芥の王
二人が家へ戻ろうとしたとき、近くで大きな音がした。
「……? お姉ちゃん、今……」
桃太がかぐやを見ると、かぐやは一点を見つめたまま動きを停止していた。
「おねえちゃ――――」
「あいつ……!!」
かぐやの目が見開かれ、血走る。桃太は血相を変えたかぐやの目線を追った。
――――そこには、二体の鬼の姿があった。一体は緑色の頭髪に、女物の羽織。そして、顔の左半分に大きな切り傷。もう一体は金髪に、頭にある一本の小ぶりな角。そして何より――――
「なんでこいつら、瞳があるんだよ……!!」
通常鬼には、瞳が存在しない。眼の中が全て赤く染まっているため、見えているのかすら定かではないのだ。その目こそが、狂気に飲まれた化け物の証だった。
「言ったでしょ、普通の鬼とは違うんだって……! でも、あの金髪の鬼にも……!?」
瞳のある鬼は一体きりだとたかをくくっていたかぐやが狼狽する。そんな彼女を見て、鬼王丸が首をかしげる。
「……どうしたんですかィ、頭」
金助は、目を見開くかぐやに驚いている様子の『頭』に声をかけた。
「全く、驚かされる……。こいつだ、金助。こいつが十年程前、さらった小娘のそばにいたガキだ」
「生きてたんすねェ。そりゃすげえや」
「――――!!」
(今こいつら、『こいつだ』って……まさか、お姉ちゃんを襲った鬼!? ホントにいたのか!?)
『信じる』といいながらも、桃太は心のどこかでかぐやの話を信じきれずにいた。しかし『それ』は今、桃太の目の前で現実となったのだ。
「……人語を話す鬼……!!」
「あん? なんだお前? あの時は見かけなかったが……」
鬼が話しかけてきた時、桃太は無意識に剣を抜いていた。
「……やろうってのか」
鬼が首を曲げ、音を鳴らす。
(お姉ちゃん、家に行って。おとうさんを呼んできて!!)
(何を……)
「早く!!」
桃太が怒鳴る。火がついたようにかぐやが走り出すのと、緑色の髪の鬼が桃太に突進してきたのはほぼ同時だった。
「いくぞ……小坊主!!」
放たれた鬼の拳を避け、かぐやを追う。金助と呼ばれていた鬼が、かぐやを追っていたからだ。
「逃げちゃだめだよォ、おじょーちゃん!」
木の幹を足場に大きく飛んだ金助は、あっという間にかぐやに追いついた。
「……っ!!」
「もしかして、おじょーちゃんが『強い村守』……なわけないよな、帯刀もしてないし」
(どうしよう、このままじゃ逃げ……いや、父さんを呼びに行けない!)
睨みをきかせながら後ずさるかぐやに、金助はニヤリと微笑みかける。
「んじゃ、とりあえずお眠りいただきますか」
そう言って、金助がかぐやに近づこうとしたときだった。
「何者だ、貴様等ぁ!!」
振るわれた刀が金助の髪をかすめる。驚いたかぐやの目に映ったのは、草をかき分けて姿を現した浦島だった。
「……? なんだィ、じーさん。今忙しいんだァ」
金助が間合いをとり、軽く足踏みしながら舌打ちをする。
「うら、しまさん……?」
浦島はかぐやを一瞥すると『あっちへいけ』と手で合図した。それに従い、かぐやは林の中へ駆けていく。
「あ〜あ……逃がしちまった」
「人語を話すとはな……虫酸が走るわ!! 二度とその口きけなくしてくれる!!」
浦島が金助に突進していく。
「まぁ……いいかァ。じーさん、もしかしてあんたが『強い村守』?」
浦島の刀をやすやす避け、何食わぬ顔で質問してくる金助。
「あぁ。俺は浦島太郎。貴様等を殺す男だ!!」
そう豪語した浦島に、金助が眉をひそめる。
「またこりゃ……ウゼー老体だァ」
細長い金棒が、金助の腰から抜き取られた。
「くそっ!!」
桃太の振る剣は、緑の髪を持つ鬼をかすりもしない。振るわれる剣筋をかわしながら、緑髪の鬼は退屈そうにため息をついた。
「強いっつってもこんなもんか? 興醒めにも程があるぜ……もう止めだ!!」
そう言い放つと、鬼は桃太の刀を手で掴み、彼ごと投げ飛ばした。
(なっ……)
桃太の背中に衝撃が走る。木の幹に激突し、彼はその場に倒れ込んだ。
(刃を……素手で!?)
