21. 祖母の思い出
シシーは、エドガーから屋敷の中を案内される。
外から見た以上に、屋敷の内側は広々としていて、歩くのに時間がかかった。廊下の幅も広い。壁には、高価そうな絵が飾られ、あちこちに美術品が飾られている。シシーは、うっかり倒したり傷つけないよう、注意深く歩く。
エドガーは、歩幅を合わせてくれたので、シシーは屋敷をよく観ることができた。長身のエドガーよりも高く、大きな窓からは、庭園の緑や花が見える。シシーは少しゆったり歩きすぎて、エドガーと距離ができてしまった。
エドガーは微笑みながら振り向く。シシーも立ち止まる。エドガーは、一歩踏み出しながら聞いた。
「気に入ってくれたかい?」
「申し訳ありません。見とれておりました。美しいお屋敷に庭園ですね」
「あとで、祖母たちの散歩コース見がてら散策に行こう」
そして、エドガーに案内された部屋は、非常に立派な部屋だった。とても使用人用の部屋とは思えない。白で統一された家具はどれも繊細な造りで美しい。シシーが幼い頃絵本で見た、王女様が暮らす部屋に似ていた。
「ここが君のために用意した部屋だ。さっき母も言っていたが、足りないものがあれば言ってほしい」
「こんな立派なお部屋、使わせていただくわけにはいきません」
シシーは、部屋を見渡している。確かにこの部屋は、客間の一番いい部屋で、家族一丸となって準備した自慢の部屋だ。シシーを優しく見つめながら、落ち着かせるようにエドガーは言った。
「君は、三顧の礼で迎えた人だ。私たちの家庭教師をしてくれた女性もここを使っていた。同じ位置づけだと思ってくれたら」
「でも私は家庭教師ではなく、大奥様や奥様のお世話のために来たのです」
「いや、あなたは、大変貴重な医者の卵だ。医務室で働けるほどの力もある。それに、あなたほどの教養や知識があれば、あの人たちのいい刺激になる。だから、お願いした」
「それでも、他の使用人の方はどう思われるか……」
エドガーは、シシーがそんなことを気にするとは思っていなかった。エドガー自らが必死に準備する様子から、屋敷内の者でシシーを侍女とみなすものはいないのだけれど、そんなことは言えない。
「それは気にしないでほしい」
「でも、侯爵夫人や閣下にまでご迷惑がかかるのではと……」
エドガーは、シシーを見くびっていたと反省する。シシーは、自分には無頓着がすぎるところがあるけれど、周りのことを考えられない人ではない。
「あなたなら期待に応えてくれると信じているよ。まずは、朝イチ、祖母を叩き起こし、衣装替えの手伝いをしてから、散歩に連れ出してほしいんだ。私がいないとすぐにサボるし、周りも甘やかすから困っている」
健康のため、深窓の夫人や令嬢たちも適度な運動が推奨されて久しい。しかも、エドガーは騎士団長なので、身体を鍛えることこそ正義と考えていた。
「朝が早くて、よく動くあなたにぴったりの役目だろう。あとは、学校から帰ってきたら、話し相手になってくれると本当に助かる」
エドガーは自らの説得力に驚いていた。シシーは、真摯に肯きながら納得してくれたので、彼はほっとした。
「見ての通り祖母は、大変そうだろう?」
シシーは首をゆるゆると振った。
「いいえ、とんでもない。すばらしいお祖母上様でいらっしゃると」
「ありがとう。でも驚いただろう?」
「いいえ、全然……かわいがってくれた母方の祖母が、ほんの少しだけど似ていて」
そう言いながら、鼻がつんとした自分にシシーは驚きながらも微笑んだ。シシーの母方の祖母が亡くなっていることに考えが及び、その鼻声に動揺したエドガーは、そうか、としか呟けなかった。
「……何だかとても楽しみになってきました」
「それはよかった」
エドガーもシシーもその言葉は心からのものだった。
凝り固まっている私を、変えてくれそうな方、とシシーはわくわくしていたし、エドガーも二人が仲良くなるのが予想できた。
(なんだか、懐かしいような、不思議な気分だわ……)
シシーの亡き母方の祖母は、気が強く、ずけずけと物を言う傾向があり、似たタイプの母と喧嘩ばかりしていた。
しかし、シシーのことは、初孫ということもあり、猫かわいがりしてくれた記憶しかない。二十歳になったらシシーの手に渡ることになっている信託遺産を遺してくれて、今も、シシーを守ってくれている大事な祖母。
祖母の膝に乗って、絵本を読んでもらった記憶がよみがえる。亡くなる前に、繰り返し、聞かされた言葉も。「いつか、シシーを大事にしてくれる人を見つけて、幸せになってほしい」という遺言。すっかり忘れていたその言葉を思い出し、シシーは動揺した。
「……私、張り切っていきますね!」
「それはありがたい。よろしく頼む」
エドガーが握手の手を差し出すと、シシーはためらうことなく、でも緩く、その手を握った。




