面影の襲撃
船に揺られ、二日。
「ぐっ……ん、お……!!!」
茶栄の村を出てからたった二日足らずの船上で、誰がこんな惨劇が起こることを予想しえただろうか。
「やめて、悟空さん!! そんなことされたら、この船は……!!」
「落ち着いて、悟空さん!! まだ、まだ間に合うはずだから!!」
悟空と対峙する形で船に陣取る桃太とかぐやは、必死の説得を試みる。
「うるせ……ぇっ、もう限界、が……!!」
「いやっ、だ、だめぇっ……!!」
かぐやの叫びと同時に、悟空が体を反らす。目を見開き、唇を震わせ、勢いよく顔を下に向け――――
「ふざけてないでとっとと処理してこい、痴れ猿が!!」
割って入った浦島に持ち上げられ、悟空は海へと消えた。
「わああああ!? 何してんですか、浦島さぁん!!」
「黙れ小僧! こんなところで吐かれては、後処理の仕様がないだろうが!!」
「うえっ、なんか海に白いのが浮いてるよ!! まさかあれ悟空さんのゲ」
「きゃあぁぁ!! お姉ちゃん、言っちゃだめー!!」
桃太はかぐやの口と鼻を塞ぎ、海面に目を移す。そこには、自らの胃の内容物にまみれてうつ伏せに浮かぶ悟空の姿があった。
(うわぁ……ぶちまけちゃってるよ)
桃太たちにも後から分かったことだったが、どうやらこの孫悟空という少年、船酔いする性質のようなのだ。これでもう、二回目である。
「……悟空さーん……? 大丈夫ですかー……?」
心配そうに声をかける桃太。しかし、彼は彼であまり気の利く性質ではない。桃太の心配とは裏腹に、船はどんどん遠ざかっていく。それもそのはず、船を動かす動力源が止まっていないのだ。
「……何だろ、この違和感」
「何だろ、じゃねーべや天然男!! いっぺん頭冷やしてこい!! あとかぐやの気道を塞ぐなどいつもこいつも!」
気道を塞がれていたかぐやは顔を真っ赤にしながら桃太の手を振りほどき、そのまま彼を突き飛ばした。この船、それほど柵が高くないのである。
悲痛な叫び声が、青い……いや、若干白い海に飲み込まれていく。
「フン、まったくさ……あ、村だ」
それほど遠くない陸の奥に、かぐやは集落の堀、そして物見櫓を見つけた。
各地に点在する村々には、それぞれ鬼に対する防備が整っている。それ故鬼の襲撃にある程度耐えられるが、反面村を見つけられやすいという欠点があるのだ。そのため、それまでは勇気あるものが飛び出していくだけだった鬼との戦いへの対策として、『村を守る集団』がどの村からでもなく組織されるようになってきたのである。
「浦島さん、村ですよー!! 降りますー?」
操縦席の上で素振りをしている浦島に彼女が声をかけると、その老人は白髭を潮風にたなびかせて頷いた。
悟空とともに砂浜にうちあげられている桃太をおいて、かぐやと浦島は村の門へと歩みを進める。
「……なんだ、ちゃんと泳いで来れるのではないか小僧ども」
「その分、もう立ち上がれないみたいですけどね……うわ、近くで見ると大きい」
その村の柵の高さは目測でも三丈(一丈約3メートル)はある。これ程に堅固な防壁を持つ村なら、そうそう鬼に破られることはないに違いない。だがその高さに、浦島は面白くなさそうに舌を鳴らした。
「また一合戦できると思ったんだが。防備がこれでは」
かぐやはため息をつきながら足早に門番の下へと近寄ると、おずおずと声をかける。
「あの……」
「あぁ、七節かぐやさんですねぇ。そんで、あちらは浦島太郎さん」
(え?)
