幸福の記憶
人生において最も幸福であった時のことを思い出そうとすると決まって一つの情景が思い起こされる。それは私と母にだけに共有されていた記憶。荒いながらも暖かみのある劣化したフイルム映像のような記憶。
まだ幼い私は母とのピクニックの約束のため手を引かれ歩いている。私と母は帽子をかぶっていて薄着の肌に当たる陽光は心地いい。
道中のコンビニで菓子パンとアイスクリームを買ってもらい公園を目指す。
公園に着くや否やピクニックなどそっちのけで遊具で遊びたいと気がはやる私を母はなだめ、木漏れ日がさす涼しそうなベンチを指さし先におやつを食べようと提案する。私は早く遊びたかったがアイスクリームが溶けてしまうというのでしぶしぶ母の提案に従うことにした。
ベンチに座り買ってきたものビニール袋から引っ張り出して食べる。
母はもっとゆっくり食べなさいというが私はアイスクリームが溶けてしまわないか心配で大急ぎで菓子パンを食べてしまった。そしてアイスクリームに手を伸ばし、これまた急いで包装を開けるとほとんど溶けておらず胸をなでおろす。
私はアイスクリームに夢中になりながらもなんとはなしに母においしいねと声をかけると母も私においしいねと声を返してくれた。ふと母のことが気になり顔を覗くと視線に気づいたようでどうしたのと私に聞いてくるが何でもないよと答える。
私の様子を訝しみながらも母は優しい顔をしていて、声もなんだか心地が良く私は不思議と満たされた気持ちなる。
なんだか楽しい気分になった私はたまらなくなりアイスクリームの食べ残しを母に押し付けジャングルジム目指して走り出す。頂上から見る景色と高いところに登るスリル感が好きで私のお気に入りの遊具だ。
私の他に上っている子供はおらず独り占めするのが嬉しくて頂上に一目散に駆け上がると火照った体に風が涼しく、公園のそばを流れる川まで見える景色は心地いい。
私は頂上にいる自分を見てほしくておおいと声を張り上げると母は帽子を被り直し、急ぐでもなくこちらに歩いてくる。
私はそれがじれったくて早くとはやし立てる。母ははいはいと返事をするが急ぐ様子はない。それでも私はまた早くとはやし立てる。急ぐ気がないのは何となくわかっているがそれでもかまってくれるのが嬉しくて何度も声を張り上げる。
ジャングルジムのところに母が来てくれると一目散に駆け寄り、一緒に遊びたくて別の遊具に向かって手を引いた。
その時の母の手は少しカサカサしていたが私の手を包み込むほどに大きくて暖かかった。
母を独り占めにできるのが嬉しく時間を忘れて遊んだ。私が遊んでいる間母はほとんど木陰で休んでいるだけだったが、ずっと私を気にかけてくれていて声をかけると手を振り返してくれた。それだけなのにやけに嬉しくていつまでもそうやって遊んでいたかった。
気づいたら空が朱く染まり始めていた。母がそろそろ帰ろうかと言い出し、少し名残惜しかったが自動販売機でジュースを買ってあげるからというので遊び通しでのどが渇いた私は母の言う通りにした。
買ってもらったジュースを飲みながら夕焼けの中で母に手を引かれ家路につく。いつの間にかおなかが減っていて、母に今日の晩御飯は何か聞くと昨日の残りのカレーかなと答えた。母は二日続けては嫌かなというので私は大好きなカレーなら毎日でもいいよと答えた。
夕陽を背にそんなたわいもない話をしながら歩いていると、どこからか児童の帰宅を促す放送がに聞こえてきた。
私はこの放送を聞くたびに一日の終わりを残念に思うのと同時に明日への期待に胸を膨らませていた。
かつての私は変わり映えのしない毎日を送りながらも明日を迎えることが楽しみでこれからの自分に期待していた。そんな私にとって母との時間は幸福そのものであり、微笑みを湛える母は幸福の証だった。
私がまだ幼かった頃から時間がたち、この記憶が私だけのものになってからもしばらくになるがこの高揚感を伴って思い出される情景が風化することはない。
確かに私の中にあり続けるこの記憶は、人生につまずき何もかも嫌になってしまいそうになる時に決まって私を支えてくれた。あの頃のように満たされる瞬間が訪れることなどもうないのだろうとはわかっていながらも諦めきることなどできずに再び前を向くきっかけをくれた。
そして、この幸福の記憶がいつまでも風化することなくいままでのように心の支えであり続けてくれることを私は切に願う。