#7
「10…11…12…。」
あと3枚どうしても見つからない。もうすぐ校舎の周りを一周する事になるが、見つからないとなると残りの3枚は誰かに拾われたのか…はたまた風に乗って遠くへ飛んでいってしまったのか…見当もつかない。俯き加減の頭を少しあげると斜め前に屋根付きの自転車置き場が見える。
1番端に停められた赤い自転車のカゴににハタハタと白い紙が生き物のように引っかかっている。
(13枚目だ!)
駆け寄ろうとすると、その自転車に誰か近づいてきた。カゴに引っかかっている紙を汚いものでも触るかのように指先で摘み上げる。
その人物の指先を追うようにカゴの紙から斜め上に視線をゆっくりとずらす。
そこには不審そうに手紙の内容を読み始めるなーちゃんこと鳥海渚がいた。
◇◇◇
一瞬思考が停止する。しかしすぐに頭はキュルキュルと動き出し、再生されるカセットテープのように加速度的に思考の速度を上げる。
元々彼女に渡すための手紙ではあったが、いかんせんここらの準備が出来ていない。
あの紙が最後の1枚なければ差出人の名前は書いていないし、最初の1枚なければ宛名は書いていない。つまりどの紙を拾われたとしても俺が彼女に書いた手紙だとバレることはない。
俺の頭の中の方程式は=何の問題もないから堂々としよう!という楽観的な答えに行き着いた。
「お、なーちゃんこんな所で偶然。」
自然体を装って出た言葉は途轍もなく不自然だった。下校時の自転車置き場で出るような台詞ではない。そして俺はどう言うキャラなんだ。全てがチグハグだ。ちなみに俺がさして親しくもない彼女をなーちゃんと呼んでいるのも本人を前にして口にしてみると今更ながら違和感があった。自分の中であれこれツッコミを入れる。思ったより今俺は余裕があるようだ。
なーちゃんは手紙から視線をあげる。その顔は真剣な表情をしていた。
「これ……。」
これの後に続く言葉を俺は勝手に想像していた。「自転車のカゴに引っかかってたんだけど何だろう?」と。だが彼女は俺の都合のいい想像とは全く違う言葉を発した。
「正木くんが書いたの?」
あぁそうか最後の差出人が書いてある紙が彼女の自転車のカゴに引っかかっていたのか。15分の1で引き当ててしまったのか。まぁ大丈夫。誰宛か、何か分からないのだから。最悪俺の趣味がポエムを描く事という事にしてしまおう。そんな安易な逃げ道を模索していた俺に彼女は衝撃の言葉を繋げた。
「私宛に。」
ん????今度は完全に俺の思考が停止した。パソコンがウィルスに侵されたように疑問符だけが俺の頭に増え続ける。
なぜ?彼女が持っているのは差出人の書いてある最後の1枚だったはずだ。文章の中にはなーちゃんの名前も書いて無いはずだ。
「あ、えっーとそれは、まぁ…。なんで?」
突然の展開に慌てふためき視線を落とす俺は今途轍もなく気持ち悪いに違いない。頭は全く回っていないのにそんなくだらないことばかり考えが巡った。額からはブワッと汗が溢れ出し顔の輪郭をなぞるようにつたい落ちる。彼女の顔が見られない、今どんな表情をしているのだろう。自分の頭が見えない力で押さえつけられているように重たかった。
『なんで?』の質問に答えるように彼女は俺の手元を指差しているのが見えた。あぁ。成程。制服着た男が汗だくになりながら、紙の束だけ持っている光景を見ればなんとなく結びつくわけか。彼女は確信を得ていた訳ではないようだ。
しまった─────。さっきの返事で差出人は俺だと自供してしまった。ミステリーの犯人が犯人しか知り得ないことを探偵の誘導尋問によって話してしまうのと似ているなと思ったが、そんなことより2段階ほどレベルの低い話であるとすぐに思い直した。思考が逃避するようにくだらない事を考えている自分がなにやら返事に困っていると勘違いしたのか、彼女から助け舟が出される。
「私ね。」
彼女の真摯な声色は俺の頭を押さえつける力を一瞬にして消し去った。やっと見ることのできた彼女の表情は笑うでも、馬鹿にするでもなくただひたすら真っ直ぐ俺を見ていた。
『まぁ…アレだな。いつかこの〝想い“を笑わずに受け入れてくれる子が現れたらい…いいな…ブッッッッははっはっは!』
あの時の榎本の台詞が頭の中で再生される。不愉快ではあるが爆笑する榎本の顔付きだ。でもその不愉快さが消し飛ぶほどの期待が膨らむ。(やっぱり、なーちゃんは今までの子とは違う。俺の想いを真剣に受け止めてくれるんだ。)そんな思いが今までにない程の多幸感を生み、俺を包み込んだ。
俺の腑抜けた上の空の顔を見て、彼女は仕切り直すように最初からやや早口に言葉を紡ぎ始める。
「私ね、今までどんな相手でも勇気を持って告白してくれたことに尊敬の念を持って、感謝の気持ちを込めて『ありがとう』って伝える事にしてるの。」
(何でいい子なんだろう…。)となーちゃんの言葉に少し感動する。やっぱり彼女は天使なんだ。
「でもね───。」
少し彼女は俯いた。彼女の目が明るい栗色の髪に隠れて見えなくなる。きっと恥じらいの表情を浮かべているに違いない。続きが言いにくいようだ。急に2人の間になんとも言えない間が生まれる。長く感じた間はきっと数秒のことだろう。彼女は絞り出すように言葉を紡ぐ。
「正木君だけはダメ。」
ダメ?ダメというのはどういう意味だろう。消え去ったはずの疑問符が再びすごいスピードで増殖してくる。顔を上げた彼女の目は濁ったガラス玉のように光がない。謎の圧と見下げるような視線から、この『ダメ』というワードが決していい意味ではないものだという事だけは理解ができた。
目の前でゆっくりと白い紙が引き裂かれる…憎しみを込めるかのように、淡々と一定のリズムで紙を重ねては破るを繰り返していた。1センチ四方にも満たないサイズになった時、それを俺に投げつけ、フンッと鼻を鳴らして自転車に跨り、俺の横をすり抜けていった。
ひらひらと舞い散る手紙の残骸はあの日の桜のように美しかった。




