8 教室から出られませんわ……
ロワイ様がいなくなると、私達の空気を読んですっかり空気になっていた先生が、1つ咳払いをして授業を始めました。
「では授業を始める。今日はP123からだったなー」
先生がそのように話すと、一斉に教科書をめくる音がして、私ももちろん、教科書をめくりましたわ。そうして、あっという間にいつもの授業風景へと変わります。
ですが私はあまりにも怒涛な展開に、内心授業どころではありませんでしたの。
なぜなら私、これまでの日々の中で殿方と触れ合うといった経験がほとんどなかったのです。それなのに、たった数十分の間にキスのフリと抱擁!?
もっと小刻みがいいですわ。
これまでは淑女として男の人との触れ合いを極力避けていましたが、実際に触れ合ってみると案外まんざらでもない私です。
そのような訳で2人の殿方とのラブロマンスのようなやり取りを思い返して、ポーっと頬を赤らめながら上の空になっていた私は、授業中であることを思い出して慌てて気を引き締めました。
私、昨日も授業をろくに聞いていなかったので、このままでは成績が地に落ちてしまいそうですわ。
そうなると、お父様にお願いして学園に裏金を積んでもらわないといけませんわ?
そうしたら私の真面目かつ繊細な家庭教師が『お嬢様の成績がお悪いのは、全て私の不徳といたすところです!』とか言い始めて家庭教師を辞めてしまうかもしれませんわ!?
なので私は一生懸命授業に集中しようとしましたの。でも、どうしても周りの囁きが小耳に入ってきてしまうのです。
「なぜですの……」
「ジャン様をどうやって……」
「ロワイ様と不仲だと思っていましたのに……」
「う~ら~や~ま~し~や~」
女子達から、地の底を這うような怨嗟の声。
ジャン様もロワイ様も人気がおありなんですね?
教科書で顔を隠しながらそっと周りを見渡すと、バチバチバチッと続けざまに3人くらいと目があってしまったのですが、皆様、髪の毛を少しだけ口にくわえて壮絶な形相をしておりました。
ですが『怨めしい』ではなく『羨ましい』と言うあたりに育ちの良さを感じますわ。さすが由緒正しい貴族ですわ! いずれも素敵なご令嬢で、私の自慢のクラスメイトなんですのよ。
名前は適当に令嬢ABCとしておきましょう。
妬み嫉み程度ならさして支障ないですわ。
私、家柄も外見も内面も、物心ついた頃からとても恵まれていますので、嫉妬されるほうには耐性がありますの。むしろ心地よいくらいですわ?
なので思うがままに嫉妬してくださって構いませんのよ。心を存分に解放なさいまし! 私はその全てを受け止めると見せかけて、軽やかにいなしてさしあげますわ! ほーほほほ!
そのように考えていたので、私、まったく問題にしていなかったんですの。だから、まさか、休み時間に物理的な妨害をされるなんて考えもしなかったのですわ。
しかも、それをしたのは……まさかのブリジット様だったのです!
「なぜですの……ブリジット様……」
授業が終わり旧校舎に行こうとした私は、教室の扉の前で両手を広げて通せんぼするブリジット様に、驚きながらそう質問しました。
ブリジット様はチワワのようにプルプルと震えながらうるうるとした瞳で私を見つめております。
正直に言うと、ブリジット様を振り払ってドアを開けるのは造作もないのですが、そうしたら罪悪感にかられそうなのでできない私です。
「イレタ様こそ、なぜですの? イレタ様はロワイ様の婚約者なのに、ロワイ様のことはもうよろしいのですか?」
私、ブリジット様のこの言葉と、これまでのブリジット様の言動から、1つの可能性に思いいたりました。
もしかして、もしかするとですが……ブリジット様はロワイ様がお好きなのかもしれませんわ。ですがロワイ様は私の婚約者なので、涙を飲んで自身の心を殺し、陰日向からずっと私達のことを応援してくださっていたのかもしれませんわ!?
なんて、健気な……!
ですが私は、次の休み時間に旧校舎に行くと約束してしまっているのです。今もジャン様は、貴重な時間を割いて私を待っているかもしれません。なので私は、ブリジット様をなるべく傷つけないように心を配りながら、そっと声をおかけしましたの。
「ごめんなさい、ブリジット様。でも私、ジャン様との約束がありますの。ですから、ここを開けてくださいませ」
「嫌です、嫌ですわ、イレタ様……だって、私、大好きなんですの……」
ブリジット様はそう言うと、はらはらと美しい涙を流して私に続けてこう言いました。
「私は、ロワイ様に浮気されても蔑ろにされても、落ち込まずへこたれず、戦いにいくイレタ様が大好きなんです! 諦めるなんて困りますわ! 平穏な幸せなんて似合いませんわ! イレタ様にはいつまでも末長く波乱万丈でいて欲しいのです!」
「ええ!?」
私は、ブリジット様のカミングアウトに、怒ることもショックを受けることも考えつかず、ただただひたすらに驚いたのです。