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17. 決死の求婚

 運命の日、エドガーはいつもより丁寧に髪をなでつけた。


 開門と同時に王宮に姿を見せた騎士団長に、すれ違う人々は『有事か!?』とぎょっとしている。颯爽(さっそう)と配送室につくと、前のベンチに座った彼に、誰も何も聞けない。


 それは、出勤してきたシシーも同様で、あいさつするのがやっとだった。


 エドガーは、深みと威厳のある声で言った。

 

「あなたに話したいことがある。今日、少々お時間をいただきたい」 


 いつも無表情なエドガーが、気合を入れて優雅に微笑む。


「閣下、今、大丈夫なのですが」

「……いや、三十分ほどでいい。相談があるんだ……家族のことで。公園かカフェでどうだろう」

「お忙しい閣下に合わせると言いたいところなのですが……学校終わって、十六時から医務室に出勤する間でしたら」


 シシーは戸惑いを隠しながら、丁重に答えた。


「では、学校の近くのステファン・ド・ブルボンというカフェの個室で待っていていいだろうか」


 優秀な彼は、カフェの個室をザッと五店も予約していた。

 

「承知いたしました、閣下」


 エドガーはたしかに『閣下』と呼ばれる身分だ。でも、シシーから、そう呼ばれるたび、年寄り扱いされている気がするし、距離を置かれている気がして、気が滅入(めい)る。


(必ずファーストネームで呼んでもらうようになるぞ! 呼び捨てでいい。エドガーって呼んでくれ! ……誰も呼ばない呼び名でもいいな、エド、とかいいんじゃないか)


 その日、いつも二十一時すぎまで団長室で執務にあたるエドガーは、十五時過ぎにそわそわと帰った。見送る副官たちは驚く。


 そして、約束の時間の二十分前には、エドガーはカフェの個室にいた。


 入り口からすぐの階段で特別個室に行けるのだけれど、精悍(せいかん)な騎士服姿の彼は、輝かしく目立った。美形の貴族に見慣れた店員たちをもざわつかせる。


 エドガーが席につくとすぐ、シシーが現れた。彼女は、いつか見た紺の制服に白いカーディガンをはおっていた。いつものようにエドガーは見とれた。


 それでも、『少しドアをあけておいて』と言うのは忘れない。未婚の男女が密室にふたりきりになるわけにいかないから。


(かわいいな……)

 

 エドガーは、向かいに座ったシシーのかわいらしさに舞い上がっていた。遠慮するシシーを押し切って、五種類ものケーキを注文した。そして、おいしそうにケーキをほおばる彼女を満足げにながめる。


 エドガーは気合いで重い口を開いた。


「シシー嬢、多忙な中すまない。時間をとってくれて心から感謝する」


 エドガーは頭を下げた。


「閣下。恐れ多いことです。閣下は国を救った英雄であらせられます。私なぞにできることなどあるとはとても思えないのですが、何なりとお申し付けくださればよいのです」


 シシーは真摯(しんし)なまなざしでエドガーと目を合わせ、微笑んだ。

 そして、エドガーの言葉を待つけれど、彼は彼女の花のような笑顔に固まってしまった。呼吸さえ忘れ、エドガーは見とれていた。


(まずい。言葉が出てこない。この求婚者殺しめ! ……ああ、美しい)


 こんなに長いあいだ、シシーを正面から見つめることができるのは初めてだった。淡い金髪、薄紫の瞳に、白くてすべらかな肌、全てが繊細だ。いつまでも見つめていたい。


 エドガーの視線に熱がこもる。その視線におびえたように、シシーの笑顔はこわばってしまった。ようやく我に返ったエドガーは、口を開こうとした。


「妹様のことですか? 侯爵夫人からも……」


 シシーが問いかけると、エドガーは髪をかき上げながら大きな声で遮った。


「たしかに妹とは仲良くしてもらいたい。母はあなたと親しくなりがたっているし、祖母や父もそう考えるだろう」

「祖母様と言えばかの有名な」


 シシーは声をはずませた。エドガーの祖母は、シシーですら知る有名人だ。職業婦人の先駆者というだけでなく、侯爵との大恋愛話は、女性の憧れだった。シシーはもちろん、職業婦人という部分に憧れている。