かぐやが自分の名を知られていることに戸惑っていると、浦島がさも当然のように手で彼女を制する。
「うむ、ごくろうだな。入るぞ小娘。あまりモタモタするな」
「あ、はい」
ズンズンと村の中へと入っていく浦島を、かぐやは桃太達に一瞥をくれてから追いかけた。
村の内側は、酷い有様だった。破壊された家屋に、荒らされた田畑。付近を行きかう住民たちからは生気が感じられず、帯刀する村守の中には傷をあちこちに負ったものもいる。
これを、『鬼の襲撃に遭った』といわずなんとしよう。
「……浦島さん。これ、どうして」
「俺に聞くな小娘。いかに強固な防護策があったとしても、今俺達が戦っている相手に真正面から効能をもたらすと思うか? それに、俺はこの村の住人ではない。詳細は分からん」
浦島の言葉にかぐやはなんとなく頷き、周りの状況へと目を移す。いまだ破壊された家々の修繕さえ終わってはおらず、手の空いているものは皆復旧作業に駆り出されてしまっているようだ。茶栄の時のように同伴する村守もいなければ、現在に至るまでこの村を脅かしている鬼の姿もない。
(……遅かった、ということか)
浦島が無意識に歯噛みする。考えてみれば、鬼王丸の宣戦布告からもう一週間は過ぎているのだ。茶栄の村でいまだ鬼が活動中であったことの方が幸運だったのかもしれない。
「まだ瓦礫の撤去も終わってないみたいですよ。もしかして、ここに鬼が来たのって」
「……そうさのぅ。おそらく昨日今日の話だろうな」
村守の紋を構える村守本部に辿り着くと、浦島は挨拶もなしに中へと押し入った。かぐやも追いついてきた桃太達を引き連れ、中へと同伴する。
「……客人ですか」
半ば歓迎していない声が出迎える。白い無精髭を生やした老人が、疲れ切った様子で簾を引き上げて現れた。
「何用ですかな」
「人を玄関に立たせたまま、『何用だ』とはご挨拶なことだな? まずは案内し、茶の一つでも煎れてくるのが筋というものだろう」
初対面の老人にいきなり言い腐す浦島をみて慌てる桃太を尻目に、悟空が前に出る。
「何があったのか、お聞かせくださいますか? 翁」
彼がそう言うと、茶栄の安土とはうってかわって、
「……助力してくださるのですか?」
部外者を協力させるのに、何の抵抗も示さなかった。
囲炉裏のある部屋に、人数分の湯呑みが配される。
「では、改めまして。私はここの村守の頭首を務めております、城生成嗣と申します。以後よろしく賜ります」
簡素に挨拶し、成嗣は本題を切り出した。
「村は今見ての通り、無残な有様です。たかだか鬼一匹と侮ってかかったのがそもそもの始まりでした」
(……やはり、新種か)
悟空は一人合点する。しかし彼だけでなく、桃太達も村を襲った鬼を『それ』と認識していた。
「今、世では瞳を持つ新種の鬼が現れたと伺っております。そのため我らも武具の支給の増加、防護策の展開などに尽力してまいりましたが、まさか新種でもない鬼一体にここまでしてやられるとは、甚だもって予想外のことでしたよ」
苦々しげに語る成嗣の言葉に、一同は例外なく目を見開いた。
「……どういうことですか? 相手は、従来の鬼一体だったと?」
桃太の拍子抜けしたような視線に、成嗣は微妙な表情を浮かべる。
「はぁ、まあ……瞳を持たず白髪、言葉を交わすこともなくただただ破壊を繰り返す化け物でしたので、新種ではないかと」
白い髪に、瞳のない鬼。これだけで、この村を壊滅したのが芥であることは明白だった。しかし、それならばこの村の状況に矛盾が生まれる。このような惨状を、果たして一芥の鬼が作り上げることなどできるというのだろうか。
「……最近は骨のない村守が多くて困る。自我を持たぬ、獣も同然の鬼一体に徒党を組んで挑み、あまつさえここまでの敗退を喫するとは。この村の村守の底が知れるというものだわな」
