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2. あなたの寝ている間に

 シシーは、医務室の前に乗りつけた。けれど、スクーターを降りるとき、彼をうっかり振り落としてしまった。


 うめきながら目を開けた彼は、『すまない……』とつぶやいた。シシーがまたおんぶしようとすると、彼は首を振りながらうずくまってしまった。


 シシーは、医務室の前で叫ぶ。すると、医師のリリアが出てきて叫んだ。


「どうしたの!?」

「た、倒れていて!」

「オルレアン騎士団長閣下!」


 またリリアは叫んだ。


「え?」


 シシーは少しだけ驚いて聞いた。

 

 リリアが目をみはった。


(まさか、この天然鈍感娘は、麗しの『冷血騎士団長』様を知らないの!? うそでしょ!)


 しかし、有能なリリアは、すぐに彼の腕を肩に回した。シシーは必死に彼を支えようとしていたけれど、彼の体のほとんどは地面に放られていたのだ。


「倒れるところに通りかかったんです。胃じゃないかってご自分でおっしゃっていました。頭もけがしていないし、私もそう思います」

 

 シシーも必死に支えながら説明する。リリアと二人で彼をベッドに運び込んだ。横たわらせると、彼は動かなくなった。ひどい脂汗(あぶらあせ)(ひたい)ににじんでいた。

 

 リリアが診察をはじめた。彼女が赤く染まったシャツのボタンをはずし、胸をはだけさせる。彼は目を閉じたまま動かない。


 男性の身体を見慣れた二人から見ても美しく、立派な身体だったけれど、(まゆ)ひとつ動かさない。リリアは余裕がなかったから。そして、シシーは興味がないからだ。


「そうね、心音に異常なし。頭もたしかに打ってない。胃腸を何日かかけて検査することになるわね」

 

 そこでシシーは我に返った。()け時計を見ると、バイト開始まであと一分。非常にまずい。


「行かなくちゃ。というか、配送室に連絡しておいて下さい。お願いします」


 医務室には連絡のための魔道具がある。あとは任せたと、シシーはそのオルレアン騎士団長を見向きもせず、扉を開けて口笛を吹いた。


「ちょっと! シシー!」

「あとで寄りますから!」


 しかし、シシーは、夕方勤務のために再び医務室に来ても、オルレアン騎士団長のことを思い出さなかった。


 前期の成績が学年で主席だったのだ。入学したときは四位、昨年は次席だったから、飛び上がるほどうれしかったのだ。


 悲願の主席。朝の疲労感は何だったのかというほど力があふれていた。


「やった! まだまだがんばれる」

 

 ひとり言を言いながら、シシーは(こぶし)を天に突き上げた。


「やあ。成績出た?」

 

 今日の遅番の医師、アレクシス・ヒールダーが顔をのぞかせた。彼は、名門の伯爵家の三男で、医務室の所長だ。いつもとちがって、長めの銀髪を今日は後ろに撫でつけ、秀麗な顔立ちがさらに際立っている。


「はい! ついに主席でした」

 

 国内外で教鞭(きょうべん)も取っている当代一の医師であるアレクシスをシシーは尊敬していた。


 その彼が気にかけてくれていたのがうれしくて、つい大声になってしまったけれど、彼は笑いながら祝福してくれた。


「そういえば、シシー。君、オルレアン騎士団長を背負ってきたんだって?」

 

 医学界の若き俊英(しゅんえい)なのに気さくなアレクシスが、からかってくる。


 シシーはすっかり忘れていたので焦ったけれど、キリッと表情を作った。


「倒れていらしたので。検査、どうでしたか?」


「うん、まだ全部の検査終わってないんだ。国の英雄だからね、陛下から直々(じきじき)に検査をご指示をいただいた。しかも彼は、私の幼馴染(おさななじみ)で友人。彼の父上は副宰相で私の上司にあたる。ついでに私の母と彼の母は昔からの友人で……」


「大事ないとよいですね」

 

 シシーは上の空で答えた。


「大事はないけど、ちょっと入院は長くなるかな」


 アレクシスはまだにんまりしていたけれど、シシーは同僚からの声がけに笑顔で応じた。

 

 医務室は、静まり返っているか、ごった返しているか極端なところだ。王宮で最も古く、最も強固な(とう)の一階のほとんどを占めているのだけれど、王宮の中枢(ちゅうすう)にある。天災、戦争、どんな非常事態にも耐えられる場所にと、初代の賢王がここに設置したらしい。


