11. 魔道具の贈りもの
エドガーは、29年間、女性に自分で贈り物を選んだことはなかった。
(シシー嬢をよく知らないから、何を買ったら良いかわからない。 母上やダリアみたいに、アクセサリーに興味や必要性があると思えないしな。親しくない男からもらうなんて、恐怖でしかないだろう)
花束は決定で、それにプラスアルファ。シシーが絶対に喜んでくれるお菓子は母が贈ってしまったから、次の機会にしようと決める。
(魔道具とかは!? 便利で、シシー嬢が幸せになれそうなもの。アレクシスから探りを入れてもらおう)
アレクシスに聞いたところ、シシーが欲しがっている魔道具がすぐわかった。
医務室のクリスマスパーティでのゲームの景品に自動パン焼き機があり、それを逃したシシーがひどく悔しがっていたというのだ。『あれさえあれば、朝の早起きも楽しくなるのに!』と嘆いていたとか。
(そんなもので幸せになれるのか、可愛い。いくらでも買ってやりたい)
早速、仕事帰りに百貨店に寄ることにした。ドアを開けると、焼き立てのパンの香りが漂ってくる。 店内を見回すと、様々なタイプ、型の自動パン焼き機があった。
エドガーは非常に目立った。
(わお、かっこいい。間違いなく高位貴族、そしてお金を持っていそう。けれど、入店するやいなや、眉間に皺を寄せながら吟味する様子からすると、とても面倒くさそうね)
店員たちは戸惑いと押し付け合いの眼差しを交わし合う。結局、エドガーに近寄ったのは、四十代の女性の責任者。彼女はぜひご試食をと応接セットに彼を案内し、焼きたてだというチョコレートパンを勧めた。
「これはどうやって作るんだ?」
「粉と酵母と塩、水、チョコレートを指定の場所に入れて、寝る前にスイッチを押すだけですよ。朝には出来立てを食べれます」
エドガーは目を見はる。
「便利なものだな。一人暮らしの女性へのお礼の品なんだが、喜ばれるだろうか」
「それはもう、間違いなく喜ばれるかと」
「どれが一番売れているのだろう」
「女性のお一人暮らしでしたら、こちらがダントツ人気でございます」
責任者が指したのは、最も小ぶりなオレンジ色のもので、エドガーが選択肢から除外したものだった。
「これか?! 小さすぎるだろう」
「けれど、女性が朝食として食べ、その上、ランチにサンドイッチを作るには十分なサイズですし、十分な機能です」
「毎朝焼かないといけないだろう。大は小を兼ねるというし、もっと大きいものの方が」
「そうなりますと、機体が重いですし、場所を取ります」
責任者にしつこいほど質問を繰り返したり、意見を慎重に聞いたり、時には真剣に議論を戦わせたりしながら、二時間も売り場を歩き回る。
結局、責任者おすすめのものにした。ついでに小麦粉や酵母もすすめられるまま買い求めた。
包装してもらった自動パン焼き機を抱え、エドガーが帰路につくときには、責任者だけでなく、彼も疲れ果てていた。
その足でシシーの下宿を訪ねる。彼は、母親に似て非常にせっかちになることがある。
平日だから、シシーは間違いなく不在だと思っていたから気楽なもの。
管理人のマチルダにエドガーが名乗ると、侯爵夫人から噂を聞いていた彼女は、白バラのブーケに視線を向け、満面の笑みを浮かべた。
「今日はシシーは医学校の研究会だったとかで、珍しく早くて。さっき帰ってきたんです。部屋で勉強してますから、呼んできますよ」
エドガーは内心あわてまくり、勉強の邪魔をしたくないからと止めようとした。けれど、マチルダは階段を駆け上がって行った。
「シシー! 大事なお客様よ! すぐに降りてきて」
ドアが開く音に続いて、『なあに?』とぼんやりした声が聞こえてくる。エドガーは、逃げ出したいような、駆け上がりたいような、よくわからない気持ちになった。
小さな声での問答、『シシー、髪がはねてる』というマチルダの厳しめの声、ガタガタという音のあと、シシー一人が降りてきた。髪は整っている。
管理人はどこにいったのだろう、とエドガーは思ったけれど、降り立ったシシーと目があった瞬間、絶句した。
きつめに編み込んだ髪、白いブラウスに紺色のノースリーブのワンピース、先日の制服とは違った。清潔感ある服装と髪型のせいか、年齢より若く見えた。
(か、かわいい……)
「閣下。先日は……、食堂ではご挨拶もできず、失礼いたしました。ご退院おめでとうございますと言いたかったのですが……、あの、今日はどうかされましたか?」
シシーは戸惑いがちに聞いてきた。
「これを。先日のお礼です」
エドガーは白薔薇のブーケを差し出したあとに、足元に置いていた大きな箱を抱えなおしながら言った。シシーが目を見ひらく。
「それからこれも。パン焼きの魔道具です。ぜひ使ってみてください。玄関の前までおもちしましょうか?」
シシーが無言のままなので、エドガーは身をかがめて、顔をのぞきこむと、どうしたのか聞いた。
「そんな高価なものいただくわけにはいきません」
シシーは大きな箱をじっと見つめている。
「もしお気に召さないようなら、私が引き取って寮で使いますから、まずは使ってみてください」
「でも」
魔道具店の責任者のセールストークを散々聞いた後のエドガーはいつになく饒舌だった。
「さっき店でチョコ入りの焼きたて試食したんですが、非常に美味でした。香りが素晴らしかった。最新型のこれは色々なパンが焼けるそうですし、焼き上がりの時間をセットできるんですよ。焼きたてのパンの香りで目覚めるのは最高ですよね。粉も酵母もあるから、すぐに作れますよ。早速、今晩仕込んで、明朝食べてみてください。一回焼いたら、朝と昼の一人前分はあるそうですよ」
