影の中からこんにちは
「い、一体何が……」
ペンターが船倉に現れた時、ソラはもう絶対に助からないと思った。
頼みの魔法すら封じられ、唯一戦闘能力があるうどんだけでなく、ウォルとファンが倒された時点で、ソラたちに打つ手は何もなかった。
後はペンターの好きなようになぶり殺しにされるだけかと思われたが、信じられないことが起こった。
ペンターの背後から黒い何かが伸びて来たかと思ったら奴の体を捉え、背中を突き抜けて胸から飛び出してきたのだ。
「あが……あがが……な、何が……」
胸を貫かれたペンターは、腕を伸ばして胸に刺さった刃物を掴もうとするが、ナイフは嘲笑うかのように胸の中へと消えて行く。
「だ、誰じゃ!?」
口から黄色い体液を撒き散らしながらペンターが背後を振り返るが、そこには船倉の壁が見えるだけで、誰かがいた気配すらない。
「おのれ卑怯じゃぞ!」
どの口がそれを言うのか、とペンター以外の全員が思っているが、誰もが目の前で起きていることに理解が追いついていない。
「あ、あのナイフは……」
ソラも何が起きているのかわかってはいなかったが、ペンターの胸から飛び出したナイフには見覚えがあった。
いや、これまで何度も自分たちの命を救ってくれた、あの人の愛用の武器を見間違うはずがなかった。
「コーイチ……さん?」
ソラがナイフの持ち主の名を呟くと、再びペンターの周囲に異変が起こる。
ペンターの足元、不気味なフォルムの影が変形したかと思うと、黒い何かが音もなく飛び出して来て、虫人の背後にぶつかったのだ。
「ぎゃああああああぁぁ!!」
再び背中を貫かれたペンターは、情けない叫び声を上げながら背中へと手を伸ばして、襲いかかってきた者を捕まえようとする。
だが、
「うどん、俺の声が聞こえたなら思い切り暴れてやれ」
黒い人影が声を発したかと思うと、ペンターの胸部がガタガタと震え出す。
「や、やめ……が、がが、があああああああああああああああああああああああああああぁぁ!!」
次の瞬間、ペンターが絶叫したかと思うと、虫人の胸から上が爆ぜるように弾け飛ぶ。
「う……あ…………わ、儂が…………こんな……」
胸から上をバラバラにされたペンターは、薄れゆく意識の中で残った複眼で自分を倒した者の正体を見極めようとする。
「ぷぷぅ!」
一つは自分が捉え、持ち帰って研究しようと思っていたはずの実験動物、意識を奪っていたはずなのに何故か覚醒したトントバーニィ。
そしてもう一人は黒い人影……何者かと思ったが、黒い影が剥がれるように頭頂部から徐々に中身が露わになっていく。
「やはい…………最後に立ちはだかるは…………お主………………か」
殆ど失いかけた意識の中で、ペンターは予想通りの人間に倒されたことに笑みを零す。
「クク……ク…………次こそ…………決着……を…………着け……ぞ」
油断なくこちらを睨んでいる自由騎士の顔を見ながら、ペンターの意識は虫人の目の光と共に消えて行った。
「ふぅ……」
バラバラになった虫人が完全に動かなくなったのを見て、俺は大きく溜息を吐く。
「ぷぷぷぅ!」
「わっ、うどん」
うどんが「怖かった」と言いながら抱き付いてくるので、俺は安心させるために毛玉を優しく撫でる。
うどんの茶色い毛はペンターに飲み込まれていたからか、少し黄色く染まり、ついでにベタついて独特の臭いがした。
だが、両手に収まる小さな体で必死に頑張ったであろううどんを、ベタついて臭うからという理由で忌避することはない。
「うどん、本当に頑張ったな。皆を守ってくれてありがとう」
「ぷぅ」
労いの言葉をかけながら優しく撫でていると、うどんは「疲れた」と小さく呟いて丸まって動かなくなる。
念のために顔に耳を近付けて見ると、規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
極度の緊張から解放されたからか、うどんは疲れ果てて寝てしまったようだ。
「うどん、お疲れ様」
体に付着した黄色い粘液を拭き取りながら、俺はこの場……事前に危険が迫った時の避難場所に指定されていたダルムット船の船倉にいる人たちへと目を向ける。
ウォル爺さんとファンさんが倒れていたが、そちらにはミミさんとショコラちゃんが付いているので、俺は残っている人へと目を向ける。
何があったのかわからないが、ミーファは寝ているようだがソラの様子を見る限り心配はないようだ。
後はネイさんにフィーロ様、それに三人の子供たちや他の地下遺跡に住んでいた人たち全員が無事なようだ。
「よかった……」
ダルムット船に避難した人たちに犠牲者が出なかったことは喜ぶことだが、こうなると気になることが一つある。
突然現れた俺に皆が驚くのは何となくわかるのだが、そろそろ誰か俺との再会を喜んでくれてもよくない?
ミーファは寝てしまっているので仕方ないにしても、ソラぐらいはうどんと同じタイミングで駆け寄って抱き付いてくれると思っていただけに、未だに動きが見えないのはちょっと寂しい。
流石に誰も口も開かないのは気まずいので、俺は固まっている皆に声をかける。
「あ、あの~……」
「――っ!?」
俺が口を開くと、ソラをはじめ全員が俺に向かって指を差す。
「えっ、何?」
思わず自分自身を指差すと、全員がそろって首を横に振って再び指を差してくる。
それはつまり、俺ではなく俺の後ろに何かあるということか?
念のために腰のナイフに手を伸ばしながら振り返るが、背後には何もない。
「何だ……」
何もないじゃないか……と呟きそうになったところで、俺は足元に違和感を覚える。
視線を下げると、足元から細い棒のような黒い影が伸びて来ているのが見えた。
「あっ……」
自己主張するように伸びてくる影を見てあることを思い出した俺は、伸びて来た棒のような影を掴んで引っ張る。
棒かと思われた影は引き上げると人影になり、俺が掴んだ部分は腕であることがわかる。
「すみません、忘れてました」
謝罪の言葉をかけながら俺が人影の肩をポンポンと叩くと、全身を覆っていた黒い影が剝がれる。
「もう、終わったのなら早く引き上げなさいよ! この中、暗くて寒いのよ!」
「すみません、すみません……」
黒い影から現れた涙目のレンリさんに、俺は何度も頭を下げて謝罪の言葉を重ね続けた。




