絶対に諦めない
「どうでしょう……」
気を失っている間に見た夢の話をラピス様にした俺は、事の真偽を尋ねる。
「やはり俺が見たのは混沌なる者なのでしょうか?」
「そう……ですね」
ラピス様は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえると、重々しい溜息を吐く。
「コーイチの話を聞く限り、それは混沌なる者に間違いないでしょう」
「やはり……」
「と言っても、私が知る混沌なる者とは少し違うようですが……」
「えっ?」
どういうこと? と思っていると、ラピス様は手の平を上に向けて俺の前に差し出してくる。
「これは……」
一体何? と思っていると、ラピス様が差し出した手の平から次々と水が溢れてくる。
「おおぅ、こ、これって魔法ですか?」
「ええ、これは魔法で大気にある水分集めてを水を生成しています」
「……触っても?」
好奇心から尋ねてみると、ラピス様は静かに頷いたので俺は失礼して彼女の手から溢れた水に触れてみる。
「……温い」
「はい、残念ながら周囲の水分をまとめているだけなので、この水は決して綺麗ではなく、飲むこともできません」
「そ、そうですか」
思わず「だから?」と問いかけたくなったが、きっと意味のあることなんだろうと思ってラピス様の次の言葉を待つ。
すると、
「……あっ?」
ラピス様の手から溢れ出てくる水が、無色透明からどす黒い色に変わったのを見て、俺は顔を上げる。
「これは……」
「これは単に水に色を付けただけです。ですが、これが私の知る混沌なる者の姿でした」
「それって黒い竜巻ではなく、黒い水だったということですか?」
その問いかけに、ラピス様は静かに頷く。
「正確には、黒い水だったものが空に登って雲になり、魔物と化したものです」
「それって……」
「はい、ノルン城の空を覆ったとされる黒い海と呼ばれる現象です」
「なっ!?」
それを聞いて俺は、かつてテオさんから聞いた話を思い出す。
グランドの街からノルン城が襲われるところを見たというテオさんは、空を埋め尽くす黒い魔物の群れを見て、この世の終わりを想像したという。
だが、実はあれは魔物の群れではなく、現れた黒い魔物、全てが混沌なる者だった?
「ちなみですが、ノルン城の時は水でしたが、その前は黒い炎でした」
「はい?」
「さらに前は黒い雷でした。その前は私は見ていませんが、記録では黒い影だったようです」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
次々と新たな姿を見せる混沌なる者に、俺は訳が分からなって一旦待ったをかける。
えっと、つまりこれはどういうことだ?
話が急過ぎて全くついていけていないが、どうにか必死に頭を働かせてラピス様に尋ねる。
「混沌なる者って、実は複数いたりするのですか?」
「どうでしょう?」
「毎回実体がないもので登場しているみたいですが、混沌なる者という名の自然災害だということは?」
「さあ、わかりません」
「では、混沌なる者の正体って……」
「実のところ、何もわかっていません」
もう二つの目の質問の時点で何となく察していたが、ラピス様は静かに首を横に振る。
「水、炎、雷、影、そしてコーイチが見たという黒い竜巻、確かにそこだけみれば混沌なる者は自然災害と考えても不思議ではありません……が、それが混沌なる者の正体とは思えないのです」
「……というと、他に混沌なる者と呼ばれる別の者がいるということですか?」
「それは、わかりません。ただ、いくつか気になることはあります」
ラピス様はお腹の前で指を組んで大きく息を吐くと、ある可能性の話をする。
「実は混沌なる者と思われる黒い自然災害は、数百年周期で何度か現れたのですが、その度に召喚魔法使いによって封印されてきました」
「その度にって……召喚魔法使いってそんなに頻繁に現れるものなんですか?」
「いいえ、これもまた数百年に一度、魔物たちが活動的になった時に現れるのです」
「魔物たちが……」
それってつまり、
「魔物が活性化し、世界が滅ぶかもしれない状況になると、召喚魔法使いが現れるということですか?」
「可能性の話ですが」
「そんな……」
その回答を聞いて、俺は愕然となる。
もし、ラピス様の仮定が真実だった場合、召喚魔法使いとは、世界を滅ぼすかもしれない黒い自然災害を止めるための、世界のワクチンのようなものではないか。
では、ソラは世界のために犠牲になるために、こんな苦労をしてまで召喚魔法を習得したということだろうか?
