ただそれだけなのに……
その瞬間、何が起きたのかを全く理解できなかった。
レオン王子の背中から突き出たドクドクと脈打つ真っ赤なものを見て、俺は生物の授業で習った心臓は、あんな形をしていたなという全く見当違いのことを考えていた。
だって、そうだろう。
ハバル大臣は最初は敵だと思っていたが、改心してカナート王国のため、互いの命を賭して強敵と死闘を繰り広げたのだ。
少年漫画のように宿敵だったハバル大臣と手と手を取り合い、真の敵である混沌なる者の軍勢との最終決戦に挑む展開になると思っていた。
だからこれは夢、そうに違いないと思いたかった。
「……かはっ!?」
「――っ、レオン!」
しかし現実は何処までも残酷で、苦しそうに血を吐いて地に伏すレオン王子を見て、現実に戻った俺は彼に向かって駆け出す。
「レオン王子!」
「今、助けます!」
「ハバル大臣、血迷ったのですか!?」
後れを取ったが、正気に戻った獣人の戦士たちもレオン王子を助けるべく動き出すが……、
「レオンにも勝てないお前等が、私に勝てると思うのか?」
仁王立ちしているハバル大臣が嘲笑うように「フン」と鼻を鳴らすと、襲いかかった獣人の戦士たちが鮮血を撒き散らしながら次々と吹き飛ぶ。
ある者は手足が千切れ、ある者は体の中のモノを盛大に飛び散らせ、またある者は首が盛大に飛ぶ。
確認するまでもなく、全員が一瞬のうちに絶命していた。
「うっ……」
一体何をされたのかわからないが、想像を絶するスプラッターな惨状に俺は思わず足を止めてしまう。
だが、結果的にそれが思わぬ幸運を招く。
「いたっ!?」
目の前を小さな影が横切ったと思ったら、右手に鋭い痛みが走って俺は思わずその場から飛び退く。
「これは……」
痛む右手を見てみると、手の甲がまるで鋭利な刃物で斬られたかのようにぱっくりと割れていた。
「……チッ、運のいい奴め」
一体、何が起きたのかと混乱しているとハバル大臣の舌打ちが聞こえる。
ということは、今の何かはハバル大臣が仕掛けたということだろうか?
「わんわん!」
「あっ、うん……そうだな」
すると、ロキから「目の力を!」という声が聞こえ、俺は右目の調停者の瞳を発動させる。
「……うくっ」
今日は幾度となくスキルを使って来たからか、調停者の瞳が発動すると同時に頭に鋭い痛みが走るが、頭を押さえてどうにか堪えながらハバル大臣を睨む。
すると、
「――っ!?」
ハバル大臣から赤い軌跡が高速で伸びてくるのが見え、俺は慌ててその場から飛び退く。
同時に何かが俺のいた場所を掠め、足元の砂が大きく爆ぜる。
「今のは……」
地面を転がりながらも、俺はハバル大臣の攻撃の正体を見極める。
「ま、まさか……尻尾!?」
「ほう、気付いたか」
俺の言葉に、ハバル大臣はニヤリと笑って細く長い尻尾をヌンチャクのように器用に振り回す。
ライオンの尻尾の特徴である先の房が鋭い刃のようになっており、獣人の戦士たちを切り裂いたであろう血がべっとりと付着していた。
「フン、まあいい」
ハバル大臣は尻尾を振るって俺たちとの間の地面に線を引くと、地面を指差しながら話す。
「ただし、その線を超えてくる者がいれば、容赦なく切り裂いてやろう」
「くっ……」
その言葉に、俺は今いる場所から一歩も動けなくなる。
調停者の瞳で攻撃の予測はできても、繰り出された攻撃を回避できるかどうかは別問題だ。
例えここにいる全員で一斉にハバル大臣に襲いかかったとしても、誰か一人が斬りかかるより早く全滅する確率が高そうだった。
ちらとターロンさんの方へと目を向けると、彼も同じ考えなのかゆっくりとかぶりを振る。
レオン王子を見捨てることになっても、動くなということだった。
「…………」
冷酷であるが、その判断は何処までも正しく、俺もそれに従うしかなかった。
