシーを見つめるばかり。
エドガーが女性に見とれるとか、固まってしまうことなどありえなかった。侯爵夫人とアレクシス、それに離れたところから見守っていた侍女も、信じられないものを見たような顔をしている。
微妙な空気が流れる。さすがのシシーも気まずそうにうつむいてしまった。
業を煮やした侯爵夫人は、エドガーに刺すような視線を向けたけれど、彼は知らん顔だ。
「突然申し訳ありませんでした、閣下」
顔を上げて、身を縮めながらシシーは謝る。
「そうじゃないのよ、ごめんなさいね、シシーさん。エドガー……、シシーさんは、忙しいからすぐに帰らないといけないの」
侯爵夫人はエドガーに早く話せと促した。
「息子はちょっと気恥ずかしいみたい」
「母上!」
たまらず大声をあげた勢いで、エドガーはようやくシシーに声をかけた。
「あの時は本当に世話になった。急いでいるのに足を止め、私の容態を適切に確認し、その上で、その……背負って……いや、医務室に運んでくれたおかげで、私は死なずに済んだんだ」
エドガーは、魅惑的と評される男性的で低い声で語りかける。もはや、なりふりかまわずだった。一同は唖然としながらもその想いを確信し、息をのんで見守った。
「あなたは献身的で、冷静で……医者となるにふさわしい人だ。私の命の恩人だ」
一同は、むずむず居心地が悪くなりはじめる。エドガーは、ギャラリーそっちのけで、甘く情熱的なまなざしをシシーに向けている。
シシーの方は、眉を下げて、またうつむいていた。何とも居心地が悪そうだ。
「どうか、あなたにぜひ恩返しをさせてほしい」
エドガーが健康な時であれば、ひざまずき、騎士の礼をとって、シシーに一生の忠誠を誓っていただろう。
物語から出てきたかのようなロマンチックなありさまに、今や侯爵夫人は片手で口元をおおい、目を潤ませながら震えていた。息子が誰かを愛することを願ってはきたけれど、それが実現するだけでなく、その様を目撃できるとは思ってもいなかったのだ。
(ま、まあ……、閣下は、義理堅いお方なのね)
ところが、シシーは、エドガーの人柄に感心していた。そして、よくわからない空気が勘違いとわかって安心していた。しかし、アレクシスと侯爵夫人から見ると、恐縮を通り越して、困惑しているように見えた。
((エドガー、やりすぎだ。一旦引け!))
アレクシスと侯爵夫人は同時にそう判断、口を挟もうとしたそのとき。
「いえ、そんな。もったいないお言葉でございます。光栄であります。閣下は死に至る病ではありませんから、すぐにお元気になられますとも」
いつの間にか顔を上げていたシシーが元気に応じた。場の熱気と緊張が一気にとける。安堵したシシーは、病室の時計をみると、じきににこにことおいとまを告げた。