浦島が仰々しく嘆息する。しかし、今度ばかりは浦島の言いようを誰も咎めなかった。村守は鬼を倒すため選りすぐられた戦士。断じて素人ではない。それがたった一体の芥すらも仕留めきれなくてどうしようというのか。
「……」
重苦しい沈黙が流れる。桃太達は浦島の発言を否定せず、成嗣は彼の発言に眉をひそめるだけだった。
この村の村守の技量の乏しさを成嗣までもが認めている、ということなのだろうか。沈黙に耐えかねた桃太が、口を開く。
「――――ではその鬼、僕たちが引き受けます。誰もが手練であるはずの村守を一人で打ち負かすその鬼、見逃すわけにはいきません」
浦島が明らかな抗議の視線を送るが、桃太はそれを無視するかのように話を押し進め、成嗣に鬼の討伐期間中、この村守本部へ滞在することを許諾させた。
放たれた矢が、地面へ突き刺さる。
村の付近の茂みで、かぐやは舞花に教わった弓矢の修行をしていた。修行というにはあまりに粗末な、まさに素人の練習とでもいうような有様であったが。
「っ!! 痛い……」
もう何度目とも知れない失敗で、かぐやの体は軋みをあげていた。もともと体力、体格共に優れない彼女には、弓を引き絞るだけでも相当に疲労してしまうのだ。矢を放った後に体勢を崩してしまうのは仕方がないことなのである。
「……くそっ」
早乃譲りの根性で、尚も弓を引こうとするかぐやを見るに見かねた人物が草木の間から姿を現した。
「け、怪我するぞ。もう止めときんしゃい」
「!?」
誰の目にもついていないと思っていた彼女は、現れた門番の男にビクッと体を震わせる。なぜかその門番もかぐやの動きに合わせるようにして飛び上がった。
「……なにしてんですか」
「い、いや、まあ、気にせんの気にせんの。それで、あんたは? 鬼がいつ来るかも分からん村の外で弓引きの練習ってのは、どうにも危険すぎるからよ。門番として、止めねばならん」
「れ……! いや、いいです。どうせまだマトモに当たったこと無いし」
かぐやは弓を下げて汗を拭うと、矢をやなぐいにまとめて門番のもとへ駆け寄る。激しい運動で上気した彼女の頬に、だが門番は魅せられることなくうつむく。
「それにしたって、よくぞまあ俺に見つからないで村から出てこれたもんだよなあ。もし俺が見つけてたら、絶対止めてたはずだからねえ、門番として」
「ま、こっそり抜け出すのは得意ですからねー。昔よくやってたし」
小さな胸を張り得意げになる彼女の脳裏に、鬼のもとで彼女を待つはずの少女の姿が浮かんだ。
「……? なんかしたんか?」
その機微を察したのか、門番は伏せられたかぐやの顔を覗き込む。彼女は慌てて顔を取り繕い、自分がまだこの門番の名前さえ知らないことに気がついた。
「そういえば、あなたの名前。まだ聞いてませんでしたよね」
「ん? ああ、俺ァ周膤殿造ってんだ。そうだな、名前ぐらい教えてねーとな、門番として」
「周膤さん、ですか。七節かぐやです。改めましてよろしくお願いします」
微笑みながら手を差し出すかぐや。佐奈坂であれば卒倒しかねないほどに眩しい笑顔だったが、殿造はそれに面食らうこともなく満面の笑みで応じた。
「おう、よろしくお願いしますわ、門番として」
「いや、かぐや門番じゃないんで」
浦島と悟空が練兵場で模擬戦とは名ばかりの決闘をしている間、桃太は成嗣と共に村の復旧に協力していた。もとよりおせっかいやきの桃太は、人員不足を嘆く成嗣を放っておけなかったのである。
「城生さん、この木材はどこへ置けば」
「ああ、それはあの家の柱に立てておいてください。あとで使います」
滞りなく進められている作業の中で、桃太は村人一人一人の顔色を伺った。