 この賢王は、大病には呪術(じゅじゅつ)にすがるしかなかった時代に、なぜか医学に力を入れたおかげで、治る病が増えた。シシーの通う医学校には、外国から留学生が来るほどだ。


「今日はやけに忙しいな」


 訓練中にやや深めの傷を負った騎士がかつぎこまれたり、高熱で倒れた文官、果ては王女殿下の侍女が火傷で駆けこんできたりもした。だから、対応に追われ、気づいたらもう二十時すぎだった。


「すまない、夕食とる暇がなくて。売店から取り寄せよう。一緒に食べないか?」

「いえ、お気遣(きづか)いなく、お願いします」


 大食堂の夕食は、二十時まで。苦学生のシシーにとって、栄養満点でボリューミーな定食は、タダで食べられるから命綱(いのちづな)だった。


 しかもかなり美味なので、一日の最大の楽しみ。そんな夕食を逃したのは痛かったけれど、やせ我慢した。ちなみに門兵のおじさんのお弁当はお昼ありがたくいただいた。


「いやいや、そういうわけにいかない」

 

 察しがいいアレクシスが魔道具で売店に連絡するのをシシーはにんまりと聞いていた。今日はおいしいものがたくさん食べられてとても幸運だ。


「すね肉のビーフシチュー、温かい白パン、サラダ。医務室にツケといて。あとデザートは今日あるものの全部盛りを。支払いは私で」

  

 注文を終えたアレクシスは、『デザートは君の主席祝いさ』とウィンクした。 


「ありがとうございます!」

 

 シシーは恐縮しながらもにっこりする。心の中でそっと手を合わせた。私って、本当に恵まれている、と。


「エドガーの母上がさっき見えて、シシーに直接お礼を伝えたい、お礼をしたいと涙を流しながらおっしゃっていたよ。くれぐれもよろしくとのことだった」

「そんな大げさな」

 

 シシーはおどろいていた。


「そんなことはない。君はすばらしい働きをしてくれたんだから。リリアに聞いたけど、君、あの有名人『冷血騎士団長』を知らなかったんだって?」

「いえ、そのご高名は存じ上げていましたよ」

 

 デザートを味わいながらシシーは言った。

 

 オルレアン騎士団長が二年前、辺境伯が起こしかけた内乱を早期に収めたということも、若き英雄だということも知っていた。『冷血騎士団長』という二つ名は知らなかったけれど。女子ならだれでも騒ぎそうな男前なのも知らなかったけれど、雲の上の人だと思うだけだった。


「そうだ。大変な男前だろう。しかも、名門オルレアン侯爵家の後継で、父上は副宰相、母上は現王の姪御さまだ」

 

 シシーは、貴族令嬢としての常識、我が国の王家と貴族家の系図を思い浮かべた。


「そうでしたね、陛下の妹姫様の忘れ形見」

 

 現王が、ことのほか妹姫を大事にされていたことは有名だった。確か、亡き前王が家族に手をあげていたのは公然の秘密だったので、かばいあい、支え合って生きた兄妹だった。


 妹姫がご降嫁されるときは、父親代わりに教会で手を引かれたというし、不治の病に倒れたときには、お忍びで何度も見舞いに訪れ、亡くなられたときには人目も憚らず慟哭(どうこく)された……そんな話が下々の者にまで伝わっていた。


 王族や貴族の墓石には、故人に深い縁のある者たちの追悼の句が彫られる。

 妹姫の場合、そこには現王も句を寄せている。王が句を寄せるのは、両親と王妃、子どもに限られていて、極めて異例だ。そのため、観光名所にさえなっている。


『愛する妹よ、決して()せることはない思い出に心からの感謝を。また会おう。兄より』


 シシーはそ見たことはないが、初めて耳にしたときは涙を流した。今も思い出すだけで泣きそうだ。


(泣くしかない……)


 初代王の再来とあがめられ、冷徹な賢王(けんおう)として名高い現王の、唯一伝わる人間味あふれるエピソードだ。


 『最愛の妹の忘れ形見(がたみ)』であるオルレアン侯爵夫人は、現王にとって娘も同然だそうだ。

 まだ少女だった頃の侯爵夫人を、評判の良くない隣国の王子が見染(みそ)め、求婚した時の騒ぎも語り草だ。猛反対した現王は、賛成した議会と衝突した。亡き妹への愛が深すぎる。 シシーはゴシップ好きではなかったけれど、その話は大好きで、激しく共感していた。


