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20. 侯爵邸へ

 当日、エドガーはシシーを迎えにきた。何と、朝7時だ。


 まさかエドガー自ら迎えに来るとは思っていなかったシシーは、心底驚く。エドガーはさっさと小さな荷物をいくつか馬車に運ぶ。そして、豪華な侯爵家の馬車に、シシーをエスコートしようと手を差し出した。


 流れるような動き。シシーは思わずその手を取ってしまった。その手の一瞬の温もりに、エドガーは顔を赤らめる。


(とても侍女の迎えに思えないんだけど……侯爵家は名門だからかしら)


 何だかよくわからないうちに、シシーは馬車に乗っていた。こんな待遇は初めてだから、そわそわと落ち着かない。


「「本当によかった」」


 なぜかマチルダだけでなく後見人のデュラス伯爵夫人まで登場して見送ってくれた。それも不思議で仕方がないけれど、お礼しか言えない。


(……閣下もおばさまもマチルダさんも……おおげさすぎない?)


 ちなみにギャラントは、急遽(きゅうきょ)、遠方に出張になって不在なのだそうだ。


 斜め向かいに座ったエドガーは、初めて二人きりになれたことにも、屋敷におびきよせる、否、呼び寄せることができたことにも、胸がいっぱいだった。

 

 これからはいつでも会えるのだと思うと、窓に頬杖(ほおづえ)つきながらリラックスしてシシーを鑑賞できた。


(いくら見ても飽きないな……がんばるぞ!)


 激しく燃やす闘志をおくびにも出さず、エドガーは余裕たっぷりの大人の表情で、おだやかに家族の話を聞かせた。


「……祖母はね、私の父が小さなころ、自分の演奏会に連れて行ったはいいけれど、楽屋(がくや)に置いたまま帰ってきたものだから、曾祖母に叱られてね」


 エドガーが話しかけたので、シシーは顔を上げた。


「ご自分のお仕事のことで頭がいっぱいだったんですね」

「美食家でもあってね。祖母が見つけたうちの料理長は本当に腕がいいんだ」

「いいですね!」


 シシーは目を輝かせる。話が合いそうだ。


「小柄なんだが、今も昔もよく食べる人でね、王宮の舞踏会ですら、全種類試していたよ。あまりにもさりげないから家族以外誰も気づかないんだ。凄腕(すごうで)だよ」

「そんな噂は、聞いたことありませんでした。職業婦人の(かがみ)()侯爵の最愛の奥様、ということしか」


 エドガーはシシーに目を細めながら、優しく言った。


「周りを振り回してばかりだけど、自慢の祖母だ。きっと君を気に入ると思うよ。仲良くしてもらえたらうれしい」

「まあ、恐縮ですわ、閣下」


 エドガーが時を忘れてシシーを見つめるうちに、王都内で最も美しいタウンハウスと名高い侯爵家にたどり着いた。シシーは目を()いている。エドガーは誇らしい気持ちで、シシーに顔を寄せて言った。


「ここが我が家だよ」

「き、きれい……」


 目の前にそびえたつ屋敷は、予想以上に美しく、荘厳で王宮にひけをとらなかった。芸術品のようなたたずまいは、歴史や格式の高さも感じさせた。昔、訪問したことがある貴族の屋敷の中でも別格だ。


 門兵が頭をさげながらうやうやしく門を開くと、玄関に向かって、すばらしい庭園が広がっていた。


 エドガーにまたうやうやしく手を取られ、馬車を降り立ったとき、エドガーはシシーの目をのぞきこみ、ようこそ、とささやく。シシーは魅入られたようにエドガーをぼんやりと見つめ返す。


 ちょうどそのとき、玄関の扉が大きな音を立てて開かれた。


「まあ、あなたがエドガーの……」


 感無量の面持ちで、年齢不詳の女性が出てきた。燃えるような赤い髪、と吊り上がり気味の瞳。うわさに聞くエドガーの祖母、()侯爵夫人だとわかった。


 その後ろから、慌てて引き留めようとしているのは、今やおなじみ、侯爵夫人。ダリアもいる。


 いいところを邪魔されたエドガーは、唇をかみしめた。そして、()侯爵夫人がこれ以上何か余計なことを言う前に、()侯爵夫人とシシーの間に立ちはだかる。


「おばあさま、お久しぶりでございます」


 エドガーは『余計なことを言うな』とばかりに圧をこめて挨拶をし、力強く抱きしめた。()侯爵夫人が小さくうめく。


 背の低い()侯爵夫人はシシーから全く見えなくなったけれど、シシーは仲の良い祖母と孫の久々の再会だと感動していた。


 侯爵夫人が咳払いをする。エドガーは()侯爵夫人を素っ気なく離すと、シシーの方を向き丁寧に紹介した。


「祖母だ」

「お目にかかれて光栄でございます。ヴァランシー・マインドスケープです」 


「まあ、どうぞよろしくね。あなたが、エドガーのおよ……」

「シシーさん、よく来て下さったわ。楽しみにしていたの。これからよろしくね」


 侯爵夫人が(かん)高い声で遮ると同時に、エドガーは強めの声を出した。


「執事たちを紹介しよう」


 ホールの両脇には、使用人らしき人々が並んでいた。執事らしき初老の男性が、一歩前に出て腰を折って挨拶をする。 


 アーサーと名乗った彼は、若い頃から侯爵家に仕えているらしい。彼自身の風貌も所作もあまりに上品なので、貴族の出なんだろうと、シシーは思った。


「今日から、母たちの手伝いをしてくれることになった、ヴァランシー・マインドスケープ子爵令嬢だ。みんな、宜しく頼む」


 次期当主らしく威厳のある声でエドガーが言うと、一同、美しく頭を下げた。


「シシーさんにまずはお部屋をご案内してあげて。シシーさん、何か足りないものがあったら、遠慮なく言ってね」


 侯爵夫人は、エドガーに有無をいわさぬ口調で言いつけた。

 

 エドガーはうろたえる。そして、エスコートしたいがそれでいいのかたっぷり三秒悩んだ末、シシーの立場を思い出し、苦虫をつぶしたような顔であきらめた。


 仕方なくシシーについてくるように言うと、シシーがしずしずと後ろに続いた。慌てた()侯爵夫人が声をかけた。


「落ち着いたらお茶にするから、降りてきてね!」


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