想う声
「――!!」
それは突如として、桃太の前に現れた。
「夜……?」
祭音が驚きの声を上げる。
(夜……夜姫!?)
凛とした目つきに、紫の長髪を兼ね備えた鬼。桃太は固まったまま、背の桃太郎を抜刀しようと目を逸らす。
(もらった!!)
桃太のわずかな動揺の隙を、夜姫の金棒がつく。体勢を整えきれないまま金棒を防いだ桃太は後ろによろめき、机の上へと仰向けに倒れこんだ。黒光りする鋼が、桃太に叩きつけられる。
「くっ……!!」
彼がとっさに飛びのかせると、轟音と共に壁が木製の机もろとも粉砕された。
(こんなに狭い場所じゃ……剣が振るえない!!)
「逃がさない!!」
夜姫が金棒を左に薙ぐ。それを屈んで躱し、桃太はそのまま夜姫の脇下をくぐり抜けて出口へ――――
「っ!? あ――――」
頭だけが、彼女のほうへ引き寄せられていく感覚。桃太の髷を掴んだ夜姫は、彼の体を持ち上げ、瓦礫の中へと叩き込んだ。
「がっ……はっ……!!!」
肉体を貫通し、直に骨を軋まされたような激痛に、彼は立ち上がることもできなかった。
「……所詮こんなものよね、人間って。弱い」
振りかざされる金棒。重さで敵を叩き潰すことに特化したその武器は、ためらわれることなく桃太に放たれ、
「夜!!!!!!」
「!?」
祭音の声によって押しとどめられた。
「…………」
無言で抗議する夜姫。
「……もう、いいだろう。そんな坊主にかまけていずに、さっさとここを出してくれ」
そう言う祭音にしぶしぶ従い、夜姫は金棒を腰にたくし込んで鉄格子をひん曲げた。体を包帯で覆われた彼を間近で見てようやくその傷へと注意が移ったのか、夜姫は心配そうに祭音の体に触れる。
「マツ……こんなに……」
「……ともかく、ここは危険だ。私は弱っているし、さっきの破壊音で他の村守に気づかれたかもしれん。その小僧を生かしておくのはいささか癪だが、今は仕方ない。行くぞ」
桃太に息があることを確認し、安堵したような表情を見せた祭音は夜姫を伴い、夜の闇に消えた。
「待って、父さん!」
浦島に付いていこうとしている悟空を、舞花が引き止めた。
「……俺はもうすぐここから出るんだ。今更掟がどうこうだとかは」
言いかけた悟空に、舞花が何かを投げる。光り輝くそれは、取り上げられていた如意棒だった。
「……舞花」
「やっぱり、私父さんには戦っていて欲しい。小さくはなっちゃったけど、それでも戦おうとする父さんが……一番かっこいいって思うから」
偽りのない娘の言葉。それは雨の降りしきる中で、確かに悟空の耳に届いた。
「へっ!! 雨で何言ってんのかわかんねえよ! 必ず帰ってくるから、鍋の片付けでもしてろ!!」
一際強い光を放つ如意棒を手に、悟空は浦島の後を追った。
(……遅かったか……!!)
駆けつけた浦島の左目に映ったのは、無惨に破壊された牢と、その瓦礫の中に横たわる桃太だった。
「しくじりおってガキめが!! だから言ったろうのだ、鬼があのまま大人しくしている訳がないとな!!」
既に意識のない桃太を罵倒し、浦島は外を見回す。しかし、闇夜には雨音しか響いてはいなかった。
(くそっ……)
逃がしてなるものか。
あんな、人間にただ災厄を広めるだけの存在を、逃がしてなどやるものか…………!!
「おい、爺さん!!」
浦島が振り返ると、ちょうど悟空が破壊された牢の前で呆然としているところだった。
瓦礫で気絶している桃太を見て、何とか担ぎ上げようとしている。
「なぜ来た? 貴様では足手まといでしかないと分からんかったのか?」
「ふざけんじゃねえ、祭音は俺の敵だ。てめえみてえなジジイ一人に任せちまって逃がしたりでもしたら、俺は妙に見せる顔がねえだろ」
「そうか。死にたいのであれば止めはせん。だが、それは何の真似だ? そんな小僧一人にかまけていて、先の言葉といきなり矛盾しておるではないか」
悟空は、は? と目の前の老将を睨み付けた。
「生きてる人間のほうが大事だ。何言ってんだよ、あんた。こいつはあんたの仲間なんだろ? 頭から出血してる、早く介抱してやらねえと」
そう言いながら助力を求めてくる悟空を、浦島はさもおかしそうに嘲笑った。
「一石二鳥だな。この七節の坊ちゃんは鬼を逃し、あまつさえその鬼によって逆に殺された。小僧は死に、俺は鬼を倒して先の恨みを果たせる。これ以上のことはないぞ」
「…………っ! 爺、オメーな……」
悟空が拳を握り締める。それを見て、浦島は大げさにため息をついた。
「こんなところで俺などに感情を爆発させてくれるなよ。貴様の怒りに付き合っている暇もないし、なによりそんなものは邪魔だ。お前の怒りはそんなものなのか? 妻を殺された怒りはどこにいった? お前――――お前は、『一体何のためにここまで鬼を追ってきた?』」
無表情に、悲しみにも似た感情をたたえる瞳を携えた浦島から語られた『常識』に、少年は静かに息を呑んだ。
「他人を省みるな。戦場で、残していく者を振り返るな。……すでに亡き者を抱きかかえ、後悔するよりはずっといい」
刀の一本を引き抜き、浦島は気配を追って闇の中へ消えた。
「…………っ」
経験に裏打ちされた老将の言葉に、悟空はある記憶を思い出す。
(……俺は、妙を)
護れなかった。
(……いや、違う。それだけじゃねえ)
気が狂ったように森を彷徨った夜。
薙ぎ倒される木々の音、あがる叫び声を頼りに、妻の姿を――――妙の姿を探した。
(ただ、生きていて欲しかった)
それだけを願い、無我夢中で森を駆けた。
それなのに、俺の目に飛び込んできたのは、妙の――――!