(愛が重すぎる! でも、わかりますよ! かわいいよね、弟妹は)


 とはいえ、遠い世界の話として、聞くのはよい美談にすぎない。そんな高貴な方と接点を持つ気はなかった。


「身に余りますから。お気持ちだけでとお伝えください」

 

 幼少時から両親が亡くなるまでは、令嬢としての教育を受けた。しかし、経済的事情からデビュタントも見送った身だ。習ったマナーを使ったことはないし、使う余裕もない。平たく言うと面倒だった。


(あの方、『冷血騎士団長』という感じではなかったけど。でも、高貴なお方と関わっていいことなんてないわ)

 

 シシーは仮にも貴族令嬢、裕福な高位貴族は遠縁にいるけれど、いざというとき頼れるのは自分だけ、家族だけだと身に染みているのだ。


「まあ、そう言うな。私は、本人ともご両親とも深いかかわりがあって、家族ぐるみの関係だ。侯爵夫人は、国立医学校にも今日お礼に行かれるとか。侯爵夫人は君のご両親のことを覚えていらした。君だって、れっきとした子爵家の令嬢で……」


 シシーはと言うと、アレクシスとオルレアン騎士団長の顔立ちの麗しさから、高位貴族の顔面偏差値の高さに思いをはせていた。医学を志す身として、遺伝には興味があった。

 

 たしか、アレクシスのお母上は、社交界の花だと持てはやされた方。お父上だって美形に違いない。アレクシスも美人と結婚するだろう。美形が生まれるループが続いていく。


(不公平だなあ……。もし私が大変な美人だったならどうかしら)


 お忍びで来たどっかの王子様に見そめられて結婚! 私の実家に援助してくれるはずで、私は働かなくても良くなる……。

 

(いや、でも。ちょっと待って。本当にそうなの? 玉の輿には苦労はつきものと言うわよ)


 厳しい妃教育責め、自由のない生活。実は仕事のできない王子様の代わりに公務を押し付けられ、毎日睡眠不足。少しでも粗相(そそう)があれば王妃から厳しく叱責。味方はいなくて、待つのは孤独な過労死だ。

 

 もしくは、懐妊できずに孤立、王子様は側室を迎える。そして側室が嫡子(ちゃくし)を産んだあかつきには、離縁され修道院に送られてしまう。


(どっちに転んでも、巻き添えで最愛の弟は転落しそう。最悪だわ。それだけは勘弁してほしい)

 

 シシーが玉の輿に野望を抱いたのは、わずか二秒だった。


(そんなリスクおかさなくても、あと三か月経てば二十歳よ! 信託財産がもらえるわ!)


 シシーの亡き母方の祖母は、二十歳になったら受け取れる財産を(のこ)してくれた。さらに一年後、医師の資格を得たら、社会的にも経済的にも高い地位を得られる。才がある上に、努力を惜しまない彼女には、約束された将来だった。


(うふふふ、高い給料だってもらえるようになる! 待ちきれないわ!)


 彼女は、広めのアパートを借りて、弟を王都に呼び寄せるつもりだった。そして、今までできなかった楽しいこと、例えば、友人と過ごす楽しい休日などもひそかに夢見ていた。


(ちょっと待って。恋くらいしないと話のネタがないのかな。青春、そう失われた青春を取り戻すのだ。間もなく二十歳、結婚適齢期だけど、そんなの関係ないじゃない?)

 

 シシーの幸せな結婚を望んでいる叔父夫婦の顔を思い出して、眉を下げる。


(重めな恋とか愛とか……しがらみだらけの結婚もいらないわ。弟の成長を近くで見守れる平穏な生活と、仕事があれば十分なの)

 

 シシーは、弟が貴族学院を卒業したら、一緒に故郷へ帰って、故郷では開業医をしながら弟を支えて生きていくつもりだった。


(手堅くいくわよ)


「こら、シシー。人の話聞いてるのか?」

 

 シシーは微笑みながら肯いた。


「断れる話でもないでしょうし、勤務時間内ならすぐお話も終わるだろうから別にいいですよ」


 シシーは考え事をしながらも、人の話はちゃんと聞いている。


「エドガーの方も、落ち着いたら君に会いたがるはずだ。君のことをしきりに気にして、リリアに色々聞いていたそうだ」


 アレクシスはにんまりしながら、コーヒーを飲み干す。そして、シシーに聞こえない声でつぶやいた。


「おもしろいことになるかもしれないな」


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