12
—— ピカッ
急に明るい光が入ってきた真希は、瞬時に戦闘態勢に切り替えた。
—— チン
エレベーターが開く馴染みの音と共に扉が開いた。
今度は何だ!なんでも来いっ!
先手必勝、と一歩踏み出そうとした真希は、榊原に肩を掴まれてカクッと後ろに仰け反った。
「うわっ!」
扉の向こうでビクリと肩を震わせて後ろに飛び跳ねたのは、作業着のおじさんだった。『安全第一』の黄色いヘルメットを被っている。
固まる真希と作業員。
な、な、なん…
「やあ、おはようございます。朝早くからご苦労様です。」
朗らかに話しかけたのは榊原だった。
「わたくしエレベーターの管理を申しつかっております榊原と申します。こちらのエレベーターは動作確認が終了しましたので。ご協力ありがとうございました。」
「え、は、ハイ」
作業員は目を白黒させながら答えた。
にこやかに、でも有無を言わせない強さで言い切った榊原は、真希の足元に跪くと真希にパンプスを履かせ、真希のカバンとジャケットを手に持つと、固まる真希の肩を抱いて作業員の横をするりと通り過ぎた。そのまま直進してビルのエントランスの自動ドアを抜け、二人は外に出た。
「いやー、朝日が眩しいですね。」
榊原が目元に手を置いて目を細めた。
暗くて狭いエレベーターから一転して開放的な屋外に移動した真希は、呆然と立ち尽くす。
「…今の…」
「ああ、あの方は作業員の方です。一応、本物の点検も業者にお願いしてあったんですよ。何かあったら困りますから。でも、魔の扉は無事に閉じて、通常のエレベーターと繋がりました。これにて一件落着です。ははは。」
「はははって…」
まだ戦闘モードの真希は切り替えがうまくいかない。目の端で動く車や、カラスの鳴き声に反応して、体がピクピクと動いてしまう。
だめだ、落ち着け。
真希は詰めていた息を吐いて空に目線を向けた。
のびのびと光を伸ばす朝日が、どんどん空を青く染めていく。今日も暑くなりそうだ。
「真希さん、よく頑張りましたね。」
榊原がギュッと真希を抱きしめた。包まれるような抱擁に、昂っていた神経が落ち着いてくる。その体温にホッとしてしまったのを隠す気にもなれない。
ドクドクドク
真希のものか、榊原のものか分からないが、規則正しく音を刻む心臓の音が心地いい。
榊原は何も言わない。真希も何も言わない。
2人はしばらく無言で身を寄せた。
なんかもう、いろいろあり過ぎてキャパオーバー…
真希は広い榊原の胸に頭を預けた。榊原が真希の頭に唇を寄せた。
家に帰って寝よう。そうだ。睡眠だ。…あれ?…なんか忘れて…
「ああ!」
真希はガバリと頭を上げた。頭が榊原の顎にヒットしたのか、うっという声が上から聞こえた。
「会社!プレゼン!スーツ!!!!」
「いててて。今日は休みましょうよお。僕も報告書はブッチします。」
「嫌!あんなに時間かけて作ったんだから!私行くからっ!バイバイ!」
「真希さん」
駆け出そうとした真希の手首を榊原はしっかりと握った。
なんだこの忙しいのに、と榊原を睨みつけた真希は、明るいところで初めて見た榊原の姿に息を呑んだ。
朝日が輝く水面のような赤みがかった金色の髪の毛。深い海のような碧眼。
よく見ると、瞳孔が大きい?開きっぱなし?なんか、あれ?なんかおかしいな。
真希の視線に気づいた榊原は、目を細めて笑った。
その笑顔に真希の心臓がドクンと跳ねた。
言葉が出てこなくなった真希に、榊原は名刺を取り出した。
反射で真希も名刺を出そうとして、ああ、切れてるんだった、プレゼン前に補充しておかないと、と意識が逸れたその時。
「電話ください、ね?」
榊原は真希の手に名刺を握らせると、耳に唇を寄せてくすぐるように囁いた。少しでも動けば唇が触れる距離だ。
「っ!!!!」
耳を押さえて手を払った真希は、後ろに飛び跳ねた。顔が熱い。榊原の持っていた自分の鞄とジャケットを引ったくると、
「しねーよ!ばーか!」
と走り出した。
ばーかって!私は小学生かっ!
真希はヤケクソになってダッシュした。手にはしっかり榊原の名刺を握りしめて。
ピカピカの青空には、巣立ったばかりの若いツバメたちが楽しそうに追いかけっこをしている。
夏はすぐそこだ。