「フッ、ただの間抜けではないようだな」
俺たちがおとなしくなったのを見たハバル大臣は、腕の中でぐったりとしているレオン王子へと向き直る。
「さて、レオン。お前にはほとほと失望したよ」
「お、おじさん…………どう……して?」
「どうしてだと? それはレオン、お前が真の王への道を自ら閉ざしたからだ!」
ハバル大臣は手を伸ばして来たレオン王子の手を取ると、顔に怒りの色を灯して至近距離で喚く。
「真の王になるため、何度もフリージアを殺せと命じていたのに、肝心なところで怖気付きおって!」
「そ、それは……」
「それどころか妹に絆され、人間にも負けただけでなく親友などと吐かしおって……そんな腑抜けた心構えで、我等獣人の悲願が叶うと思うてか!」
どうやらハバル大臣は、当初はレオン王子を自分たちの旗印とするために、フリージア様と争わせるだけでなく、彼女を殺すように命じていたようだ。
だが、レオン王子は一見粗暴そうに見えるが実は性根は優しい青年で、幼い時から兄妹の面倒を見てくれていたクラーラ様のため、フリージア様のためにハバル大臣の言うことを仕方なく聞いていただけで、彼の言う真の王になるために働く気は殆どなかったはずだ。
そして、嘘や隠し事があまりうまく隠せないレオン王子のことだ。その真意はとっくにハバル大臣に見透かされていたのだろう。
「お前が真の王にならないのであれば……我等が悲願を叶えるためには、私が真の王になるしかないというわけだ」
「そ、それじゃあ、さっきの言葉は……国を守るために一緒に戦おうと言ったのは?」
「ただの気まぐれだよ。あの虫が現れたのはこちらも想定外だったからな」
「気ま……ぐれ。じゃあ魔の力を克服したというのも?」
「嘘に決まっておるだろう。全てはお前の体を……これを安全に手に入れるためよ」
そう言ってハバル大臣は、レオン王子の胸から抉り取った心臓を掲げて、うっとりと愉悦の笑みを浮かべる。
どうやらサンドウォームがやって来たのは全くの偶然で、そもそも混沌なる者の軍勢ですらなかったようだ。
幸か不幸か、サンドウォームという厄介者が現れたお蔭で、俺たちはまんまとハバル大臣の策略に嵌り、ペンターの言葉があったにも拘らず、彼を信じるという最大の過ちを犯してしまったというわけだ。
「そんな……そんなのあんまりだあああああああああああああああああぁぁぁぁ!!」
身勝手過ぎるハバル大臣の言動に、心臓を抜かれて死にかけのはずのレオン王子が雄叫びを上げる。
同時に全身の筋肉が膨れ上がり、金色の体毛が全身を覆う。
王族だけが使えるとっておき、獣化の力だった。
「おじさんと一緒に戦えて、ようやくわかり合えたと思ったのに!」
涙を流しながらハバル大臣へと殴りかかるレオン王子であったが、既にまともに動ける余力はないのかその力は明らかに弱く、叔父の分厚い胸板を叩く乾いた音だけが空しく響く。
「俺は……ただ……家族皆と…………婆さんだけじゃなく……おじさんとも仲良くしたかった…………だけなんだ」
自分の中に積もりに積もった想いをぶちまけながら、レオン王子は尚も殴り続ける。
「エルフの森とか……獣人の悲願とか……そんなものはどうでもよかったんだ。俺は……俺は……」
「くだらんな」
ハバル大臣が蠅を追い払うように軽く突き飛ばすと、それだけでレオン王子は仰向けに倒れて動かなくなる。
「…………」
「フン、ようやくおとなしくなったか」
ハバル大臣は動かなくなったレオン王子に興味を失ったように背を向けると、俺たちの方へと向き直る。
「光栄に思うがいい、お前たちには真の王、誕生の瞬間を見る権利を与えてやろう」
そう言ったハバル大臣は、大きな口を開けてレオン王子の心臓を一口で頬張った。




