食うか、食われるか
レオン王子の前に立ったスールは、俺の顔を見てゾッとするような笑みを浮かべる。
「ククク、コーイチ。君はいつも私を楽しませてくれるな」
「……そうかよ」
俺は暑さとは別の意味で、背中が汗でぐっしょりと濡れているのを自覚しながら、スールに笑いかける。
「だったら礼にそこをどいてくれないか? 俺はレオンに用事があるんだ」
「ククッ、そこで戯言を言うだけの胆力があるのはたいしたものだ」
肩を揺らして笑ったスールは、両手を大きく広げて大きな声では話す。
「ここを通りたければ、私を倒して進むがいい。あの地下で対峙した時とは逆の立場だ。それもまた一興だろう?」
「クッ……」
かつてグランドの地下で下水のヌシ、巨大アリゲーターのセベクを守るために俺が立ちはだかった時とは逆の立場だとスールは言うが、状況は全く違う。
あの時も圧倒的優位に立っていたのはスールだし、何なら奴の気まぐれで命を救ってもらったようなものだ。
スールの実力は未だ未知数だし、魔法なんて何が起きるかわからないものを前に、正面から戦うのは余りにも無謀過ぎる。
調停者の瞳という未来を先読みできるようなスキルはあったりするが、身体能力が上がるわけではないので、回避不可能な範囲攻撃や、反応できない超高速の魔法でも撃たれたらそれでお終いだ。
いつかは決着を付けなければいけない相手なのは確かだが、今はまだスールと戦うのは圧倒的に情報が少ない。
シドと泰三、三人で連携して挑んだところでスールを倒せる保証はないし、何より奴の目的は俺たちを倒すことではなく、時間を稼ぐことなのだ。
「おい、コーイチ」
スールを前に二の足を踏む俺に、シドが隣にやって来て話しかけてくる。
「二人で盛り上がっているところ悪いが、お前はこれから何が起きるのかわかっているのか?」
「ああ、大体ね」
どうやらことの重大さに気付いていないシドに、俺はこれから起こるであろうことについて話す。
「シドはハバル大臣の目的は何だったか覚えている?」
「えっ? あ、ああ、確かフリージアを狙ってるって話だったよな。あいつを喰らって……まさか!?」
「そう、そのまさかだよ」
ようやく気付いた様子のシドに、俺は答え合わせをするように話す。
「魔物となったハバル大臣は、血の繋がりがあるフリージア様を殺して食べることで、自分が混沌なる者の分体になろうとしていた。だが、その役目は別にハバル大臣である必要はないんだ」
例えば同じ王族の血を引く別の人間が魔物となり、既に混沌なる者の分体手前にまで成っている者を喰らえばどうなるか?
足すか、足されるかの差ならば、結果は同じになるのではないかということだ。
「おいおい、それって滅茶苦茶ヤバイじゃないか」
俺の話を聞いたシドは、ズラリと並んだ牙を覗かせてスールを睨む。
「だったら今すぐあの野郎をぶちのめして、レオンの野郎を止めないと……」
「そうだけど……それをスールが許してくれるはずないだろう」
「その通りだ」
「「――っ!?」」
スールの声が割って入って来たと思ったら、俺とシドの体に見えない何かが圧しかかって来て堪らず膝を付く。
「あぐっ……」
このまま潰されて殺されるかと思ったが、地に伏したところで圧力は少し弱まり、身動きは取れないが死ぬことはなさそうだった。
「ぐぎぎ…………」
一瞬で地に伏した俺に対し、シドは歯を食いしばって抵抗し続ける。
立っているシドへの圧力は俺の比でないのか、彼女の目は真っ赤に充血し、鼻から血がポタポタと地面へと垂れていた。
このままではシドが潰れてしまうと思った俺は、手を伸ばして彼女の足に触れながら話しかける。
「シド……頭を下げるんだ。そうすれば少しは楽になる」
「で、でも!」
「お願いだ。このまま抗ってもスールに辿り着く前に、シドの方が壊れるから無理はしないでくれ!」
「コーイチ…………」
俺の必死の懇願が届いたのか、シドは泣きそうな目でこちらを見た後、ゆっくりと姿勢を低くして頭を地面に付ける。
「……うっ!?」
同時に獣化の限界が来たのか、シドがうめき声を上げたかと思うと彼女の全身を包んでいた白い毛が抜け落ち、いつもの見慣れた姿へと戻る。
「シド、待ってろ」
俺はアサシンスタイルになる時の黒いフードを取り出し、獣化が解けた影響で上半身が裸になっている彼女の胸元だけでも隠してやる。
頭を上げられないので多少の苦労はしたが、どうにかシドの胸元を隠した俺は、背後にいたはずの泰三へと目を向ける。
「……泰三、大丈夫か?」
「どうにか……」
シドのように抵抗はしなかったのか、特に怪我した様子のない泰三は顎でスールを示しながら話す。
「ただ、僕の力では何も抵抗できないです。浩一君の方でどうにかできないですか?」
「いや、俺の方でも厳しい」
実は先ほどから調停者の瞳を使って、自分の上に脅威となる赤い何かが乗っているのは見えるのだが、手を高く上げることができないので、見えるのに手も足も出せないでいた。
もしこの魔法に対抗するのならば、魔法が発動する前にキャンセルするつもりで動く必要がありそうだった。
「フッ、ようやくおとなしくなったな」
俺たちが揃って地面に縫い付けられたのを見たスールは、立ち尽くしたまま動かないレオン王子の眼前に手を掲げる。
「ペンターの置き土産よ。今こそ奴の悲願を果たすがいい」
すると、その言葉が合図だったかのようにレオン王子が動き出し、ハバル大臣の死体へと覆いかぶさって行くのが見える。
「クソッ!」
未だ晴れることのない上からの圧力の中、俺はダメもとでレオン王子に向かって叫ぶ。
「レオン、お前はそれでいいのか? いいように操られて、自分の大切な国を壊しちまっていいのか!?」
「無駄だ。いくら叫んだところで、こいつが自我を取り戻すことなど無いよ」
俺を嘲笑うかのようなスールの声が聞こえたかと思うと、ハバル大臣に覆いかぶさっていたレオン王子の体が禍々しい赤い光に包まれていった。