――――凍りついている。これまでに起こった、もしくはこれから起こるであろう脅威に表情を和らげることができない、といった感じだ。これほどまでに村人を苦しめる芥とは、一体どんな鬼なのか。
「……あの、城生さん」
彼らにとって痛ましい思い出を蒸し返すのにしばしためらいながらも、桃太は成嗣に切り出した。
「ん……なんでしょう、七節さん」
「この、鬼の襲撃。いつごろだったんですか」
成嗣は明らかに顔を曇らせたが、やがて重々しく口を開いた。
「…………襲撃は、一日前。小雨が降り、昼から霧のかかっていた不穏な日でした。その鬼は突然、何の前触れもなしに村の中から湧いたのです」
桃太の予想は的中した。村の中からだというならこの惨状にも説明がつく。つまり鬼は外の防御対策を介する事無く、いきなり村に現れたのだ。
「鬼が家屋を荒らして回っているという報告を受けて、私達は慌ててその場所へと馳せ参じました。あとは、先ほど語った通りです。引き裂かれ、叩きのめされ、一矢も報いることなく敗れてしまいました」
「――――?」
ここに、桃太は先ほどから違和感を感じずにいられなかった。
「城生さん。あなたは一矢も報えずと言いましたが、本当にそうなのですか? 芥一人に村守総出であたってるんです。多勢に無勢にも程があるのに」
確かに、鬼の身体能力は人間の比ではない。一度拳を放てば、いかに芥であれその拳は大木を陥没させ、人間の臓物を余す所なく潰しつくす。それ故、村守を志す者は皆まず『回避』の訓練を徹底させられるのだ。そして、その能力を身につけた人間が『村守』として戦うことになる。つまり、村守は総じて一対一で鬼へと挑めるように訓練されているのである。
「……ええ。相手一体に対し、最初の私達は六人。しかしその後も仲間達は続々駆けつけ、最後には十をゆうに超える人数になっていたはずですが……お恥ずかしい限りです。同じ村守として、さぞ失望しておられることでしょう」
「…………」
成嗣がそれ以上自嘲の言葉を発そうとするのを手で制し、桃太は次の仕事へとりかかる。
芥でありながら、大勢の村守を一息に一掃してのける『幽鬼』にも等しい力の持ち主。
その鬼について、桃太はしばらく思考する時間が欲しかった。
「――――ああ、そういえば」
成嗣が思いついたように桃太を呼び止める。
「どうしました? 城生さん」
「いや、ひとつ気がかりなことがありまして」
額に指を当て、記憶を遡る成嗣を、桃太はたいして気にかけずに思考を再開し――――
「そのとき現れた鬼を一目見るなり、『なんでお前が』と叫んでいる輩がおりましてな。本人が言うには、なんでもあの鬼を見たことがある、とか」
――――停止した。
『あ』
かぐやがその家を訪れるのと、桃太がそこを訪れたのは同時だった。
「なんでお姉ちゃんが?」
「と、桃太こそ。この家の人に用事なの?」
二人がやいやい言いあっていると、明らかに機嫌の悪そうな目をした青年が出てきた。
「君らさ……人の家の前では静かにしろよ!! 常識ってのがないのか!?」
二人が体を跳ね上げて反応する。桃太は咄嗟に謝罪の姿勢をとったが、殿造に話を聞いていたかぐやはそれよりも早く話を切り出した。
「弟さんから話を伺ってきました、周膤忠助さん。昨日見た鬼について、あなたが知ってる話を聞かせてください」
語気を荒げていた忠助だったが、かぐやの姿を一目見た途端、先ほどまでとは表情を一変させ、優しく微笑んだ。
「なんだ、僕の客人かい? そりゃあ失礼した。ささ、入ってよ。何にもないけれど、君らに出すお茶くらいは用意できるから、さ」
華麗に片目を閉じ、忠助はかぐや達を中へと招きいれる。中の造りは質素なものだったが、よく手入れしてあるようで、隅々まで綺麗に整頓されていた。
(……綺麗に掃除されてるね、ここ)
(そうだね。一人暮らしなのによくこんな……って、弟がいたんだっけ?)