「……なんだ、限界か? 最強どころじゃねぇ、とんだザコじゃねえかお前」
立ち上がろうとする桃太の腹部を、鬼は右足で蹴り上げた。衝撃が貫通し、桃太の背にある木の幹までもが陥没する。鬼が呆れたように笑いながら、息とともに胃液を吐いて屈み込む桃太の髪を掴んだ。
「言えよ。この村で一番強い村守はどこだ?」
「…………」
「あん、何だ? 聞こえねぇよ」
「お前が……鬼王丸か」
「? 鬼王……」
鬼は少し眉根を寄せると、ニヤリと笑った。
「あぁ、そういえばそんな名前もあったな。そう、俺は『鬼王丸』だ。だが、それを何でお前なんかが」
「……やっぱり、お前か!!」
桃太の目の色が『変わった』。
「!?」
鬼特有の黒い血が飛散する。
桃太の薙いだ刀が、鬼王丸の胸を切り裂いたのだ。鬼王丸は立ち上がる桃太を見て目を見開く。
(気のせいじゃねぇ。こいつ、本当に瞳が青くなってやがる……!!)
「織姫さんを知ってるか?」
問いかける桃太。鬼王丸は織姫、と言われて少し判然としない顔だったが、やがて思い出したように笑みを浮かべた。
「……あぁ。あの時、さっきお前が逃がした小娘と一緒にいたやつだろ? ただ、さっきの小娘が生きてたのは意外だったな。てっきり殺したもんだとばかり思っ――――」
鬼王丸はまっすぐ突いてきた桃太の刀を手の平で受け止めた。刃は鬼王丸の皮膚を貫かず真っ二つに折れ、鬼はそのまま手のひらで桃太の顎を打ち抜く。
「あうっ……!!」
「感情にまかせて突っ走ってんじゃねえっ!!」
倒れ込む桃太を怒鳴りつけ、鬼王丸は彼の『目』を確認する。
(瞳の色は黒……青だったはずだが、やっぱり見間違い、か……?)
口元の血を拭い尚も立ち上がる桃太に、鬼王丸はため息をつく。
「村守なら分かんだろ。勢いにまかせて突っ込んだほうが死ぬ確率が高いってことぐらい」
「何なんだ……何なんだよお前らは! 一体何が目的で人をさらうんだ!? 何がしたくて人を襲うんだ!? 何のつもりでここへ来たんだっ!?」
「……聞こえちゃいねぇ、か」
鬼王丸はそう呟くと、腰にある金棒を引き抜いた。
「強いっつーからどんな奴かと思ったが、こいつじゃないな。安心しろ、一瞬だ。一瞬で、お前の頭は消えてなくなる」
月の光を受け、不気味に黒光りする金棒を片手で構え、鬼王丸は桃太めがけて走った。
(まずい……っ!!)
桃太は機敏な動きで、迫り来る金棒を次々とかわしていく。振り切られた金棒を足場に高く飛び上がり、大きく距離をとった。
「……? ハハッ、強いんだか弱いんだか読めねえ野郎だな、お前」
「っ……お前たちは、強い村守を探すためだけにわざわざここまで来たのか?」
肩で息をする桃太を見て、ククッと鬼王丸が笑う。
「ああ。そうだ」
「誰の命令で――――」
「俺自身の意志でだよ」
鬼王丸は尖った歯をちらつかせながらニヤリとした。桃太は油断なく構えながら、鬼王丸の次の攻撃に備え呼吸を整える。
「さあ、次だ。どうやら向こうも片付いたみたいだしな」
「む…こう?」
その時、桃太の背中に何かが激突した。慌てて押し退けると、それは顔の右半分が血だらけの浦島だった。
「浦島、さん……!?」
昼間に浦島の勇士を肌で感じていた桃太は、目の前にある光景が信じられなかった。よく見るとそれは顔からの出血ではなく、ほとんどが右目からによるもの。
右目だ、右目を潰されてる……!!
「どうしたんですかィ、頭。 もしかしてそいつが『当たり』ですかィ?」
浦島の投げられた方向から、金髪一本角の鬼が現れた。ボロボロの衣服に、銀色の鎖をいくつも張り巡らせているその鬼は、手にした細長い金棒をクルクル回しながら、倒れている浦島を見てニカッと笑った。
「こいつはてんでダメでさァ、戦う前から酔っちまってるみたいにフラフラで」
(やっぱり、まだ疲れが抜けきってなかったんだ……なのにどうしてここに……!!)
