07 私はパンを焼き上げます
お読みいただきありがとうございます!
07 私はパンを焼き上げます
さて、鯨骨職人さんの所の仕事は面白く、刺激的だったのですが、家にいる際に体に内出血があるのをお母さまに見つけられ「淑女にあるまじきことですよ」と残念ながら辞める事になりました。
おしゃれも身の内ですね。はは、命まではかけられません!!
今日も今日とて私は仕事を探しているのですが、これは……と思う仕事を発見しました。パン工房です。美味しいパンを焼く工房は、いつもいい匂いがしていて、大好きな場所の一つでもあります。
「パン工房ってどうですか?」
「ブリジッタ嬢なら問題ないでしょう」
問題がある人ってどんな人なんでしょうね?
職員さん曰く、パン屋は街の住人の生活に直結する大切な仕事なので、市の参事会などの規制がとても厳しいのだそうです。小麦の価格や燃料代などから厳密にパンの値段が決められており、その質も定期的な抜き取り調査が専門の役人によって予告なしに行われるのだそうです。
「というわけで、余り家庭に恵まれていない人が働くと、言いがかりを付けられたり、パンの大きさで文句を言う客に絡まれたりとか大変なんですよ」
なるほど。出来る限り同じ大きさで作るつもりでも、多少の大きさの差は出来てしまいますもんね。小さいのにあたったとしても、値段は変わらなければ不満に思うでしょうし、財布の中身が厳しければ「小さくなった」と不満に思う心理も高まります。
パン屋さんは大事な仕事ですが、その分恨まれたり疎まれたりする大変なお仕事みたいです。
人によってはパンと水だけで何日も過ごしたり、小麦の少ない固いパンを沢山食べなければならない貧しい人もいますから、その貧しさを実感させるパン屋の存在は、八つ当たりだとしても腹立たしく思うのかもしれません。
∬∬∬∬∬∬∬∬
パン工房は家からほど近い場所でしたが、私の家は別の工房から購入しているので、直接の知り合いではなさそうです。
「はじめまして、私、臨時職で商業ギルドから紹介を頂いています。ブリジッタと申します。ビータとお呼びください」
「おお、メイヤーさんのお嬢さんだね。しっかりした人だと聞いているよ。俺の名前はフレッドだ。よろしく頼むよ」
フレッドさんは、逞しい体の年配の男性でした。顔は見覚えがあります。
「それと……この子も工房の隅にでも置いていただけますでしょうか。大人しい子なのでご迷惑は掛からないと思います」
「まあ、特別だ。パン窯は熱いし危険だから絶対近寄ったら駄目だ。それと、この辺りには子供の浮浪者もいるので、見かけたら声をかけてくれ」
下町には修道院の孤児院に入れない街の外の子達が何人もいるとは聞いていましたが、こっそりパンを盗みに来るのでしょうか。それ以外でも、勝手に他人の家に入り込んではいけないので当然です。
「……わかった……」
「よし、じゃあ、早速仕事だ」
パン屋さんの日常が始まります。
パン屋さんは朝とても早いです。暗いうちから窯に火を入れ最初に安いパンを焼いていきます。安いのは黒麦が多めで、焼き上がったとしても小麦だけのパンより最初から固いパンです。
次に、小麦の量の多いちょっとだけ黒パン。そして、最後に柔らかいホワホワの小麦だけのパンを焼きます。
その後、持ち込まれた焼くだけのパンを預かり、近所の人たちはその間に、パンを購入したり、パン生地を持ち込んで焼いてもらう依頼をしたりします。
因みに、帝国ではパン屋さんは街の有力者の中に数えられる存在です。フレッドさんも顔を知っているのは、そういう理由なのです。
「お嬢ちゃん、黒パンはどれだい」
「この、一番左のものになります」
私の朝の仕事は、焼き上がったパンを並べて売る仕事と、パン生地を預かる仕事になります。お金のやり取りも少なからずあるので、私のように身元のしっかりしている人間の方が喜ばれるようです。
中にはパンの大きさに文句を言う人もいましたが、教わった通りに、大きさ値段は市の参事会で決められているし、定期的に抜き打ち検査を受けて問題がある場合はその時点で是正されるか罰せられるので、それはあなたの気のせいだとピシャッと言い切ると、相手は言い返すことが出来ないようでした。
「珍しく仕事ができている」
「……そんなことありませーん、いつもとおんなじでーす」
プルちゃんに揶揄われながらも私は、しっかりとパン屋のお仕事をしてフレッドさんにも「よくやっている」と初日からお褒めの言葉を頂きました。
昼からは、翌日のパン生地の仕込みをフレッドさんがするので、その手伝いです。勿論、沢山の職人さんがいるので、私の仕事は補助の補助のような仕事になります。
中でも楽しみなのは、新作の試食や、修理した窯での試し焼きで出るパンを食べさせてもらう事です。焼き立てのパンを食べたことがないわけではありませんが、本当に目の前で焼かれたパンを食べるのは初めてです。
「どうだ、味は」
「おいしいです~」
「……いや、どう美味しいかって話なんだけどな……」
私の頭の中には、これ以上の思いが浮かびませんでした。
――― そう思っている時代も私にはありました。
断食というものがあります。四十日間、乳製品や肉、魚に卵を食べずに過ごす事になります。冬の寒さの一番厳しい時期に始まり、春半ばにそれが終わります。
元々、日曜日は労働をしてはいけない日……ということでパン屋も休みのはずなのですが、明るくなる時間までであれば前の日の続きということで、日曜日は夜中から明け方までパンを焼くのです。つまり、食事制限をして真冬の一番寒い時期に夜中に働く……ということです。
「ゴホッゴホッ」
「ビータ。休んでもいいんだぞ」
「しょ、しょんなわけには……ゴホッゴホッ」
パン焼き窯の周りで作業している職人さんたちは冬は温かですが、下働きの私は、割と寒い場所で夜中仕事をしているので風邪をひいてしまいました。
結局、断食月中はパンの消費も減るので手伝わない方が良いという事で、お休みをいただきました。その後、復帰しようと思ったのですが、新しい職人見習の男の子が入ったので、私はお役御免になりました。
でも、今では時たまパン工房に顔を出して、フレッドさんや顔なじみの職人さんとお話したりしますし焼き立てのパンを頂いたりします。勿論、お金を払って買う分とは別にですけど。
お風呂のついでにパン工房に寄るようになったのは、この仕事の後の新しい習慣かも知れません。