(うん、殿造さん。ほら、さっきの門番の)
(ああ、あの人がそうなんだ)
「何僕そっちのけで話してんのさ? 二人だけで事足りるなら、帰ってもらえる? 僕、今ちょっと立て込んでるんでね」
二人の前に湯飲みを置いた忠助が、不愉快そうに言う。姉弟は揃って咳払いし、居住まいを正した。
「……城生さんから聞きました。なんでも、先に現れた鬼に面識がある、とか」
「ああ。面識っていうか、あれは驚いたね。まさに僕の妻その人だったから」
沈黙。
『ええぇぇええぇぇっ!!?』
申し合わせたように二人で驚くかぐやと桃太。
「つ、妻ってその、つまり、妻、妻り!?」
錯乱するかぐやの鼻と口を塞ぎ、落ち着きを取り戻した桃太が話を再開する。かぐやこそこんなに騒いでいるが、当の忠助は自分の妻を鬼として見ることになってしまったのだ。心的ショックが少ないわけはない――――。
「その鬼……本当にあなたの奥さんなんですか? ということは、弟さんと忠助さん、奥さんの三人でここに住んでいたと?」
「ああ、そうだよ。といっても、殿造は門番、僕は僕で仕事があったから。この家にずっといるのはあいつだけだっただろうね」
慎重に話を掘り下げていく桃太に対し、忠助はひょうひょうとした態度で応答する。自分が事件の当事者ですらないような振る舞いに、桃太は戸惑いを覚えた。
「ちなみに……奥さんの名前は?」
「それが、今回の事と何か関係があるのかい? あんまり踏み入った話はしないでくれよ、不愉快だからな」
まるでその返答に窮する桃太を見て楽しんでいるかのようにニヤつく忠助。しばらく前に桃太の手から開放され、部屋の隅で息を切らしていたかぐやが真っ赤な顔のまま忠助を睨みつける。
「いいじゃないですか、奥さんの名前くらい。そもそもかぐや達はあなたを助けようとしてここまで来てるのに、踏み入った話も何もないんじゃないですか?」
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん……」
桃太の仲裁も空しく、かぐやの言葉に忠助が目を細める。
「誰が助けを求めたって言うんだい? 君達は僕の意思に関わり無くただおせっかいを焼きに来ただけじゃないか。そんな連中に、なんで自分の妻のことなんて話さなきゃならないんだ? それにもう少し僕に気を使って欲しいね。僕は被害者だぞ? ただでさえ妻の顔をみて気が気じゃないってのに、そこに土足で踏み込んで話を聞こうなんて、とても僕を助けようとしてる奴らの行動には思えないね」
「あんたね……いいかげんに」
「お姉ちゃん、帰ろう。しばらく時間を置くよ」
今にも暴れだそうとしているかぐやを引っ張り、強引に外へと連れ出す。苦やしそうに歯噛みするかぐやを見て、忠助は心底楽しそうに笑っていた。
「……夜に、また伺います」
「ああ、わかった。でも、その子は必ず連れてきてよね。じゃなきゃ何も話さないからな」
「……失礼します」
そう言って、桃太は一度も背後を振り返らずに本部へと戻っていった。
「……あの女の名前なんて、思い出せるわけないだろ。あんな奴、ただの『遊び』だったんだから。いちいち名前なんて覚えてたらきりがない」
「ぐっ……!!」
「ふん! 貴様との旅もここまでだな、猿坊主」
立っているのは浦島だった。
悟空は膝を地に落とし、頭を垂れるように浦島の前でうずくまっている。そもそも、公平を貫くために棒でなく竹刀を持ったのが失敗だったのだ。刀術において、悟空が百戦錬磨の老将に勝てるはずがないのは道理とも言えるほど当然の結果だった。
「くそっ……畜生!!」
そう吐き捨てる悟空に勝利を確信した浦島は、旅の同伴者を消すべく竹刀を構える。浦島の中には、訓練などという遊戯は存在しない。どんな戦いであろうと、等しく相手は一人。相手が一人であれば、たとえ真剣でなくとも『勝つ』か『負ける』かという結果が生まれる。だからこそ、どんな勝負でも手を抜くことは決してないのだ。