「まあどちらにせよ、そんな老いた体で強いもクソもねえだろ。ま、そんな歴戦の猛将みたいなオッサンでその程度なら、他の奴らも大したことは無いのかもな。そう考えると……」
そう言うと、鬼王丸は再び桃太に目を向ける。
「案外こいつは『当たり』なのかも、なっ!!」
「!」
桃太は突然投げつけられた金棒を泡を食って避けた。金棒は金助の横の木にあたり、鈍い音を響かせ地面にめり込む。
「金助! こいつにその刀貸してやれ!」
「あいよォ!!」
金助は浦島の手から刀を抜き取ると、そのまま桃太に投げ渡した。桃太は恐々としてそれを受け取る。
「ぬ、抜き身の刀投げるなよ!! 危ないじゃないか!!」
「あァ、すまんねェ」
ニハハ、と金助が笑う。桃太はため息をつきながらも、鬼と何の違和感もなく話せている自分に戸惑いを覚えた。
「準備はもういいか? 行くぞ」
鬼王丸が構える。桃太も刀を構え、頭から雑念を閉め出した。
「せいぜい……気張れや!!」
鬼王丸と桃太は、同時に地面を蹴った。
鬼王丸の拳と桃太の刀が激しくぶつかる。
すかさず鬼王丸が左の拳で連撃を加えようとしたが、桃太は素早く腕を引いてそれを防ごうと刀を構えなおした。
「甘めぇっ!!」
左拳によって、桃太は刀ごと横に吹き飛んだ。彼は刀を軸に体を回転させ、左右の足で鬼王丸の顔を二度蹴り付ける。素早く体勢を立て直し、視界を揺らしている鬼の体を刀で下から薙いだ。
(……やっぱり、硬い!!)
裂けたのは鬼王丸の着物だけだった。鬼は更に桃太を追撃する。桃太は次々繰り出される拳を刀で全て受け流していく。
「おおー、すげェ。あのガキホントに『当たり』だったんかィ」
鬼王丸の拳が木に当たり、幹の半分以上が砕け散る。倒れてくる木を足場に二人は空中へ駆け上がり、凄まじい速さで打ち合いを始めた。火花が散り、夜の林に彩りを加えていく。
「くっ……!!」
「ちィ……なんだよ、お前!!」
鬼王丸が嬉しそうに叫ぶ。地面に足を着くと同時に、二人は林の中へと姿を消した。
「おィ待てって!!」
金助が慌ててその後を追う。
木々生い茂る中を、二つの影が疾走する。
「ホントなんなんだよ、お前さ!! さっきまでとまるで動きが違うじゃねぇ……か……」
鬼王丸が言葉を途切らせる。桃太の背には、気絶した浦島が背負われていた。
「何やってんだ? お前」
「うる……さいっ!!」
足で思い切り地面を蹴り上げ、桃太は木の枝を足場に乗り移って進む。咄嗟のことに一瞬足を止めながらも、鬼王丸も同様に木の枝へ飛び移り、進んでくる。
(浦島さんを助け、なきゃ……)
息を切らし始めた桃太とうってかわって、鬼王丸はぐんぐんと彼との距離をつめていき、遂に桃太の真横の木へと飛び移ってきた。
「邪魔だろ。下ろしてやるよその老体っ!」
「っ!」
桃太は鬼王丸より一瞬早く次の木へ飛び移り、鬼が飛び乗ろうとした枝を切り落とした。
「おわっ!?」
足場を失った鬼王丸の足は空を蹴り、土煙を上げて地面へと落ちた。桃太はそれには目もくれず進んでいく。
「頭ーァ、大丈夫ですかーァ?」
追いついた金助が声をかける。鬼王丸は土煙の中から立ち上がると、苛立ち紛れにそばの岩を砕き闇夜に向かって吠えた。
「よくも……やりやがったなぁ!!」
先程とは比べ物にならない速さで木々の間を駆けていき、鬼はあっという間に桃太達に追いついてくる。 桃太に追いついた鬼王丸は、彼が跳び移ろうとしていた木の幹を砕いてなぎ倒した。
(!? くそっ……)
やむを得ず進路を左斜めの木へと移し、跳躍する。しかし跳躍した瞬間、桃太の目の前に鬼王丸が飛び上がり、彼の右頬を殴りつけた。
「ぐぅっ!!」
両手で浦島を支えていた桃太は受け身も取れずに地面に叩きつけられる。
「あんまし逃げんなよ。そんなにその老いぼれが大事か?」
桃太は口の中の血を吐き出し、よろけながら立ち上がった。鞘から刀を抜き、
「――――そん、な」