「す、すごいですね」
「ですよね、料理の魔道具に興味はなかったんですが、驚きました。他にもケーキや煮込み料理が作れるものもありました。その方が良かったですか?」
「い、いえ、とんでもないです。ただ、やはり高価なものですから、いただくわけには」
そこで二階からマチルダが降りてきて言った。
「シシー。侯爵夫人に言われていたでしょう、ちゃんと受け取りなさい、って」
「侯爵夫人はそんな、」
「シシー。あなたのために選んで買って持って来て下さったのよ」
思わぬ援護射撃を得て、エドガーはますます饒舌になった。
「私はあなたが助けてくれて、本当にありがたかったんです。それにあなたが作るのも食べるのにも飽きたら、私が使いますよ」
冗談だと思ったシシーはわずかに微笑む。
「ありがとうございます、その、アレクシス様から聞かれたのでしょうか」
シシーは恥ずかしそうにうつむく。エドガーは、彼女の微笑みと恥じらいに魅入られていた。彼女のつむじを目で愛でながら、彼らしくなくさらに言葉巧みに続ける。導入部分がうまくいけば、あとは勢いで突っ走れるタイプなのだ。
「勝手に聞いて申し訳なかった。両親からも厳命されていましたから、シシー嬢が喜ぶものを一刻も早く届けたいと思ったのだ」
頭ひとつ分背の高いエドガーを見上げるように顔をあげたシシーの顔は紅潮していた。気配を消していたマチルダが管理人室に入って行ったが、二人は気づかない。
(閣下は、本当に義理人情に厚く、ご親切な方ね……それにきっと、魔道具で焼いたパンを召し上がりたいのね)
「実は、ずっと欲しくてしかたなかったんです。高価なので諦めていましたが。では、ありがたくいただき、作ったパンをお持ちしますね!」
女性なら顔を赤らめるほどのエドガーの甘い微笑みを受けながらも、シシーはキリっと返した。ただただ無邪気な笑みを浮かべて。
エドガーは、口説きモードでありながら、パン焼き機についていささか熱く語りすぎなのだった。
「早速明日にでも、閣下の宿舎の管理人室に預けておきますね!」
(違う、そうじゃない)
またにしても肩を落とすしかなかったエドガーはそれでも諦めず、次の誘いをしようとした。
「そういえば、新しくオープンしたばかりのレストランがあるらしいんですよ。新鮮なシーフードを出してくれるらしいです。ご一緒しませんか? 母だけでなく、妹もあなたに会いたがっているんです」
シシーの実家の領地は海に面していて、漁業が盛んなので、王都ではあまり食べられないシーフードが恋しいだろうと思っての誘いだった。
案の定、シシーは目を輝かせたので、エドガーの期待は高まる。しかし、すぐ肩を落としたシシーは言い方を選ぶようにして言った。
「ありがたいのですが、恐縮で。私は当たり前のことをしただけなので、そこまでしていただくわけには……」
「こちらが図々しいお誘いをしているのです。ご迷惑だったり、無理な時はお断りいただいてよいのです。ただ、お礼の意味より、うちの家族はシシー嬢と親しくなりたいので、ご招待を受けていただけると喜びます。そして私も助かるんです」
「閣下がなぜ助かるのですか?」
首をかしげながらシシーが聞き返す。
「お世話になった相手に礼をつくさねば、家族に大変責められるのです」
大真面目にエドガーが答えると、シシーは少し噴き出した。エドガーは驚いて目を丸くする。自分が女性を、しかも好きな女性を笑顔にできるとは思っていなかったからだった。
「あ、申し訳ありません。閣下がお母様とお話になる姿を想像し……」
由緒正しき侯爵家の後継であり、騎士団長であり……の立派なお方を笑ってしまったと気が付いたシシーは、慌てて平謝りする。
エドガーは、すぐに返事ができない。好きな女性を笑顔にできた喜びと感動に言葉を失っていたから。
(…………うれしい)
沈黙を怒りだと誤解したシシーが、重ねてわびたとき、エドガーははっと我に返った。
「ご想像の通りなんですよ、あの母に強く厳命されていて、私は逆らえないのです」
「……まあ、閣下がですか?」
シシーが信じられないとばかりに目を丸くして聞き返す。
「あの人が疲れさせてしまったら申し訳ないから、おとなしくするよう厳命しますから大丈夫ですよ」
「いえそんな……この前は、本当に楽しかったのです。……素敵なお母上様だと思いました」
シシーがそうこぼしたとき、エドガーはシシーが両親を失っていることを思い出し、抱きしめたい衝動に駆られた。そんな自分に呆然としながら、両手をきつく握り締める。
「……誰にでもそうではないのですが、シシー嬢をとても好ましく思っているようです」
「身に余る光栄でございます」
「なので、招待を受けてくださると本当に助かるのです」
安心したようにシシーは肯いたが、非常に言いにくそうに言った。
「ありがとうございます。ただ、実は……平日はほぼ仕事と学校でして。休日は週に一日だけでして」
真剣にシシーの健康が心配になったエドガーは、強引な誘いを申し訳ないと思うし、後ろめたさも感じながら言った。
「せっかくの休日なのに申し訳ないので、こちらがシシー嬢のご都合に合わせます。この前の母のように長々お引止めもしません」
シシーは、ためらいながらも肯き、エドガーは次の週の日曜日に約束を得ることに成功した。