「死ぬがいい、猿っ!!」
「やめーーーー!! 浦島さん、だめ!! 殺しちゃだめっ!!」
あと一歩のところで、浦島の竹刀は桃太の声により動きを止めた。
「なんだ貴様!! 代わりに消されたいか!?」
「消されたくありません!! 話があります、悟空さんと一緒に戻ってきてください!」
「貴様……どこまで俺を侮辱する気だ!! もう我慢ならん、来い小僧!! お前から切り刻んでやる!」
浦島が憤慨するのも無理からぬことだった。決着の寸前で敵を見逃すなど、彼してみれば死も同然のことなのだ。
「後で切り刻まれますから、今は来てください! 大事な話です!!」
大事な話という言葉に、浦島はため息をついて竹刀を地面に放った。悟空もよろめきながら立ち上がり、練兵場から出る。
「今後についてか? 小僧」
「……先ほど城生さんから聞いた、鬼のことについてです」
桃太がそう言うと、浦島は明らかに不満そうな顔で片目で桃太を睨みつける。幽鬼でない鬼など、俺たちが手を出すまでもない。視線でそう訴えてくる浦島に、桃太はあえて目をそらした。
「協力してください。今回の鬼、芥にしては被害が大きすぎる」
「で? なんでまたこんなに大勢なんだい? 言っとくけど、あんまり長居するなら出てってもらうよ」
日が落ち、緑の景色が藍色に染まった頃。
桃太は仲間を引き連れ、再び周膤家を訪れていた。話の続きというのももちろんではあったが、桃太は昼忠助が言い放った言葉の真意をどうしても確かめたかったのだ。
(……『ただでさえ、妻の顔を見て気が気じゃなかった』)
これは、どういうことなんだろう。鬼となった妻に、気が気でなかったってことなのかな。
むしろ、そうでなくては。そう願わずにはいられない桃太だった。
「……話の続きです。奥さんの名前は、もう聞かないことにします。あなたの奥さんに似ていたという鬼。それは、その鬼が『奥さん自身だった』ということでしょうか?」
忠助はしばらく思案した後、首を縦に振った。
「……そうなるね。どうも最近、家に帰っても姿が見えなくなっていたようだから」
ようだから、という言葉に浦島が眉をひそめる。どうやらかぐやと悟空もその違和感には気づいているようだ。
「その言い振りでは、あなた自身はそれを知らなかったということでしょうか?」
「言ったろ、僕は仕事で家を空けることが多かったってさ。人の話はよく聞いてなよ、人としてさ」
ニヤニヤと笑いながら桃太を見下す忠助に目を細めるかぐやを制して、桃太は更に続ける。
「……では、なぜあなたの奥さんが鬼などになってあなたの前に現れたんでしょう? あなたの言うことが正しく、真実あの鬼があなたの奥さんなら――――」
「バッカじゃないのオマエ。人が鬼に化けるわけないだろ? そこら辺くらい分かっておかないと、村守としてまずいんじゃないの?」
今までの己の理論を全否定して、賛同した桃太をにべもなく笑い飛ばす忠助。かぐやと悟空は揃って顔をしかめていたが、浦島は蔑まれる桃太を見て満足げだった。
「……では忠助さん、あなたはあの鬼をなんだとお考えですか?」
「――――そうだね。僕は、大方鬼の妖術か何かじゃないかって睨んでるけどね。君達村守としてはどうなんだい?」
妖術。
先の祭音達との争いで、自身が鬼である祭音自ら否定した言葉だ。
「妖術の類。ということは、あの鬼はあなたの奥さんを模した皮に包まれているだけの『化け物』ということですね。…………倒してしまっても、構いませんか」
祭音たちとの戦いに居合わせた三人が、一斉に桃太の言葉に耳を疑った。
「ああ、ぜひともそうしてくれ。この村の村守たちは倒壊した家屋の復旧作業に忙しくしてるんだ、よそ者の君たちがやってくれるんなら城生のやつも喜ぶと思うよ」
僕には関係ないけどね、と忠助は笑う。鬼と退治する権利を得た桃太は、早々にこの家から立ち去ろうと腰を上げ――――
『!?』
狂気に満ちた雄叫びを、耳にした。