根元からぽっきりと折れた刀が、地に落ちる音を聞いた。
それは、絶望の足音。
「……ククク、どうやら手詰まりみたいだな村守」
勝ち誇った笑みを浮かべる鬼を、桃太は苦虫を噛み潰したような顔で睨みつける。
「手詰まりなんかじゃ、ないさ……!!」
桃太は刃のなくなった刀の柄を投げると、浦島を抱えて一目散に走り出した。
「……オイオイ、あんましガッカリさせんなよ。手詰まりじゃねえって言うからどんなもんかと思ったのによ」
鬼王丸も緑色の瞳を光らせ、桃太の後を追う。疲労している桃太が鬼王丸を振り切れるはずもなく、数秒とせず追いつかれてしまった。
「捨てちまえよ!! どうせ助からねえ」
「うるさい!!」
「選べないんだろ? だったら俺が選んでやる!!」
鬼王丸は桃太の前に回り込むと、彼の顔面を蹴りつけた。桃太の目から火花が飛ぶ。
「まだ抱えてんのか? とっとと捨てちまえってんだよ!!」
尚も逃げようとする桃太に、鬼王丸は次々と打撃を加えていく。鬼の鋭い爪が桃太の右頬を深々と裂き、硬い皮膚から放たれる打撃は確実に桃太の体を破壊する。林の開けた場所に殴り飛ばされた時には、桃太の体はアザだらけになっていた。彼はたまらず浦島を地面に下ろし、膝をつく。
「解せねえ野郎だ。その『お荷物』さえいなけりゃ、逃げるにしても少しは楽だったろうに」
浦島を指して『お荷物』と言い捨てた鬼王丸を、桃太が睨みつける。
「……じゃあお前には、できるのか? 自分の仲間が傷ついて、倒れているのを見すことが――――」
「ああ、出来るな!」
桃太の言葉を遮り、何のためらいもなく言い放った。
「元々鬼社会はそういうもんだ。そうしてなきゃ生きていけねぇんだ。俺はためらわねえぞ」
桃太は口の中の血を吐き出し、頬を拭った。凛とした目つきで鬼王丸を見据える。
「……違うよ、そんなの。そんな社会間違ってる!!」
「……はぁ?」
「お前だけじゃないんだろ? 人語を話せる鬼は。だったら数少ない仲間じゃないか!! お前は王なんだろ!? だったら何で仲間を見捨てたりなんか……」
そこで言葉を切り、激しく咳き込む桃太。血が地面へと滴る。
「――――」
不意に、鬼王丸の頭を小さな靄がかすめる。彼は眉根を寄せ、それを振り切るように首を横に振った。
(まただ……また、頭を『何か』が叩きやがった。ここ最近、どうしたんだ一体)
奇妙な感覚に判然としない鬼王丸だったが、さして気にせず口を開く。
「王になるため……上に立つための小さな犠牲だ。そんなことで立ち止まってたら、何百年あったって足りやしねえだろが」
「違うね。そんなもの見せかけの王だ。本当の統率者っていうのは、皆から慕われるような存在でなきゃいけないんだ!! 現に僕のおとうさんは」
鬼王丸の拳が、桃太の腹部へと吸い込まれる。桃太は吹き飛ぶことなく、ただその場に倒れ込んだ。
「……何も知らねぇシャバ僧が。そんなもんテメーの理想論だろうが。現実はそんなに甘くねえんだよ。テメーの十年かそこらの経験を、まるで世界の真理か何かみてーに話しやがって」
沈黙したままの桃太。鬼は風に紛れて嘆息すると、事の成り行きを見守っていた金助へ視線を移す。
「金助、金棒かせ」
金助が投げた金棒を受け取ると、鬼王丸はそれを真っ直ぐに桃太に向けて振り上げ、
「消えて……なくなれっ!!」
振り下ろした。
振り下ろされた金棒によって、周りの地面がめくりあがる。そこには桃太の姿はない。鬼王丸が横を見ると、桃太を抱えた浦島がそこに横たわり、鬼を睨みつけていた。
「なんだ、生きてたのかよじーさん」
「……貴様等ごときに、こやつを殺させてたまるか!!」
衰えない左目の眼光で精一杯威嚇する浦島だったが、鬼王丸は半ば呆れたような視線を向けただけだった。
「金助、甘めぇぞ。生きてんじゃねえか」
「すんません、しくじりました」
何でもない風に笑う金助。実際、彼らにとって死にかけた二人など手間でもなんでもないのだろう。