「今日、帰国してくるそうだ」

「いちおう医師の卵の私に相談、ということは、何かご持病でも?」

「祖母なら健康で、元気がありあまっている。祖母のことではない」


 エドガーが、目をおさえながら息を吐くと、慌ててシシーが声を上げた。


「あ、閣下。申し訳ありません。お話をさえぎってしまいました」


 何度出鼻(でばな)をくじかれても、引き下がる気のないエドガーは、彼女をまっすぐ見つめた。


「シシー嬢。聞いてほしい。あなたがご実家のことや、勉強で精一杯なのはわかっているのだが……私と生活することを考えてみてはもらえないだろうか」

「? 生活を? えーっと、それは、侯爵家の侍女になるということでしょうか?」


 シシーは問いかけた。 全くわけがわからない。


「違う、そうではなくて、私の夫人としてだ」


 いつのまにか、エドガーは緊張のあまり、完全な無表情になってしまっていた。重要な会議や危険な任務のとき、敵や部下をおびえさせてきた、氷のような雰囲気までまとって。


 そのせいでシシーは、石になった。目をそらせないので、エドガーの視線を受け止めるしかない。


(…………いま、閣下は何とおっしゃった? フジンって、奥さん? まさか。ど、どうしよう。こ、怖い。何でこんなに怖いの? だめよ、怖いなんて思ったら! でも……怖くて聞き返せないわ)


 エドガーは、混乱しまくるシシーに気が付かないままだ。彼自身、緊張はピークに達していた。


「えっと。その……」

「妻だ」


 シシーは青ざめていたのに、みるみるうちに真っ赤になる。


 二人の視線がからむ。催眠術にかかったように、シシーはエドガーを見つめ返すだけで、言葉が出てこない。


(閣下のようなお方が私なんかに求婚? いやいやいやいやいや、そんなばかな)


「私だと駄目だろうか」


 シシーが、初めて自分を異性として意識してくれたような気がして、エドガーは、落ち着きと自信を取り戻した。すると、視線もやわらぎ、熱と甘さだけがこもる。シシーの目をさらにのぞきこんだ。


 そうなると、無敵に魅惑的なエドガーなのだけれど、怯えていたシシーは、突然変わったエドガーについていけない。シシーにはなぜかわからないけれど、心臓がばくばくと鳴り、痛いくらいだった。


「いえ、そんな。めっそうもない。でも、ま、まさか」


 シシーは、必死になってやっと、エドガーの視線から逃れ、うつむきながら答えた。


「まさか。私はそんなにひまではないよ」  


 エドガーは正式な求婚の姿勢、つまり、席を立ってシシーの足元にひざまずくため席を立とうとした。でも、シシーにはその意図はわからず、身をこわばらせた。


「ええと……。それは、なぜでしょうか?」


「……。私は今まで結婚する気がなかったんだが、あなたに会って気が変わった。あなたは好ましい女性だ」


(どこがどう好ましいのかしら? 何か閣下の利になることがあるのかな)


 シシーは眉を下げながら、あれこれ考えていた。


(……それとも、何か深い理由があるのかもしれない。今流行りの恋愛小説が学校で回ってきて、ぱらぱら読んだけど、契約結婚の話だった。もしかして、私と契約結婚なさりたいのかしら? いや、助けた時におんぶしたことを口外(こうがい)されたくないとか? 医者が家にいたら便利ということかしら?)


 貴族の求婚は、感情的なものは軽蔑されるけれど、シシーに対しては、『好ましい』という形容詞ではなく、『好きだ』と自分の感情を素直に告白し、彼女の心に訴えるべきだった。エドガーがそれに気づくのは当分先になる。

 

「侯爵夫人は、閣下の理想が高くどんな縁談に見向きもされないと」


 シシーは何か言わなければならないと思った。居心地が悪い。心臓のうるさい音も何とかしたかった。


「それはそうだが、全く関係ないことなんだ」

「閣下は、その、結婚する必要に駆られているのでしょうか? 気に染まぬ相手との結婚を迫られているとか?」

「……そうではない。私は」


 エドガーは片手で目を(おお)う。疲れた。話が通じる気がしない。眉を下げたままのシシーを見ていると情けなくなってくる。


(わかってはいたけど、ひたすら俺の片想いなんだな。というか、求婚もその意図もわかってもらえないのか。今日はもう逃げ出したい)


 どんな戦況であろうとも諦めたことのない英雄もかたなしだ。


(諦めるのか? いや、待て。そうはいかない!)


