4. そして外野は盛り上がる
「あの子、頭を打ったわけじゃないのよね?」
「頭は打ってないし、異常ありません」
「んんんー」
侯爵夫人は両手を握りしめ、目をうるませながら喜びもだえていた。
引き気味のアレクシスと侯爵を睨みつけると、侯爵夫人は喜びを爆発させた。
「あのエドガーが! ついにエドガーが! 神様ありがとうございます!」
侯爵が肩をぐっと抱くと、夫人はハンカチを握りしめた。
「苦節十数年よ、あなた。雨の日も風の日も、あの子が小さいころから何とか婚約者をと、頑張ってきたわ。失敗続きでも、耐えて耐えて耐え抜いてきたの。やったわ、ついに」
「お、おばさま、おめでとうございます」
侯爵夫人は、シシーについて色々とアレクシスから聞くと、満足げに微笑んだ。
「マインドスケープ子爵家と聞いて、期待はしたの。しかも辛口なアレクシスくんが褒めるお嬢さんなら、文句なしじゃないの? ね、あなた?」
侯爵夫人は、夫に問いかけると、侯爵は、肯いた。
「マインドスケープの勤勉さは代々有名だからね」
「そうよ、立地、地質は最悪、誰がやっても失敗する領地をコツコツ努力しておさめて、もう五代目。子爵夫妻が事故で亡くなられた上に、水害もあったのに、助けを求めずやってるって」
「未だに大変なのは、領主代行の叔父がマインドスケープの血筋のわりには平凡なせいでしょう」
「助けてあげたい! エドガーの出番じゃないの!」
侯爵夫人は、いつの間にか、アレクシスの横に椅子を持ってきて座っていた。
「ただ……、シシーは……。非常にドライというか……、恋愛に興味ない感じです。苦労したせいなのか、元々の性格なのかわかりませんが」
「まあ。純粋なのね」
侯爵夫人は、見開いた目を輝かせながら両手を口にあてている。
「というより、考えたことすらないのかもしれません」
アレクシスは侯爵夫人を落ち着かせようと、ゆっくり話した。
「何それ?」
侯爵夫人は目を丸くしている。
「シャレっ気がほとんどしてないですし……。それに彼女、二年前からここで働いてますけど、私に関心が全くありません」
「え、アレクシスくんに?」
アレクシスは、伯爵家の後継でこそないけれど、国の医療を背負っている。見目麗しく、しかも気さく。何なら、近寄りがたいエドガーよりも女性にもてる。というより、もてまくっている。婚約者がいないのはエドガーと同じだけれど、選り好みをしているだけ。だから、誰も心配していない。
「個人的なことを聞かれたことがないというか……。違うな、仕事に関することは何でもよく聞かれますが、何と言うか、私を異性と思っていない。妹の方がまだ恥じらいがあるというか」
「アレクシスくんが好みじゃないだけじゃないの? あなた、いつ婚約者決めるの? お母様も心配して……」
「……。私のことはさておき。シシーは他の若い医師や患者に対してもそうですね」
「シシー嬢はモテるの?」
アレクシスは考えこみながら答えた。
「モテる、というのは、女性が異性に関心があって初めて成り立つものです」
いぶかしげな顔をした侯爵夫人に対して、アレクシスは力説する。
「無意識でも意識的でもいいんですが、女性が異性にアピールするか、アピールされる気がないと、何も始まらないのはわかりますよね? そう、まさに恋愛は、キャッチボールなのです」
「キャッチボール」
侯爵夫人が鸚鵡返しすると、アレクシスは続けた。
「球を投げる隙を誰にも与えないというか。見た目は可憐だし、人当たりもよいから、よく関心を示されてますが、シシーはスルーしてますね。まさか、気づいていないのかな、と心配になることもあります」
「シシー嬢が実はものすごく恥ずかしがり屋だとか、理想が高すぎるとか」
うーん、どうなんだろう、とアレクシスはだまりこんだ。
「理想のタイプを同僚に聞かれたとき、目が死んでいましたね。その後で、『あの子は異性に興味ないから話が盛り上がらない』と言われてました」
「それは重症ね」
「私が聞くとセクハラになるので、男性観なんて聞いたことありませんが。あと、本当かどうか、わからないのですが……」
ためらいがちにアレクシスが言うと、侯爵夫人が先をうながした。
「彼女、結婚する気がないらしいのです。医師になったら弟を呼び寄せて、弟が貴族学院を卒業したら一緒に故郷へ帰って、開業医になると言っていると…」
「何それ!?」
「斬新だな……」
侯爵夫人は驚いて立ち上がり、興味なさげに聞いていた侯爵は目をぱちぱちさせている。
「いい男に求婚されたら話は違ってくるのでは?」
侯爵の問いに、アレクシスはさらに考え込みながら沈黙する。
「一度、直接聞いてみるのがいいですよ」
「エドガー、まさかフラれたりするのかしら」
侯爵夫人が高めの大きな声で言った。
「……おばさま、フラれてほしいんですか?」
「まさか!でも、あの朴念仁じゃ、だいぶ厳しいような」
「でも憧れの的であるエドガーですから。ただ、あの有名人のエドガーのことを名前しか知らなかったし、全く関心を示さず、さっさと立ち去ったとか」
「「ええっ」」
侯爵と夫人が同時に声をあげた。結婚しないこと以外は、自慢の息子であり、『最高の婿候補』とされてきた息子なので、称賛されるのが当然だったからだった。
初めて重苦しい沈黙がおりた。希望が持てる話がない。
「エドガーが本当に望むならば、マインドスケープ子爵家の当主代行に正式に申し入れすれば断られまい。私は登城するから先に帰るよ」
侯爵はそそくさと席を立つ。
「ちょっと! あなたも少しはちゃんと考えてくださいよ!」
「マインドスケープなら私はもちろん反対しないよ。それにエドガーなら大丈夫さ」
「まあ、なぜ?」
「それは私の子だからさ。君にならわかるだろう」
顔を赤らめながら侯爵夫人は見送った。かつての侯爵の猛アプローチはあまりに有名だったのだ。アレクシスは見てられないとばかりに目を落とす。
それでも侯爵が出ていくと、夫人は咳払いして、アレクシスに向きあった。
「家同士の話にするのは避けたいわ。シシー嬢に無理強いすることになってしまうもの。でも……。アレクシスくん、シシー嬢のこともっと教えてちょうだい。あのエドガーの見たことない姿が見れそうで、ワクワクしたけど、それどころじゃなさそうね」