「…………祭音っ……!!」
歯軋りの音。地に横たわらせた桃太を一瞥して、悟空も闇に突き進んだ。
木々を縫い、森の奥深くへともぐっていく。普段なら別段気にもならないその凹凸の道を、祭音は息を切らして走っていた。
「……待て、夜。どこまで、いくつもりなんだ」
「…………」
雨は一層激しさを増す。祭音の言葉に、夜姫が慌てて立ち止まった。高く濃く茂る草木のおかげかある程度は軽減されているものの、鬼達は互いの顔を見ることだけで精一杯だった。
「もう追手もない。ここなら追いつかれることもそうそうないだろう。夜、早く獣道で……夜?」
祭音が、俯いた夜姫の顔を覗き込む。
――――――伏せられた目は、静かに涙を流していた。
「……やっぱり、できない」
雨に紛れてそう呟いた夜姫は、ゆっくりと体を傾け、祭音の胸に顔をうずめた。
「夜……?」
「……私、あなたを始末するように言われて来たの。あなたがやられて牢に村守と歩いていくのを見て、きっと始末されてしまうと思った。どうすればいいのか分からなくなって頭に報告したら、今度は頭があなたを消せって言うのよ。頭が真っ白になって、『どうせ殺されてしまうなら、せめて私が』だなんて思ってしまった。ごめんなさいマツ。こんなこと、会ってすぐ話すべきだったのに! 私は……私は今の今まで、どうやってあなたを殺そうか、なんて考えてた!! ああごめんなさいマツ、わた、し…………」
堰を切ったように言葉を発する夜姫を、祭音は黙って抱きしめた。
「あ…………」
「……もう言うな。お前の気持ちは分かったし、私は嬉しい。お前はこうやって、私にちゃんと話してくれたではないか。……二人で逃げよう、夜。大丈夫だ、必ず逃げおおせる」
祭音に聞こえない嗚咽を漏らしながら、夜姫は彼の提案を受け入れた。
「ありがとう、夜」
雨の音さえ気にならない二人。
降り注ぐ雫の重さに耐え切れず、一枚の緑の葉が地に落ちた。
「う……」
「大丈夫ですか、桃太殿」
安土に揺さぶられ、桃太は目を覚ました。
「何があったんのです。あの鬼に、ここまでの力は残っていなかったと思うのですがね」
「……すみません。鬼が、もう一人現れて……」
もう一人の鬼と聞いて、安土の後ろに控えていた村守たちが目を見開く。
「……ならば仕方ないでしょう。私とて、鬼がもう一体現れるとは考えなかった。牢を的確に襲ってきたということは、その鬼も『新種』ですかな?」
焦りの色を見せ始めた安土に、桃太は無言で頷く。
「……そうですか、なら急がなければなりませんな。第一小隊は祭音、第二小隊は現れたもう片方の鬼を追え。私も同伴する。第三小隊はお二方、浦島殿と孫さんを見つけ次第、保護しろ。第四小隊は直ちにこの者を本部に送り、治療を施せ。それが済んだら、孫舞花を護衛するんだ」
了承の声とともに、村守たちは各々《おのおの》の指令を遂行する。担ぎげられる桃太に、安土は冷たい視線を向けた。
「……これ以上被害を大きくするわけにはいきません。やつらは追い詰め次第、倒させてもらいますが……まさか、その体で文句はありますまいな」
何も言わない桃太に微笑み、鬼を探して歩み去った。
(……何考えてんだ、僕の馬鹿)
気がつけば二人の鬼を救う方法ばかりを考えている自分を心の中で叱咤し、桃太は目を閉じた。
(今は考えなくていい。あの二人なら、そう簡単にやられないさ……)
違う違う、と彼は首を振る。知らず知らずのうちに祭音に肩入れしていた事実に気付かされ、はあ、とため息をついた。
(……疲れてるんだ。今は、……今は休もう。また明日聞かせてもらえばいいさ)
そう頭の中で桃太の言い聞かせ、桃太は意識を閉じた。
(………………何を?)
あの鬼達と顔を合わせることは、もうない。
体にそう訴えかける脳からの信号をも、彼は遮断した。