 エドガーは、オルレアン侯爵家の血に賭けて誓ったのだ。何がなんでも、ただ一人の想い人をモノにしてきた先祖たちにも。


(……落ち着け。今日のところは、一旦撤収し、体勢を建て直してから、再挑戦だ。戦と同じだ)


 自分がひざまずくため、席を立ちかけたままの姿勢だったことを思い出す。歯を食いしばりながら、ゆっくりと腰を下ろすと、素晴らしい考えが突然浮かんだ。


(いや、やたら忙しいこの子は、次、いつ会えるかわからないんだ。接近するために、いつでも会えるようにするべきだ! 囲い込んでしまえ)


 エドガーは、腐っても輝かしい戦歴を誇る英雄で、強者揃いの騎士たちをたくみに指揮する策士なのだ。


(たくさん会って、コミュニケーションとれば、絶対に距離は縮まるというもの。母上もアレクシスもそう言っていた)


「そう、うちのタウンハウスで祖母や母の世話係をしてもらいたいんだ。母の腹心(ふくしん)の侍女が病気で里下がりしていて、困っているんだ。元々使用人は少なめだったから、大至急、人を探している」


 エドガーは何と、自分の乳母を重病人に仕立てあげた。実際は大した病ではなく、再来週には戻ってくる予定なのに。


「朝の配送の仕事は辞めてもらって、仕事は八時から十時と、土曜と日曜だけでいい、我が家で働いてもらえないだろうか。医務室の仕事なら減らすよう交渉しよう。食事と住まいはもちろん提供するし、給金は時給2000デル」


 食費と下宿代が浮く上に、勤務時間は半分になるのに給金は倍。破格の待遇だった。シシーは目をみはる。


「条件良すぎですわ、閣下。それにその……」

「家族は、なかなか手強い連中だし、要求水準も高い。私は仕事のため、タウンハウスには住めないし、家族から目を離さざるをえない。安心できる人を雇いたいんだ」


「配送室にも相談しませんと、何とも。それにご当主様を始め、ご家族の皆様は」

「配送室には私が話をつけよう。うちの家族は大歓迎だから」


「でも閣下、私では役不足かと。せっかくのお話ですが、申し訳あ」

「そういえばつい最近、パティシエを週三回雇ったんだ。首都でも三本の指に入る腕前なんだが、ジュディス・シュリニエール、知ってるかい?」

「この前、侯爵夫人がおみやげに下さったお店のパティシエですか?」


 突然のパティシエ話にシシーは目をぱちぱちさせる。 


「そうなのかな。もう十年以上前になるが、彼女が店を出す時に母がかなり支援したんだ。その彼女、出産してからは、店はほとんど人に任せていたんだが、子育てがひと段落ついて少しずつまた働くようになって」

「侯爵家でデザートを作っているんですか……?」


「そうだ。君はいつでも好きなだけ食べて良いし、何なら食べたいデザートをリクエストしたらいい」

「一流のパティシエがデザートを作る場を一度見てみたいとは思っておりました」


「教えてもらうこともできるよ」

「……」


「どうだろうか?」

「私でも良いとご家族の皆様が本当に言ってくださるのなら、お受けします」


 その後はエドガーはビジネスライクに話をまとめ、席を立つ。


「あの、さっきの……」

「何かな?」


 話を蒸し返されたくなかったエドガーは冷ややかに聞き返す。傷だらけの英雄は、一刻も早く立ち去りたかった。


「いえ、何でもありません」


 エドガーの様子にシシーはさっきの求婚はやはり自分の勘違いだと決め込み、微笑んだ。


 こうして、エドガーの人生初の、そして決死の求婚はなかったことになった。


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