16. 反省会(3回目)
エドガーは、その夜、激しい突き上げを母と妹から受けていた。
彼の妹のダリアは、シシーと同じまもなく二十歳。母と兄に生き写しだけども、大人しい性格だ。
しかし、今日は青筋を立てて、エドガーを責めていた。続いて、侯爵夫人もまくしたてる。エドガーは、うなだれて聞くしかできない。
それでも気が済まない侯爵夫人は、突然、爆弾を落とす。
「旦那様からシシー嬢の叔父上に求婚状を出すことにしました」
「何をおっしゃるのです、母上」
「あなたに任せていたら、私の一生が終わってしまうでしょ!」
「何事もご自分の意思を通す母上は、私より長生きするでしょうに」
最期の意地で、エドガーは皮肉を言った。
「エドガーも聞いたでしょう! あろうことか、あなたの前で、結婚しない宣言が出たのよ!」
◆◆◆
食事会のときのことだ。ほとんど話さないエドガーに苛立ちながらも、侯爵夫人は持ち前の社交性を発揮していた。
席にいたのは、エドガー、ダリア、シシーに侯爵夫人の四名。侯爵夫人とダリアの努力で、会話は盛り上がり、シシーは笑顔で楽しそうにしていた。
とはいえ、侯爵夫人とダリアがどれほど恋愛や結婚に話題を向けようとしても、そんな話にならない。侯爵夫人は首をかしげた。
それでも、シシーが少し気を許してくれたように感じられたので、侯爵夫人は話題を無理矢理そっちへ向けた。
「シシーさんのご両親は、大恋愛の末にご結婚されたのよね?」
「そうらしいです。そんな雰囲気はなかったから、聞いてびっくりしました―――」
遠い目をしながらシシーが口ごもる。
(え、恋愛結婚だと聞いていたし、結婚後も円満だと言う噂だったけど……ち、違うの!? し、質問を変えよう……)
動揺しながらも、侯爵夫人は仕切り直した。
「ご両親は、シシーさんの将来について、何とおっしゃってたのかしら?」
「母には『これからの時代、女も手に職をつけなさい』と厳命されていました―――」
さらに風向きが怪しいことを察知した侯爵夫人は、またまた話をそらす。
「……うちのダリアも、教師の免状あるから、貴族学院でたまに教えているのよ」
「! ダリア様は何を教えていらっしゃるのですか?」
シシーは感嘆しながら聞いた。
「非常勤で歴史を教えているの。本当は常勤がいいのだけど……」
「あなたが常勤になってしまうと、本当に職が必要な人の仕事を奪ってしまうことになるわ」
貴族の娘の職業の選択はあまりに狭い。芸術分野か医学・薬学しかないのに、非常に優秀でないと就けない。それに、家族に反対されることもよくある。
「シシーさんは、どうして医学校へ?」
興味津々といった感じでダリアはシシーに聞いた。
「母から、手に職をつけるよう言われていたのもありますけど、働く必要がありましたし、算数が得意で。勧められて」
「超難関なのにすごいですよね」
侯爵夫人もダリアも口をそろえる。エドガーも深く肯きながら、シシーを見ていた。
「いえ。本当は血が苦手なんですが……。できることをやるしかないという感じなのです」
「でも、理想とか、目標とかないと、大変なお仕事じゃないか?」
三人の話に肯くだけだったエドガーが、口をはさんできた。
「それが私にはなくって……。お恥ずかしい話、家計の足しになればいいなということくらいしか……」
シシーは言いよどんだけれど、エドガーは真摯に答えた。
「でも、あなたに救われた私や、これから救われる人たちにとっては、あなたが医師を志したことへ感謝しかない」
「まあ、閣下、もったいないお言葉でございます」
うつむきながらシシーは顔を赤らめた。でもすぐに顔を上げると、エドガーの目を見てお礼を言う。シシーの目は少しうるんでいるように見えた。
侯爵夫人とダリアは一転、心の中で拍手喝采、こぶしを握った。
((いいぞ! 褒め殺せ、もっと攻めろ、エドガー――――!))