「そんなの……そんなのあんまりじゃないか!」
だってソラは、レド様から力を受け継いだ所為で体を蝕まれ、長く辛い時間を過ごしてきたのだ。
魔法が使えるようになれば、その呪縛からようやく解放され、普通とはいかなくとも、女の子として幸せな時間を過ごせるはずであった。
「ソラには……ソラには幸せになってもらいたいんだ」
「コーイチさん」
重々しく息を吐きながら心情を吐露する俺に、ソラが静かに手を伸ばして手を重ねてくる。
「実はその話は、ラピス様から魔法を教わる前に聞きました」
「ソラ……君は?」
「はい、全てわかった上でラピス様に魔法を教わりました」
こんな理不尽を簡単に受け入れられるはずがないのに、ソラは俺に向かって見惚れるような眩しい笑みを浮かべる。
「私の力で皆を……コーイチさんたちを守れるのなら、私は喜んで混沌なる者を封印したいと思います」
「そんなの駄目だ!」
諦めたように儚げに笑うソラを見て、俺は反射的に否定の言葉を口にする。
「だってそれじゃあ、何のために俺がこの世界に来たんだ」
一度溢れ出した気持ちは止まらない……止められるはずがなかった。
「レド様が召喚魔法で異世界への扉を開いて自由騎士を呼んだ理由は、混沌なる者を倒すためだったんだろう? それはきっと運命に抗って、皆と幸せに過ごすためだったんだ」
「……母様が?」
「そのレド様だって、ここではない何処かでまだ生きているんだよ。それなのにソラが諦めるなんていくら何でも早過ぎるだろう」
「コーイチさん……」
「ソラ、俺を信じてくれ!」
ここまで来たら、恥ずかしいとかそんな気持ちは微塵もなかった。
この世界に来て、俺はもう十分過ぎるほど大切なものを失い続けた。
ここでヘタレるようでは、また大切なものを……大切な家族を失ってしまう。
それだけは……それだけは絶対に嫌だ。
俺はソラの手を取ると、彼女の目を真っ直ぐ見据えて真摯に語りかける。
「俺がこの世界に来たのは、ソラを……レド様を救うために来たんだ。俺は絶対に最後まで諦めないと誓うから、ソラも最後の最後まで俺を信じて諦めないでくれ!」
「…………はい、はいっ!」
ソラは目から大粒の涙を零すと、俺の首に飛び付いてくる。
「やっぱりコーイチさんは私の騎士様です。どうか、どうか私を守って下さい」
「勿論だ。嫌だって言っても、守ってやるからな」
俺は自分でもかなり恥ずかしいことを言っていると自覚していたが、それでも悔いはなかった。
こうして敢えて口にすることで、自分の立ち位置を確認することはとても大切なことだとこの世界に来て学んだからだ。
混沌なる者がどれだけ大きな災害かは想像も付かないが、俺は自由騎士として、ソラの騎士として何としても奴を倒してみせると固く心に誓った。
互いに諦めないことを誓ったソラと喜びを分かち合っていると、パチパチという乾いた音が聞こえてくる。。
「ふむ、中々いいものを見させていただきました」
目を向けると、満足そうに頷くラピス様がとんでもないことを言ってくる。
「では、次の話に移りましょうか」
「……えっ?」
「何を驚いているのです。私は先程、気になることがいくつかあると言ったでしょう」
「あっ……」
そう言われて俺は、先程のラピス様の言葉を思い出す。
確かにラピス様はいくつか気になることがあると言っていたが、衝撃の大きさに反射的に噛み付いてしまったので失念していた。
「そういうわけです。次はあまり熱くなり過ぎないように」
「……はい」
ラピス様に釘を刺された俺としては、しずしずと頷くしかなかった。




