19. そして外堀は消えた
エドガーは、優秀で、仕事が早い男だった。その彼が、猛烈にがんばって、あっという間にシシーを侯爵邸に迎える準備を終えた。
何と、その日のうちに、配送室と話をつけようと直々に赴いていた。突然登場した騎士団長に肝を冷やしながらも、配送室の担当者は、『シシーさんに辞められたら、本当に困る』と泣いた。すると、エドガーは、何と、実家の侍女に、給料上乗せするからと話をつけてきた。
並行して、侯爵夫人とダリアと一緒に、シシーの部屋の準備。
侯爵夫人はシシーの下宿を訪問し、マチルダに事情を話して、シシーのことを聞き出した。好きな色や好きな服など。
シシーの好みを把握すると、エドガーはダリアと百貨店に出かけたり、侯爵邸に商人を呼んだりする。
日当たりが良く、最も眺めがいい客間の一つをシシーに割り当て、そこの改装を手配した。そして、身の回りの品も揃えていく。
上質だけど、シンプルで落ち着いたトーンの部屋がよいだろうということで、壁と絨毯は、シシーの好きなクリーム色にして、ラグやカーテンはピンクの花柄で華やかなものを揃いで買い求めた。
『ベッドは天蓋付きのいいものを買っておきましょう。結婚しても、一人で寝たい時ってあるから』という侯爵夫人の主張で、ベッドまで買い足された。
最後に、シシーの好きなクリーム色や紺色のドレスを数着クローゼットに揃えた。侯爵夫人の目測によるサイズだったので、五着のみ。
一方で、エドガーは、シシーの後見人である、ギャラントの母デュラス伯爵夫人と、シシーの実家で領主代行を務める叔父夫妻にも話をつけていた。
正式な面会申込みを経て、エドガーは何と、騎士の正装でデュラス伯爵邸に現れた。そのため、デュラス伯爵夫妻は、一目でエドガーの本気度を察した。しかし、身分が上のエドガーではあっても、釘を刺す。
「後見人としては、シシーに警告を与えるべきなのか悩むところです」
「……そうしていただいても構いません」
社交界で二人は噂になっている。そんな中、シシーが侯爵家に住み込みで働くのは、傍から見ると、花嫁修業としか見えない。
万が一、エドガーの気が変わったら、シシーには二度とまともな縁談は来ないだろう。伯爵夫人は、目上のエドガーに、ずけずけと物を言った。
「閣下が無責任なことをなさるとは思っておりません。けれど、社交界でもギャラントからも噂を聞いておりまして。とても心配しておりますの。シシーは、亡き親友の忘れ形見ですの」
「……申し訳ありません。もっと早くご説明に伺うべきでした」
「……今日は正式な求婚前の挨拶と思っていいのですわね? 閣下に、シシーをお任せしてもいいということですわね?」
「もちろんです。折りを見て、正式に求婚いたします」
エドガーは、一度求婚をし、スルーされてしまったことまで隠さず話した。肝を冷やした伯爵夫妻は、遠い目になった。伯爵夫人は、眉を下げ、魂が抜かれたような表情になった。
(シシーよ…………。さすがだわ……。閣下に申し訳がなさすぎるわ。しかし、閣下は、なりふり構わずね……お気の毒に……)
「シシーは、ああ見えて、避けたい相手は見事に避ける子ですの。閣下には、相当隙を見せているとお見受けしました。あの子が二人きりでカフェで会うこと自体がありえなかったことなのです。ご両親が亡くなった後、親戚に受けた仕打ちから、高位貴族には警戒心も強いですし……」
「……そうなのですね」
伯爵夫人は、一瞬迷ったあと、マインドスケープ子爵夫妻が亡くなった後、子爵夫人の実家が、非常に冷淡だったことを話した。
「シシーはとても苦労したので、幸せになってほしいのです。……色々と……ど、いえ、大変な子ではありますけど、とってもいい娘ですのでよろしくお願いします」
デュラス伯爵夫人は涙ながらに頭を下げた。
一方、シシーの叔父が領主代行を務めるマインドスケープ子爵家には、何と、エドガーは単身で、高価な転移魔法で訪れていた。
シシーの叔父夫妻は、社交界での二人の噂を何も知らなかったし、勉強もバイトも仕送りも頑張ってくれているシシーに全幅の信頼を置いていた。
デュラス伯爵夫人ほど察しはよくなかったけれど、エドガーは誠意をもって、ことのいきさつや自分の気持ちを説明し、求婚する許可をお願いした。そして、スムーズに、全面的に賛成してもらえた。
◆◆◆
一方シシーは、一晩眠ると、のほほんとしていた。長々悩んでいられないたちなのだ。
(王家の血を引く侯爵夫人の侍女となると、教養もマナーも高いレベルで要求されるわよね……私みたいな『なんちゃって令嬢』じゃ無理なのではない? でも、閣下の気が変わるか、侯爵夫人が難色を示すこともあり得るのだから、考えてもしかたない)
しかし、エドガーが求婚改め、職を斡旋してからわずか五日後に、シシーが下宿を引き払うことが決まった。
使いから知らされた日取りのあまりの早さに、いくらシシーでも疑問を抱いた。
しかし、シシーが、騎士団長室へ伝言や手紙を何度託そうとも、『人手が足りなくて困っているからよろしく頼む』という伝言が戻ってくるだけ。シシーの気が変わることを恐れたエドガーは逃げていた。
思い余ったシシーは、一度、騎士団長室を訪ねても見たけれど、エドガーは不在だった。
「最近、外出続きでこちらにはほとんどおいでになりません」
ちょうど居合わせた副団長が、苦々しい顔で教えてくれた。エドガーはシシーを実家に迎え入れるための準備に奔走しているからだとは、シシーは夢にも思わない。
こうして、外堀は完全に埋め立てられ、外堀など跡形もなくなっていることに気が付いていないのは、シシーだけだった。
(こんなに急ぐからには、侯爵家は、人手不足で困っているのよね……。私で務まるのかしら? 役不足だって追い出されたらどうしよう)
一人だけ見当違いの方向に不安を抱えながら、シシーはその日を迎えた。