しかし、エドガーの攻撃はその一回だけだった。目が合ったシシーの目がうるんでいたことに動揺すると同時に見とれてしまったのだ。
「「「「…………」」」」
沈黙を破って、またにしても口を開いたのは侯爵夫人だった。
「シシーさんはご卒業されたらどうするの?」
「はい! 王立病院で働きたいと思っています。ゆくゆくは、領地で病院を建てて……」
「「「そ、そうなの……!?」」」
エドガー、侯爵夫人、ダリアの三人はうろたえる。その様子にシシーは戸惑う。
(どうして、いつもみんなに驚かれてしまうのかしら……)
「け、結婚は、どうするのかしら?」
侯爵夫人は、すっかり打たれ強くなっていた。すぐに立ち直り、さも当たり前の質問だとばかりに聞いた。
「結婚、ですか」
「シシーさんもそろそろ婚約者を見つけてもよいお年頃でしょう? どんな方が好みなのかしら、たとえば……うちのエドガーなんか、どう思う?」
あわてたエドガーが口を挟もうとしたところ、シシーが答えた。
「私、結婚するつもりがなくて、考えたことがなかったんですが……遠い将来、弟が結婚して私が邪魔者になったころ、結婚するならば……人を騙したりしない人がよいです」
場が静まり返る。三人は、ついに飛び出した『結婚する気はないよ』発言に愕然とした。
アレクシスから聞いてはいたけれど、実際に聞くとインパクトがありすぎた。
(えっ、『エドガーはどう?』っていうのスルーされちゃったんだけど!)
(……弟はまだ五歳と言っていたわよね?)
(……………………答えになっていないんだが)
三人ともどこをどう突っ込めばよいかわからなかった。エドガーは悲壮な表情だ。それでも何とかダリアが口を開く。
「それは……何年後の話なのかしら? 本当にそんな先まで結婚するつもりがないのですか?」
「まあ、そうですね」
「人をだまさないとかは最低限の話で、そうじゃなくて、優しい人がいいとか、優秀な人がいいとか。うちのお兄様なんて、ほら、すごくいいお婿さん候補だと評判で……」
シシーは考える様子もなく、晴れやかに言った。
「とんでもございません! 私は持参金もないし、地味ですし、誰も相手にしませんよ」
黙っていた侯爵夫人は、今や痛ましそうにシシーを見つめている。ようやくおかしな空気に気づいたシシーは慌てた。
「申し訳ございません、聞き苦しいことを。どうしてこんな話になってしまったんでしょう。お恥ずかしいです。お忘れくださいませ」
(((違う、そこじゃない!!!)))
「シシーさん。あなたを愛してくれる、頼りがいのある男性が夫として守ってくれたら、それはそれは心強いものよ」
辛抱強く、侯爵夫人は言った。エドガーのことはさておき、使命感に駆られていたのだ。
しかし、心底申し訳なさそうな顔のシシーにはなす術もなかった。
◆◆◆
侯爵夫人はため息をつきながらあれこれ思い起こすと、しょんぼりするエドガーをビシッと指差して言った。
「あなた、だからずっと言っきたのよ! お付き合いか見合いくらいしなさいって。場数が足りないのよ」
「とんでもない難敵ですわね、お兄様」
ダリアがつぶやく。
「はあ」
「もういいわ! 明日シシー嬢に膝をついて求婚しなさい。イエスをもらうまでうちの敷居はまたがせないわ」
「母上、そんな無茶な。十分、急いで行動してますよ」
「あなたが周回遅れでやっとその気になったと言うのに、彼女の眼中にも入ってないのよ。これだけ撒き餌してるのにありえない」
すっかりうつむいてしまったエドガーにダリアまでもが容赦なく追い打ちをかける。
「私だったら、男性だけでなくその母親までもが接近してきたら、ピンときますわ。しかも少しでも気になる男性なら、自分からも行動します。本人の前で結婚しない宣言なんて絶対にしない」
