12. フラワーケーキの誘惑
アレクシスは、約束を果たす男だった。
(エドガーとシシーが接近する機会……。うちの母上も、侯爵夫人から色々聞いているから協力してもらうか……)
機会はすぐにやってきた。
シシーは、医務室で勤務中だった。急に増えてきた風邪の患者をリリアと見終わると、消毒した器具を拭いていた。
「シシー、どうした、大丈夫かい?」
アレクシスが出勤してきたとき、シシーはぼんやりして、拭く手が止まっていた。
「え、大丈夫ですよ」
「風邪が流行ってるから気をつけないと。ただでさえ君は忙しすぎるのだから」
「そういえば、最近、学校はどう?」
リリアがペンを走らせていたカルテから顔をあげて聞いてきた。
「解剖学が始まって、すごく楽しいです!」
シシーが声を弾ませると、アレクシスとリリアは顔を引きつらせる。
「進路面談の時期よね? 卒業したらやっぱり王宮で働くの?」
リリアが聞いた。医学校を優等で卒業した場合、待遇のよい王宮もしくは王立病院で働くことができる。辞退者はまずいない。
「そうですね、一番給料がいい王立病院にしたいと思います」
「「やっぱりそこか」」
「弟君を呼び寄せるという話は本当?」
「はい。弟が学院を卒業したら、一緒に故郷に帰って地元で開院したいんです」
きっぱり告げるシシーに迷いはない。噂には聞いていたアレクシスも、よく事情を知らなかったリリアも盛大に顔を引きつらせる。
(おいおい、この頑固なお嬢さんに、誰か何か言ってやってくれよ。このままじゃエドガーが大失恋してしまう。見てられない)
リリアは神妙な面持ちになった。リリアとシシーは、職場であいさつと雑談をするくらいなので、プライベートな話をしたことがほとんどなかった。
「すばらしいけど、もったいないんじゃない? あなたは主席なのだから。王都で結婚するつもりはないの?」
タイムリーかつ、単刀直入な質問に、アレクシスは固唾を飲んで答えを待つ。
「ずっと王都で暮らすとか、こっちで結婚とか…… 考えたこともないです」
医学校の面談でも同じことを言われたばかりのシシーは、うんざりしていた。いつも朗らかなシシーの眉間にほんの少ししわが寄ったのを見たリリアは慌てた。
「うん、まあ、ゆっくり考えたらいいよね。ごめんね、立ち入ったこと聞いて」
「そ、そうだな。まだ卒業まで時間あるし。シシーは家族思いでえらいと思う」
リリアとアレクシスは早口でフォローしたけれど、シシーの表情は冴えない。リリアが優しく言う。
「ね、近々、時間ないかな、うちに寄らない? うちの料理人、すばらしいのよ。自慢の料理は、異国の煮込み料理と至高のフルーツパイよ。それともレストランテ・ピッタウラに行っちゃう?」
シシーは、急に空腹を感じ、ごくりと唾を飲み込む。レストランテ・ピッタウラは門兵のおじさんの奥さんがシェフを務める名店だ。ちょうど、超美味だったお弁当のお礼を言いたいと思っていた。
しかし、リリアは裕福な男爵家の娘だ。自慢の料理人とやらも、さぞ素晴らしい腕前だろう。異国の煮込み料理に至高のフルーツパイを想像しながら、シシーはもだえ悩んだ。
(両方がいいな……)
察しのいいアレクシスがシシーの顔をのぞきこみながら提案する。
「両方にしたらいいんじゃないか?」
ようやく微笑みながら、シシーが勢いよく答えた。
「はい、それでお願いします。まずは、おかみさんに用があるからピッタウラにします!」
「ピッタウラか、噂には聞いているが行ったことはないんだ。同席してもいいかい?」
「「え!」」
「迷惑そうだな」
アレクシスは苦笑する。
「違いますよ、ただ、きらきらしいアレクシス様がいると目立ちすぎます。ちょっと場違いと言うか……」
リリアが慌ててフォローすると、シシーも肯く。自信家のアレクシスは納得するも、ふと思いついたように手を叩いた。
「今度、うちに二人で来ないか? うちの母、新しい薔薇の育種に成功したんだ。これが外国の品評会で大変な評判になってね、ちょっとしたガーデンパーティを開くことになっているんだ。興味ないかい?」
アレクシスの母であるヒールダー伯爵夫人は、新種の薔薇を開発する育種家だ。庭のデザインを考えるガーデンデザイナーとしても有名だ。リリアの目の色が変わる。
「え、素敵です! かのヒールダー伯爵夫人の薔薇園を拝見できるんですか! 行きたいです!」
しかし、シシーの反応は鈍かった。薔薇にも興味がなかったし、伯爵家のガーデンパーティなど自分は場違いと思った。
そう、こんなとき、とっさに面倒くさそうと感じるのがシシーなのだ。
「シシー、知らないの? 新聞にも載っていたのよ」
「いえ、もちろん、ちらっと聞いたような気も…」
シシーの鈍い反応なぞ、はなから予想していたアレクシスはにんまりしながら言った。
「あ、うちの母は、食べられる花の育種もやっているんだ。だから、フラワーケーキなるものを客人にはいつもふるまんだ」
「何ですか、それは!」
大好きなハーブではなく、食べられる花の存在自体を知らなかったシシーは、飛び上がった。
「異国では結構あるんだ。デコレーションケーキに、薔薇の花の砂糖細工やクリームの飾りをつけたりするだろう、あれの本物の花バージョン。食べられるんだよ」
「お、おいしいんですか?!」
「見た目はもちろん、風味も素晴らしいよ。母は、花を使ったお茶もたくさん作っていて……」
「私も行きたいです!!」
シシーはすっかり乗り気になった。アレクシスは笑みを深めて日程を告げる。ちょうどシシーの放課後の時間帯で、アレクシスとシシーの勤務前の時間が空いている。リリアは休日だ。
アレクシスは、頭の中であっという間に段取りをつけていた。社交界で噂になっているエドガーとシシーが登場するので、エドガーを狙っていた令嬢が客として居合わせると大変なことになってしまうからだ。
(招待客リストには、問題ある奴はいなかったな。まだ招待状出していないし、もう一回よく見とこう。席順は全て見直すしかないな……。うちの家族もシシーに興味津々だから、協力してくれるだろう)
「シシーは何を着ていくの?」
遠慮がちにリリアが聞く。社交界のデビューを見送ったシシーが、伯爵家のガーデンパーティにふさわしいドレスを持っているかどうか心配だったからだ。
「そうですね……、4年くらい前に新調したドレスがあって。ちょっと古い型なんですが、とても気に入っているんです!」
シシーが胸を張って答えるので、二人は何も言わないことにした。シシーは、令嬢としての常識は怪しいけれど、礼儀作法は十分だと思っていたからだ。それでも、お化粧や髪結い、着付けと馬車については、リリアが手配することになった。
「完璧に仕上げてあげるわ!」
リリアが息まく。
(……思わずYESと言ってしまったけれど、最近何かとお誘いが多くて忙しいわ……。何でだろう……?)
シシーは、少し疲れを感じた。けれど、楽しみにする気持ちも確かに感じていた。