「まあいい。少し手間がかかるだけだ」
鬼王丸は金棒を構え直し、浦島に近づく。その時、一本の矢が鬼の背に当たって折れた。
「そこから動くんじゃないよ」
「!」
そこには弓矢を構えた早乃と金助を後ろから捉えた海児、そして二体の鬼を取り囲み武器を構える大勢の村守がいた。
「……貴様が、『鬼王丸』か?」
名を呼ばれ、鬼王丸は高らかに笑った。鬼の荒々しい笑い声が林の中に広がっていく。
「……ああ。俺が鬼王丸だ。」
その声に、村守勢は驚きどよめく。
それに乗じて、金助は海児の腕を振り切って鬼王丸の横に移動した。
「貴様っ!」
「唸んなよ、オッサン方。ほら」
鬼王丸は気絶している浦島と桃太を、海児達の方へと蹴飛ばす。かぐやと村守の数人が駆け寄った。
「浦島さん、目が……!!」
「桃太……どうしよう、こんなに……!!」
「うろたえるな!! さっさと連れてって治療だ、行け!!」
顔を青ざめるかぐや達を、海児が怒鳴りつける。かぐやが振り返ると、鬼王丸達は指で空をつついていた。
「……? 何を……」
――――鬼王丸の手が、空でないどこかに『めり込む』。そのまま空間を無理矢理に引き裂くと、その先には林でないどこかの景色が広がっていた。
「……!?」
驚く村守達をよそに、鬼はその穴へと入ろうとする。
「ま、待ちなさいよ!!」
切迫したかぐやの声に、鬼王丸が振り返った。
「織姫は無事なんでしょうね?」
「……気丈な娘だ。十年以上経った今でもあの女のことを想っているとは」
肩を揺らして笑う敵を、かぐやは射抜くような目つきで睨む。
「質問に答えなさい! 織姫は今……」
かぐやの言葉を手で制した鬼王丸は、金助が穴の中に入るのを確認してゆっくりと口を開いた。
「…………『生きてる』」
「……え?」
意外な返答に、かぐやの思考が一瞬停止する。
「死んじゃいねえよ。今も俺らのとこにいるからな」
「……信じていいのね?」
わらにもすがる思いでかぐやが尋ねる。鬼王丸は少し困ったような表情を浮かべると、牙をちらつかせて笑った。
「そりゃアンタの勝手だろ? まあ、信じた所で……」
そう言いかけて笑いながら、倒れ込んでいる桃太をチラリと見る。
「一番強いヤツでこの程度じゃ、な。女は諦めるんだな」
そう言って穴へと入ろうとする。かぐやが口を開きかけたが、早乃がそれを制した。
「逃げるつもりかい?」
「……逃げる、だと?」
鬼王丸が穴の中から早乃を睨みつける。
「ふざけてんのかババア。今この状況でお前たち全員がそこの雑魚二匹守りながら俺達と戦って、どっちに分があるか分からねえわけじゃないだろ?」
雑魚という言葉に、浦島が歯を噛み砕かん勢いで軋らせる。海児が舌打ちをして、眉をこれ以上ないほどに吊り上げた。
「じゃあお前らは、一体何の為にここへ来た? ただ暴れるために来たってのか?」
鬼王丸が頭を掻きながら、興味なさげに海児を見る。
「最近この村に放った『芥』共が一体も帰ってこなくてな。どんな強い奴がいるのか見にきたんだが……どうやら見当違いだったらしい」
鬼王丸は再び桃太へ目を向けた。黒と緑の視線が重なる。
「俺が目を付けた『強い奴』は……殺す必要もねえザコだったからな。いいか、落ち着いて聞け人間共。もうくだらねえ小競り合いは終わりだ。近いうちに、総攻撃をかける。お前らに限らず、ほかの村の連中も……皆殺しにしてやるよ!!」
亀裂がなくなり、林に静寂が訪れる。薄れゆく景色の中、桃太は鬼王丸の狂気に満ちた笑いを見た。
「……よかったんですかィ、あんなことしちまって」
「何がだ?」
「あそこには船残してきてんすよ? 結構貴重なもんですし、少し無理してでも海岸に戻るべきだったんじゃ……」
鬼王丸はそうだな、と口を開きかけて、それを閉じた。
「いや、あれでいいんだよ」
「やつら、ここへ来るかもしんないッスよォ」
鬼王丸が、まるで玩具を見つけた子どものように笑う。
「……面白いじゃねえか。叩きのめしてやる」