もはや虫の息のエドガーはそれでも反論する。
「いや、しかし、お互いのことを知らなくては。彼女にはまず私のことを知ってもらわないとどうにもならないだろう」
たしかに今の時代、貴族間でも恋愛結婚が増えている。
まずは、十分な期間、友人として交流する。そして、結婚への意志が固まれば、短い恋人期間を経て、すぐ婚約をかわすのが一般的だ。だから、エドガーの言い分は間違いではない。
しかし、本当にほしい異性が出てきたら、みんながそんな余裕の行動をとるわけではない。
「あなた……そんな悠長な交際はお互いに気があるときだけよ!」
侯爵夫人は立ち上がって叫んだ。ダリアも目をむきながらなおも言う。
「そうですわ、お互い意識する場面で初めてお兄様みたいな悠長なことが言えるのです。そんな覚悟だと、このまま意識さえしてもらえないのではないかしら」
エドガーは、優しい妹がどうしてここまで言うのだと驚きの方が大きくなっていた。
ドアが薄く開き、すぐに音も立てずに閉まる。時間的に父が帰ってきたのだろうが逃げたようだ。
「ダリア、どうしたんだ?何かあったのか?」
ダリアは縁談が引も切らないが、長年憧れている年上の相手がいて―――。
ダリアはキッとエドガーをにらみつける。
「最近の男性はまわりくどいのが多すぎて、イライラするんですわ」
なるほどそういうことか、とエドガーは納得すると同時に目が覚める思いだった。
「明日よ、明日。求婚してオッケーもらえなかったら、明後日、旦那様自ら求婚状をマインドスケープに持ち込むわ」
「さすがに無茶ですわ、お母様。マインドスケープ子爵領に行くには馬車で二日はかかりますわ」
ダリアが言った。しかし、侯爵夫人は再び怪気炎をあげる。
「シシー嬢は勉強しすぎ働きすぎで、鈍くなってるだけなのよ。あんなに勤勉で穏やかなお嬢さんは他にはいないし、お嫁に来て欲しいのよ! 孫を抱きたいのよ! エドガー、膝をついて永遠の忠誠を誓ってきなさい」
「たしかに。お兄様がシシーさんを目覚めさせ、救う騎士になったらいいわ。ロマンチックだわ! 二人のお眼鏡にかなう令嬢なんて今後現れないわよ。いい男に強引に迫られて嫌な気になる女の子はいないわ。賭けてもいい」
「……何度も言いますが、今でも十分アプローチを……」
「お兄様、今のアプローチでよければとっくに婚約してますわ」
「ところで、エドガー。明日義母上がご帰国するって言ったかしら?」
「「おばあさまがご帰国!? 聞いてません!」」
ぎょっとしたエドガーとダリアが声を揃えた。
「私がシシー嬢のこと、手紙に書いたら『何それ! 超おもしろそう☆ すぐ帰ります』とお返事が来たのよ」
侯爵夫人の義母、つまり現侯爵の母は国際的に著名なピアニストで、数年前から隣国の学校で教鞭をとる破天荒な人物である。様々な国から招聘されることもあり、多忙で、タウンハウスにも侯爵領にもここ二年帰ってきていない。
彼女は、貧しい男爵家の次女だったけれど、優れたピアノの才能と自由奔放な性格に、生真面目な前侯爵はすっかり参り、何年も追いかけまわし、最後は拝み倒して妻として迎えたのだ。
「ああ、遺伝なのね、お兄様ったらお父様やおじいさまと同じパターン」
「そうなのよ、私も全然気が付かなったわ」
「義母上もそうおっしゃって。懐かしいわ、って」
「義父上も『私のことを知って欲しい』とアプローチなさったそうよ。義母上は『何で知らなきゃならないの?』と思われたそうよ」
一同、静まり返る。
こうして、エドガーは泣く泣く翌朝、シシーを配送室前で待ちぶせすることになってしまったのだ。




